9. 新しい技術
入学式から3日程は学園内の施設案内やオリエンテーションなどがあったが、四日目からは本格的な授業が始まった。
授業は一般的教養の必須課程で、選択学科とは異なり、ごくごく一般的な修学内容だったが、この世界の数百年先を行く異世界の知識を持つアインにとっては退屈極まりない内容だった。
中でもアインがもどかしく感じたのは算術をの授業だった。
カレン界の算術は文明のレベルに比べて非常に遅れている。もっとも、科学という概念が存在しないので、その根本を司る数学が発達しないのも無理は無いといえる。
この世界の算術は自然数の整数で表され、基本的な算術は地球で言う原始的な合同式であり、典型的な商業算術のみが聖帝領では広く使われていて、初学年の一般教養授業もその算術方法を教えている。
学年が上がり算術の上位学科である高等算術科を選択すれば、より数学的な研究をする事も可能であるが、それですら科学解析術の根本である微分法及び積分法すら発見されておらず、地球の歴史で当てはめるなら十二世紀頃のレベルの数学技術であった。しかも今のところその分野は何ら生産性が無く、応用が利かない学問とされており、研究者がきわめて少ないという状況も数学が発展しない要因の一つであろう。
そんなわけで、異世界で藤間昴が学んだ近代数学の知識を持つアインにとっては、地球上の数学史の成り立ちをリアルタイムで見るような感覚なのである。
(そのうち俺がニュートンやライブニッツになって、微分積分法や三次関数なんかを広めたら、多少は数学史の針が進むかな……)
アインはそんなことを考えつつも、日々の授業を受けていた。
さらに数日後、選択科目授業がスタートした。
アインは悩んだ末に、もう一つの科目は結局結晶術科を選択した。
選択科目である結晶術科の授業は、さほど期待してはいなかったが、一般教養授業よりは退屈では無かった。元々前の世界には無かった結晶術という技術には興味があり、これを操ること自体は好きなので実技実習時などはそれなりに楽しかった。
しかし授業を教える講師より高度な結晶術を操ることが出来るアインにとっては、結晶術論理の授業はレベルが低すぎてあまりまじめに参加しては居なかった。そんなアインは論理授業中は講義を聴いているフリをしながら、自分の理論をノート代わりの羊皮紙に書き写したり、浮かんできたアイデアの図などを描いたりして過ごしていた。
そしてアインは、もう一つの選択科目の事業で、お待ちかねの大型結晶炉と対面を果たした。
錬金科は一般授業とは異なり、色々大型の器具を使うので別棟の校舎棟をまるまる一つ使った『錬金棟』を使って行われる。
授業に先立って、アインは授業の講師であるアーノルド・ベルハート子爵に、自分の理論と大型結晶炉を使った、電磁エンジンの外殻綱作成の説明をした。
すると彼はアインの理論に興味を持ち、放課後に彼の立ち会いの下での炉の使用を許可した。
「つまり、その『デンキ』という物を増幅すれば結晶術が使えない人間でも、オイルランプを使わずに暗がりの部屋を昼間のように明るく照らす事が出来ると言うんだね?」
そう聞くアーノルドにアインは強く頷いた。
「ええ、でも電気の利用法はそんなランプなどよりも、もっと色々な事に利用できますよ、先生。これはきっとこの世界の歴史に残る革新的な技術になるでしょう」
アインは自分の書いた論文の羊皮紙の束を軽く叩きながらそう言った。そんなアインにアーノルドは再び頷いた。
「よし、やってみたまえ、アインノール君。私も協力しよう」
実際のところ、アーノルド自身、アインが言う電気について理解はしていなかったが、アインの論文の内容が中々興味深かった事と、学生の積極性を重視する、この時代きわめて希な教師だった事がアインの幸運と言えた。そんなわけで、彼は同じ学科の仲間数人と『電磁エンジン』の開発に着手した。
アインがいう電磁エンジンは、その触媒に『純ゲルベミウム』という結晶石の素になる鉱物を使う。この鉱物が、アインの国元であるデルフィーゴ王国の特産である事も、彼がこのエンジンを作成する際の幸運と言えた。
アインは国元で数回の実験を繰り返し、この純ゲルベミウムに電流を流すと電磁増幅反応が起こり流入電気の数十倍から数百倍の電気エネルギーを放出する事が解った。しかし純ゲルベミウム単体では、増幅暴走が起こって崩壊して仕舞うため、アインはその周囲を新しい金属で覆うことにした。
その新しい金属は、結晶術を使うときに触媒としてしばしば用いられる、幻象反応鉱という鉱物を結晶炉を使って溶解・圧縮して生成する物で、アインはそれを『幻象反応金属』と名付けた。
このティカナイトは非常に強度が高く、しかも結晶術の術力伝導率が高いという性質を持っており、アインはこの特性を利用して、結晶術による重力操作で純ゲルベミウムの電気増幅暴走を『異種エネルギーの縮退効果』で押さえ込み安定させる事に成功した。これにより増幅された電気を安定して取り出すことが可能となる。これがアインの考えたエンジンの原理である。
アインは国元でこのエンジンの高出力タイプを作成しようと考えたのだが、貧乏なデルフィーゴ王国の国力では大型の結晶炉を持つことは不可能だったため、大きなティカナイトの外装殻を作ることができなかったのであった。
アインは早速、聖都に来るときに一緒に国元から持ってきた一抱えはある大きな純ゲルベミウムを持ち込みエンジン作成を始めた。
アインは同じ科の生徒に加え、ミファやガッテ、レントにも声を掛け、手伝ってもらうことにした。ミファは言わずもがな、ガッテとレントも快く引き受けてくれた。
「でもアイン、その『えんじん』で『でんき』ってのを増幅させるって言うけど、そのエンジンに最初に流す『でんき』はどうやって作るの?」
放課後、錬金科の教室でアインの説明を聞いたレントが、アインにそう質問した。
「うん、良い質問だね。それにはこのバッテリーを使うんだ」
とアインは自分が腰掛けてる黒い金属の箱を叩いた。
「これには鉛と電解液という酸性水が入っていて、その化学反応で電気を貯めておく装置なんだ。エンジンの起動電源はこれを使うつもり。エンジンが回り出したら、発生した電気をまたこれに貯めておくんだ」
とアインが答えるが、やっぱりレントはアインの言っている意味がよくわかっていないようだ。
「このバッテリーには、僕の作った発電機で充電する」
とアインがレントの話を締めると、今度は立ち会いをしている講師アーノルドが質問する。
「一つ疑問があるのだが、その、純ゲルベミウムの増幅暴走を押さえる為の結晶術は、アインノール君が術を行使し続けるのかね?」
そのアーノルドの質問にアインは首を振った。
「さすがに『重力制御』なんて複雑な結晶術をそこまで連続行使させる事は僕にも出来ません。その代わりにこのような物を作ってみました」
アインはそう言って純ゲルベミウムと一緒に運んできた荷物の中から銀色の一枚の板を取りだして見せた。板そのものは薄い鉄板のようだが、表面には小さな結晶石が何個も並べられて埋め込まれており、それそれ細い線で繋がっている。質問をしたアーノルド、手伝いをしてくれる数人の錬金科生徒や、ミファ、ガッテ、レントを含めた皆がそろって首を傾げる。
「これは、僕が作った『結晶回路』という物です」
アインはそう言って一同を見た。しかし一同の表情は全く理解していないことを物語っている。そんな皆に、アインは気にした風も無く「――と言っても解らないですよね」と満足げに笑いながら頷いた。
「結晶術に使う結晶石は、実は結晶術の術式を記憶することができるんです。この術式が記憶された石に電流を流すと、その記憶された術式が展開され術が発動します。ただし、あまり複雑な物や複数を同時に発動するには、術式を細分化して複数の結晶石に細かく術式を記憶させなくてはならないので、仕掛けが大きく複雑になります。ですが各々の単純な現象を持続させるためだけなら大して複雑な仕組みはいりません。それを可能にするのがこの結晶回路です」
アインはそこまで説明し、その表面に埋め込まれた結晶石を皆に見せる。
「この結晶石一つ一つに、電気増幅暴走を封じる為の重力制御持続に必要な術式を細分化して記録してあります。で、この石同士をティカナイトで作った細鋼線で繋いであります。この結晶回路に通電すると順番に配置された結晶石に通電されていき、記録された術式が自動展開されます。電気が通電される限り、回路は同じサイクルを繰り返して術式を展開し続けるので、誰でもこのエンジンを動かすことができる仕組みです」
するとアーノルドは重ねて質問する。
「ちょっと待ちたまえ、では何か? 例えばその結晶回路とやらにそれ相応の術式を記憶させれば、誰でも色々な結晶術を簡単に発動させることが出来ると言うことかね?」
するとアインはニコリと笑いながら頷いた。
「ええ、理論上は可能です。ただし、術式を発動させる為に必要量の電気を通電させる必要があります。それと結晶術の発動には、生物が発生させる生態力、『エナ』が必要ですから、発動時には術者と回路が接触している必要があるでしょう」
アインの説明にアーノルドをはじめ、その場にいた一同全員が驚いて声も出なかった。
結晶術は本来、非常に高度な技術であり人間の身ではその複雑な術式を組み上げるのに、高い知能と技術、それに時間が必要とされてきた。しかし、今アインが説明した彼の理論が正しければ、電気とこの結晶回路を使えば、誰にでも簡単に術を使えることになるのだ。
「すばらしいよアインノール君、これは画期的な技術だ。驚いて声も出なかった。まったく、君はいったい何者なんだ? どうしてこんなまねが出来るのだ?」
アーノルドがそう質問するが、アインは答えに困っていた。何せこの結晶回路も前世の地球にあるプログラム基板の配列をヒントにしているし、電気も前世での知識を使って作り出しているのである。
(さすがに『実は僕異世界から来たんだよ、わっはっは~』なんて言えるわけないもんなぁ……困った)
とその時、ミファが横合いから口を挟んだ。
「アインノール殿下は、高名な大賢者アウシス様の直弟子でございます。国元で長きにわたり、一〇〇〇歳を超すかの御仁の知の教授を受けた殿下なれば、造作も無いでしょう」
するとミファの言葉に一同が「おお……!」と感嘆の声を漏らした。大賢者アウシス・ペコリノの名は、その数々の神のごとき奇跡の技と共に聖帝領内全土に知れ渡っていたのだった。
「なんと!? あのファンダル族の大賢者、アウシス殿の直弟子であったか!? うむむ、ならばその知識も頷ける。いやはやこれは驚いた。アインノール君、私は研究者として君を心底うらやましく思うぞ!」
アーノルドはそう言って腕を組み、何度も大きく頷いていた。この一件の後、アインが大賢者アウシスの弟子という話が学園中に広がり、彼の授業の教鞭に立つ講師達を恐々とさせることになる。