7. 入学式
「なんとまあ、お姫様じゃ無くて王子様だったなんてね」
そんなことを言いながらミスリアは近寄ってアインの顔をまじまじと見つめた。
「つまり『姫を守る騎士』じゃなくて『王子を守る女騎士』って訳ね。ふむふむ、なるほど…… でも性別逆転ってのだと物足りないわね……
そうだ、いっそのこと王子と騎士の男同士の愛なんてどうかしら? あれ? けっこうイケてない? ちょっと良いんじゃないかしらこの設定? よし、今年の演目はこれで行きましょう! ああでもなにこの背徳的な胸の高鳴りは……!?」
そんなことをぶつぶつと呟きながらミスリアは考え込んでいる。一方完全に置いてけぼりを食らった感のあるアインとミファはそんなミスリアを見ながらポカンとした顔をしていた。
(だ、大丈夫なのかこの娘? そのうち『ホモが嫌いな女子は居ません!』とか言い出しそう……)
アインが心の中でそんな妙なツッコミを入れていると、見かねたミファがミスリアに声を掛けた。
「あ、あの、ミスリア…… えっと、せ、先輩? それで私たちに何のご用だったのですか?」
「え……っ? あ、ああ…… そうね」
ミスリアはそこでハッと我に返り、コホンと咳払いをして続ける。
「あなたたち入学式に出るのでしょう? 入学式が行われる講堂はこっちじゃ無くて、その三号館って校舎の横の道を行くの。つまりあなたたちは反対方向に向かっていたので声を掛けさせてもらったのよ」
ミスリアはちょっと先に見える建物を指さしてそう言った。そして改めてアインに向き直った。
「改めまして、こちらこそ初めまして、アインノール殿下。ご入学おめでとうございます」
そう言ってミスリアは貴族の令嬢に相応しい作法で柔らかくお辞儀をした。その堂に入った優雅な仕草は、幼い頃からの聖帝婦女子としての教育を受けていた何よりの証と言って良く、先ほどの妙な言動の者とはまるで別人と思えるような完璧な淑女ぶりを見せ、ミファなどは小さくため息をつくほどだった。
「私のこともアインと呼んでください。ミスリア先輩」
アインがそう言うと、ミスリアも「ええ、そうさせてもらうわ、よろしくねアイン」と言って笑った。
「校舎の横の道をまっすぐ行くと講堂が見えてくるわ。近くに行けば学生会の先輩達が案内してくれるから迷わないと思うわ。それじゃ、また後でねアイン、ミファ」
ミスリアはそう言ってその場を去って行った。アインとミファはミスリアが教えてくれた道を行き、程なく入学式が行われる講堂が見えてきた。二人が上級生の案内で講堂内に入ると、そこには大きな講堂に所狭しと並べられた椅子に、沢山の新入生達が座っており、式が始まるまでの一時を思い思いに近しい者と雑談していた。
「まだ少し時がありますが、結構な人数ですね」
講堂内に座る生徒達を眺めながらミファがそんな感想を漏らした。アインもそのミファの言葉に頷き、自分とミファが一緒に座れそうな席を探していた。後ろの方の席にまだ若干の空席がある事に気づき、二人は壇上から見て後ろの方に移動した。
「あ、あそこの列、まだ二人しか座ってないよ。あそこにしよう」
アインは最後列に並んで空いている席を見つけ、ミファを伴って並ぶ椅子の列に入っていった。
席に着いたアインは、隣に座る男子生徒二人に「こんにちは、ここ、良いですか?」と声を掛けた。するとアインが掛けようとする席の隣の少年が、びくっとして顔を上げた。
体つきはアインとほとんど変わらない。少々赤みがかった髪は緩いウエーブを描いて流れている。目鼻立ちは整っているが、大きめの瞳には怯えに似た色が浮かんでおり、その頬は薄く紅が差していた。
「え? あ、ああ、ど、どうぞ……」
そう言う少年に、アインはニコリと微笑んで「ありがとう」と礼を述べると、その少年は耳まで真っ赤にして下を向いてしまった。アインが「?」と首を傾げていると、その少年の隣に座る、髪の短い少年が声を掛けてきた。
「彼、すごいあがり症みたいだな。あんたみたいなべっぴんさんに声かけられたんで照れてるんだよ」
その短髪の少年はそう言って片手を挙げて笑った。
「俺はガッテ・マルルースってんだ。国はトルーカスの外れで地方領主やってる男爵家の……って、あれ? あんたその制服……」
その少年、ガッテはアインの姿を見て話を中断した。そんなガッテにアインも慣れたもので「うん、僕はこう見えても男なんだよね」と笑って答えた。すると先ほど赤い顔して俯いた少年も「うそ……?」と呟きながらアインを見た。
「おい、ま、まさかそっちの女子も実は男子なんて言わねえだろうな?」
とガッテは恐る恐るアインに聞いた。隣の少年も『まさか?』といった表情でミファを見る。
「いやいや、彼女は正真正銘の女の子だよ。だって制服ちがうし」
「そっか…… 良かった~」
と二人ともホッと胸をなで下ろした。そんな話で落ち着いたのか、隣の少年がアインに向き直り挨拶した。
「ぼ、僕はレント・マクファイン。実家は商人の家なんだ」
するとアインの隣からミファの声がかかった。
「マクファイン? ひょっとして貴殿はあのマクファイン商会の縁の者なのですか?」
「あ…… え、ええ。ルカルド・マクファインは私の祖父です」
するとガッテは「ほう……」と呟いた。
「あの旅商人から一代で聖都有数の大商会を築いたっていう……」
アインは素直に関心していた。豪商ルカルド・マクファインの名は聖帝領では有名で、彼を目指す若い商人も大勢居る、商人の中では生ける伝説とまで呼ばれる人物である。アインも彼の自伝を老師の『星降る書斎』で読んだことがあった。
「僕はアインノール・ブラン・デルフィーゴって言います。アインって呼んでよ。で、こっちはミファ・トラファウル。僕の幼なじみなんだ」
アインはそう言って右手を差し出す。すると二人ともその右手とアインの顔を見比べて首を傾げる。そう、この世界に握手という習慣は無いのである。
「ああ、ゴメン。えっと…… これは『握手』って言ってね、友達とか親しい人と交わす挨拶なんだ。お互いに手を握り合うんだよ」
「へぇ…… 変わった習慣だな」
とガッテは呟きつつアインの右手を握り替えした。続いてレントも同じくアインの手を握る。ミファも「私もミファで結構。よろしく頼みます」と言いながら同じように握手をする。ミファも当然、異世界の習慣など知らないのだが、アインの握手を何度かやっているので知っているのである。
「でもなんだか良い気分だよ。なんかお互い手を握ると『仲間』って感じがする……」
レントはそんなことを言いながら、握手した右手の手のひらを眺めて嬉しそうに笑った。
この時、この四人が交わした握手が、やがて『友情・友好の証』として聖帝領全域に広がることとなる。
「あれ? でもちょっと待てよ? デルフィーゴって言やぁ、トルーカスの隣の国の名前だぜ? じゃああんたもしかして……!?」
ガッテはそう言って驚いて目を見開いた。レントも同じように目を丸くしている。
「ええ、この方はデルフィーゴ王国の第二王子、アインノール殿下にございまして、私はその小姓兼護衛役を務める準騎士です」
驚く二人に少々誇らしく語るミファだった。主を誇るのは騎士の誉れと考える時代である為無理も無いであろう。
「こりゃたまげた。隣の国にあんたみたいな綺麗な顔した王子様が居たなんて知らんかった」
とガッテが言う。するとレントが「あれ? でも良いのかな……?」と呟いた。その言葉にアインが首を傾げる。
「いや、だって国の王族なんでしょう? 王族や有力貴族はもっと前の席に座るみたいだよ。僕の家は商人だから、こんな後ろの席なんだ」
「ああ、なんかそうらしいぜ? 俺も実家は田舎の男爵家だからな。ま、別に全然気にしないけどよ」
そんな二人の言葉にアインとミファは前の方の席を眺めた。すると確かに前の方の席には、着飾った貴族の親やお供といった取り巻きを引き連れた生徒達が、式が始まるまでの時間を談笑しているのが見える。
「へぇ…… でも別に前じゃ無きゃダメって訳でも無いだろうし、僕もそう言うの気にしない方だからここでいいや。だいいちウチの国だって辺境の小さい国だもの、見栄張ったって仕方が無いよ」
アインはそう言って椅子に深く腰掛けた。ミファも頷いてそんなアインの隣の席に腰を下ろした。
「それに、ここの席に来たから二人と知り合えたんだし、これも何かの縁だよきっと。お互い同級生として仲良くやってこうよ」
そう言うアインにガッテとレントも笑いながら頷いた。それから四人は暫く雑談をして過ごし、そのうちに入学式の始まりを告げる鐘の音が講堂内に鳴り響いた。
入学式は学園長であるアラン・ド・ポースマン伯爵による挨拶から始まり、担当教師の紹介、学園生活や新生活に向けての説明、注意などという忍耐力を必要とする退屈な話が長時間に渡って続けられ、新入生達の表情に疲労が見え始めてくる。
(どこの世界でも、こういった式の長話はお約束なんだな…… 退屈すぎて死にそうだよ)
とアインもすでに忍耐の限界に近づいていた。隣のレントとガッテの顔にも苦痛の表情が見て取れた。が、反対隣のミファは背筋を伸ばした状態で、まるで彫像のように動かず壇上を凝視しており、アインは正直ちょっと引き気味だった。
とはいえミファも退屈である事は確かなのだが、彼女の場合王宮の式典や警備任務時には、門や部屋の前で彫像のように長時間立ちっぱなしである事が少なく無いため、こういった事には慣れているという事もある。だが実はミファは、こういった場所での緊急事態を想定し、どうやって主人であるアインの安全を確保できるか、様々なケースを頭の中でシュミレーションしているのである。なので見た目は確かに生真面目に話を聞いているように見えるが、壇上での教師達の話など一切聞いていなかった。
新入生達の忍耐の限界が切れる頃、ようやく教師達の話が終わり、壇上には制服を着た一人の女生徒が上がっていった。突然壇上に上がった黒髪の美しい女生徒に、新入生達は目を奪われて静まりかえった。
アインはその顔に苦笑しつつ、ミファもこの時ばかりは脳内シュミレーションを中断し、隣の席のアインと顔を見合わせた。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私はこの帝立ドルスタイン上級学院、学生会会長を務めております、聖法科四年ミスリア・シャル・レムザールです。皆さん、どうぞよろしく――――」
そう、その女生徒は先ほどアイン達に講堂の場所を教えてくれたミスリアだったのである。
(なんとまあ、なるほどそういうことですか…… しかし大丈夫なのかその学生会って組織……)
壇上で喋るミスリアの話を聞きながら、アインは心の中でそう呟いていた。
2014.6.19 五魂殿の指摘
ガッテのセリフ『征服』→『制服』に修正