雄略天皇の時代にあった事件
三年の夏四月に、阿閉臣国見、更の名は磯持牛。たくはた皇女と湯人の廬城部連武彦とをしこぢて曰く、「武彦、皇女をけがしまつりて任身したり」といふ。
武彦が父キコユ、此の流言を聞きて、禍の身に及らむことを恐り、武彦を廬城河に誘ひ率て、偽きてうかわたつまねして、因りて其の不意に打ち殺しつ。
天皇、聞しめして使者を遣して、皇女を案へ問はしめたまふ。
皇女、対へて言さく、「妾は識らず」とまをす。
俄にして皇女、神鏡をとりもちて、五十鈴の河上にいたり、人の行かぬを伺ひ、鏡を埋みて経き死ぬ。
天皇、皇女の不在をことを疑ひ、常に闇夜に東西にもとめしめたまふ。
乃ち河上に虹の見ゆること蛇の如くして、四五丈ばかりのものあり。
虹の起てる処を掘りて、神鏡を獲、移行こと遠からずして、皇女の屍を得たり。
割きて観るに、腹中に物有りて水の如く、水中に石有り。
キコユ、これに由りて、子の罪を雪むること得たり。
還りて子を殺せることを悔い、国見を報ひに殺さむとす。
石上神宮に逃げ匿る。
日本書紀より
漢字のややこしいところはひらがなにしました。
たくはた皇女の「たく」は木に考です。環境依存文字だったのでひらがなにしました。「はた」は幡です。
この小説「縁切り姫」は日本書紀のたくはた皇女の記事をヒントに創作しました。
舞台は現代の三重県伊勢市によく似た架空の町だと思ってください。
雄略天皇の娘・たくはた皇女は「斎王」として伊勢神宮の近くに暮らし神に仕えていたのですが、阿閉臣国見の讒言により「妊娠した」と噂が流れてしまいます。
噂の相手(武彦)は父に殺され、皇女は「私は知りません」と言い自死してしまう悲しい出来事です。