面会
次の日曜日、メールにて約束した駅前に僕は来ていた。詩織さんとはここで十時に待ち合わせしている。
僕が着いたのは二十五分程前。緊張で変な汗を掻きながら待っている僕だけど、しかし彼女の姿は、休日で人がごった返しているとはいえ、未だにその中に姿を見つけることは出来ない。
落ち着くことが出来ず、キョロキョロと周りを見渡しては、ケータイで時間を逐一確認するなんてことをしていると余計に鼓動はアップテンポになっていく。
そしてもう何度目か分からない時間確認を行うと、ケータイ画面が九時五十分という時刻を指していた時だった。
「あのー……」
聞き慣れない声が後ろから聞こえて来た。確かにその声はこちらに向いている。
僕は反射的に振り返った。そして目を見開いた。
「私、詩織です」
恐る恐るといった様子で女の子が言った。
そこには芸能人だと言われても違和感はないというぐらい可愛らしい女の子が、不安げに見つめながら立っていたから。
二重で大きく見える目と、すっと通った鼻筋と程良い紅色をした柔らかそうな唇。人形のようだなんてありふれた表現だけど、まさにぴったりなぐらい精巧にパーツが散りばめられている顔は小柄で、それでいて着ているノースリーブの白ワンピースも相俟って、雰囲気からして清楚でおしとやか。腰ほどまで伸びた綺麗で滑らかそうな黒髪もそれを際立たせているし、何というか文章からイメージした通りの女性だ。
先程までとは内容の違う胸の高鳴りが、僕の中で木霊する。
初めまして。
そう声を掛けてしまいそうになった時、更に僕の胸の鼓動が強さを増した。そして、一瞬最高点に達し、息が止まった――錯覚に陥った。
彼女の不安げだった顔が柔らかくなり、ただでさえ美しかった顔が包み込むような優しさを感じさせる笑顔で見つめてきたから。
「ゆーとんさん、ですよね?」
でも、直後に僕の気分は深く沈んだ。
その言葉を、笑顔を向けた相手は僕ではなかった。
「えーと……」
彼女が見つめているのは、一緒に来てもらった健司の方だ。
あの会いたいというメッセージを彼女のから貰った日の健司との電話で僕は親友にお願いをした。一緒に来て欲しいと。
そして、もし彼女の様子を見て僕が必要だと判断したなら、健司がゆーとんだったという体で話を合わせて欲しいと。最初は断られたが、必死に僕が頼むと、「しゃーねえ、俺も気になるし」と頼みを引き受けてくれた。
その親友が困った表情で僕をちらっと見た。そしてその様子を見ていた詩織さんも、再び心配そうに顔を曇らせた。
「どうかしたんですか……?」
そんなの分かっていたし、当然だ。あの画像を見たら誰だって健司のことをゆーとんだと思うだろう。
それでもどこかで何故か僕は根拠もなく、言わなくても彼女は僕がゆーとんだと理解してくれると期待してしまっていたんだ。でも、そんな訳ある訳ないだろと、過去の自分を否定する。
……覚悟はしていた。
僕は打ち合わせ通りに首を縦に振った。
驚いた様子を見せた後、健司も首を縦に振った。
「あっ、すいません。メッセージのやり取りから詩織さんのこと想像してたんですけど、あまり違いが無くて……。何というか、凄い可愛いらしい方だなと」
顔を笑顔に変えて、健司は言った。
可愛らしいって……。
そんなキザな男が言いそうなことを健司が口にしたのは、女の子と接するのに慣れていることからの計算から褒めたのではなく、多分本当に思ったからなんだろう。
確かに詩織さんはそう思わせる程の美しさがあるし、健司もそういう奴なんだ。計算なんて特になく、思ったことをともかく口にし、行動に移す。そんな純粋無垢な子供のような奴だから、僕も今まで一緒にいるんだ。
「そんな……私は全然。それよりゆーとんさんもやっぱり男前ですね。プロフィール画像で分かってはいましたけど、実際に会うとより感じます。……その、かっこいいです」
照れながら、でもそれを隠すように笑いながら彼女は口にした。
更に本当に嬉しそうな笑顔を向けて。
内心、どこかで僕はほっとしてしまった。やっぱり健司に頼んでおいて良かったと安心してしまった。
……それ以上に、気分が更なる深みへ落ちていったんだけど。
ああ、ダメだ。彼女を生で見れて嬉しかったし、今も嬉しいのは本当なんだけど、どうしよう。僕はここにいて良いのかと不安になってくる。
「いやいや、そんな。まあ、ありがとうございます。――あっ、そうだ。自己紹介遅れてすいません。今更ですけど、そうですね。初めまして、俺があなたとメッセージのやり取りをしていたゆーとんです」
「……俺、ですか?」
不思議そうな顔を見せる詩織さん。
_それに素早く健司が答える。
「あっ、プライベートでは一人称は俺で、ネットでは僕を使うようにしているんですよ。結構そういう人はいますしね」
「すいません。あまりネットで男性と関わったことがないので。なるほど、そうなんですね」
あらかじめその質問は予測していた。
でも健司に彼女の前では僕を使うようにと言うと、それだとボロが出るということで、彼女にしたのと同じ説明で行こうと両者合意で今の解答に至った。
「私も改めて、初めましてゆーとんさん。私が詩織です。そしてあなたがゆーとんさんのお友達の方ですよね?」
詩織さんにも健司との電話の後に頼んで、快諾してくれた。
だから彼女が僕を視界に捉え、声を掛けるタイミングを窺っている様子があったのは気付いていた。健司にゆーとんだと聞き、ようやくそれが来たと悟ったようだ。
彼女は僕に初めて笑顔を向けてくれた。ああ、可愛いなと思ってしまった。そして同時にその言葉は僕の心に突き刺さった。
「はい、そうです。初めまして。僕がゆーとん、いえ、健司の友人の優人です。佐々木優人っていいます」
「えっ、優人? あれっ、ゆーとん……? あなたが優人さん?」
「あっ、えっと、あの名前、特に思い付かなかったから友人の名前から考えた名前使ってるんですよ。で、俺の本名は沢田健司」
「あっ、そういうことなんですか。私はネットで使ってる詩織って名前、本名なんですよ。伊々田|詩織っていうんです」
これも勿論、あらかじめ予想していた質問だ。
困惑していた詩織さんも、健司の説明に納得してくれたようで、健司に目を向けた後、僕の方にも目を配って話し掛けてくれた。
そっか、あれ本名だったのか。改めて可愛らしい名前だ。
「そういえば優人さんは、あの健司さんが使ってる画像の端に小さくですけど写られていましたよね。友達って聞いてひょっとしてあなたのことかなっと思ってたんです。そしたらやっぱり正解でしたね」
口元を綻ばせながら彼女は言った。確かに僕の目を見て。
偶然目に入っただけかもしれない。小さくて、逆に目立っただけかもしれない。
でも、それでも彼女が気付いてくれたということが、この上なく嬉しかった。
ただの知り合いの友人というだけではなく、ちゃんと僕という存在を認識してくれていたということが、たったそれだけなのに落ち込んでいた僕の気分を随分押し上げてくれた。
「僕も無理言って参加してしまってすいません。でも僕も、健司の話を聞いて、あなたに会ってみたいと思っていました。会えて嬉しいです。よろしくお願いします!」
「そんな無理だなんて。健司さんからは、友達想いの優しい方だって聞いてましたよ。私も会えて嬉しいです。よろしくお願いします」
言いながら、彼女は一度ペコリとお辞儀を入れた。
瞬時にしまったと後悔した。
「そうだよな。お前は友達想いの本当に優しい奴だよな」
その彼女から視線を移すこと、僕の親友。どうにもにやにやと悪戯小僧のような笑みをしている。
勿論それを送ったのは僕だけど、違う、決して違う。これは会う上において僕の評価を上げておこうという姑息な手段に出たのではなく、会う上に置いて友人を紹介しないのも不自然だと考え、健司のことを想像して書いたんだ。
尚、自分に合わないと思ったものは書かないようにし、これならお互いに当てはまるだろうと判断したものだけを書いた訳だけど。
「それで、これからどうしましょうか?」
気を取り直そうと何の気なしに僕は言ったつもりだけど、健司は今度は顔をしかめてきた。
長い付き合いだからか、口で言わずとも分かる。何で考えてこなかったんだよと言いたげだ。
というより、実は考えてこいって言われてたけど僕にこういう時どこに行くのが良いかなんて分かる筈がない。だから一応彼女の希望がないか聞くことにしたんだけど、それがダメだったらしい。
「詩織さんは行きたい場所とかありますか?」
「いえ、私は別に。でもそうですね、うーん……」
代わりに聞いてくれた健司の問いに、詩織さんは思案する様子を見せている。
その姿を見て、僕は不安になってくる。
本当にこれで良いのか。ここで女子に考えさせるのは男として間違っていないか。いややっぱり、ここは男が考えるべきだろう。
でも、うーん……初めての女性と行く場所か。楽しめるような場所が良いよな。だとしたら、
「カラオケとか、どうですか?」
考えると最近行ったなと思い出したから口に出してみたのだけど、なるほどと考えてくれている詩織さんと違って、健司は「はあっ?」と言わずも聞こえてくるような不服な顔でこちらを見てきた。
そして仕切り直すように、平然と喋り出した。
「いや、カラオケはやめとこう。そうだな、昼になったら食事も取らなきゃダメだし、まずあそこのデパートでも行ってショッピングなんてどうですか? そして時間潰してから、近くにある落ち着いた雰囲気のあるファミレスで食事って感じで」
「ショッピングとファミレスですか……。そうですね。……すいません、優人さん。私もそっちの方が良いです」
健司が出した提案に、考える時間少なく僕の方を向いて申し訳なさそうに断ってきた。
なんだ、この直接対決に負けた感じ。女子慣れしている健司の方が女の子の気持ちを察するのが上手いのは分かっていた。でも何だか、詩織さんは健司だからカフェを選んだ気がしてむっと腹が立ってしまった。
しかし直後にそんな自分に罪悪感が沸く。
「では、歩きましょうか」
「はい」
健司の言葉で僕達は歩き出した。
すると、ポケットに入っていたケータイが鳴ったので、取り出す。見るとLINEが幾つかに分けられて届いていた。
『あのな、初対面でまだお互いに緊張感がある中で、賑やかに楽しむことが前提のカラオケはなしだ
こういう時は静かな場所でじっくり話でもして仲を深めるんだよ
そういう意味でもカラオケは会話には向かないという点でもなし
しかも彼女はお前と会って話をしたいって言ってたんだろ
なら、尚更ゆっくり話せる場所じゃないないとダメだ』
最後には、頑張れ、とあるバスケマンガに出て来る爽やかな主人公が言っているスタンプも着いていた。
あいつ、いつの間にこんな文打ったんだよ……。
それが一番最初に思い付いたことだったけど、文の内容に意識を向けると、思わずなるほどと声が出てしまいそうになった。納得してしまった。
流石に経験が違う。相手のことも考え、どうすれば効率よく仲良くなっていけるかも理解している。
勝てるかよ、っとボソッと口に出してしまった。