64. ソフィーの奮闘
串刺しになり動けなくなった二〇機の黒銀のバストゥール『バストロイゼ』を挟み、アイン達は残った部隊と向かいあっていた。アインの攻撃を警戒してか、バストロイゼの部隊は動こうとせず、睨み合いとなっていたが、急に敵が後退を始めた。完全に大破した機体は別にして、中破程度の機体は回収する様で、それらの機体を引きずるようにして下がっていく。
(後退する…… 何だ?)
アインは後退するバストロイゼの集団に首を傾げつつも警戒しながら見つめていた。
『殿下、どういうことでしょう?』
『何だい? 奴等どうしたって言うのさ?』
レイとミファも、敵の急な不可解な後退を不審に思い、アインにそう聞いてきた。しかしアインにもその理由がわからず「さあ、何だろう……?」と首を傾げていた。
(空間瞬焼沸弾と天羽々矢にビビったとか?)
そんな事を考えているアインの元に、偵察班を指揮しているマルコーニから無線連絡が入った。
『殿下』
「モンブランさん、どうしました?」
アインは無線機の応答スイッチを入れ、即座に答えた。
『援軍です、聖帝軍が動きました』
「聖帝軍が!? 本当に?」
この報告はアインも意外だったようで驚きの声を上げた。
『はい。疾風、紫電の混成部隊約二〇〇機がドルイル高地の麓に部隊を展開中です。ローソン騎士団も合流したとのこと』
その報告にアインは「良かった~」と呟きながらもホッと胸を撫で下ろした。実は天羽々矢の残りも少なく、空間瞬焼沸弾も残弾一発という状況で、それらを打ち尽くしたら残るは余り特異じゃ無いサーマルガンによる銃撃戦しかないと思っていたのだ。最悪メテロンバスターという手があるのだが、アインは出来れば使いたくなかったのである。
「しかし…… 二〇〇機とはまたレムザール宰相閣下も思い切った事をしますね。聖帝軍の現在のバストゥールのほぼ全数じゃないですか。よく元老院が許可しましたね」
『それがですね、聖帝軍に皇帝旗が掲げられているのですよ』
マルコーニの言葉に、アインは一瞬「へっ?」と短く呟きその意味を思い出す。皇帝旗は皇帝本人しか上げることを許されていないもので、皇帝の本陣である事を意味する。つまりそれが上がっていると言う事は、そこに皇帝がいると言うことである。
「って事はつまり…… わざわざ陛下がご出馬あそばしたって事!?」
そう聞き返すアインの声が驚きの余り上ずっていたが無理もあるまい。皇帝自らが軍を率いて出陣するなど二〇〇年以上無かった事であったからだ。
『ええ…… そうなりますね』
マルコーニも驚いているようで、その声は少しため息めいたものであった。
「驚いたぁ…… しかしまた何で……?」
『陛下もまた人の親だった…… って事なんじゃ無いですかね。皇帝陛下という立場であるだけに、色々とままならない事も多いのではと察しますよ』
そんなマルコーニの言葉に、アインは「なるほど……」と頷いた。
「確かにね。たかだか辺境の第二王子である僕でさえ、色々と肩書きが邪魔なときがあるもの…… 皇帝陛下となれば、そりゃもう僕なんかが想像出来ない苦労があるんだろうね」
『……ですね』
アインはそこでクスッと笑った。そんなアインにマルコーニは『殿下?』と声を掛ける。
「いやなに、なんかさ、ちょっと嬉しいなって思って。やっぱり親はどんな時でも子供を助けてあげるのが自然だよ。それがたとえ皇帝だったとしてもね。それが嬉しいのさ」
『ええ、まったくです』
そんなアインの言葉に、マルコーニも優しい笑みを浮かべていた。
☆ ☆ ☆ ☆
時は少し巻き戻る。
アイン達が聖都を出立した翌日、トルヌスは元老院が行う聖帝緊急特別会議なる物の招集を受けた。勿論今回のアイン達の行動について見解を聞く為だろう事は想像出来た。
会議にはトルヌスの他に聖帝軍総司令ブラウシス伯爵元帥、法務院長官ムラノ侯爵、王宮執務長ライマール侯爵の三人、それにソフィーまでも招集されていた。
「まったく…… アインノールめの独断専行は目に余ると言わざるを得まい。バストゥールの功績は認めるが、些か調子に乗っておる。あれ一つで何でも許されると思っておるなら大間違いだ」
元老院の一人がそう発言すると他の院委員達も「然り然り」と口を揃えて同意していた。
「たかが聖帝子爵、それにそもそもまだ一五歳の学生風情が…… 身の程をわきまえぬのも程が有るというものよ」
「思慮の無い暴挙、大方名を売る機会などとでも思っているのであろうよ。若いうちは何でも出来ると思うものよ」
老人達は口々にそんな事を言い失笑していた。ソフィーは膝の上に慎ましく置いた両手にぐっと力を込めるが、顔は冷静を装った。
(この方達は、何故笑っておられるのでしょう……?)
居並ぶ元老院の老人達を眺めながら、ソフィーはふとそんな事を考えた。
(わたくしの実の弟の命が…… その存在すら抹殺されようとしているのに……)
聖帝という巨大な国家を運営する為だけに存在する八人の議員達。聖帝法の番人にして、聖帝の最高意思決定機関。その裁定には例え皇帝でさえも無視出来ない、サンズクルス聖帝の中枢を回る大歯車……
聖帝元老院。
その大きな歯車は、挟まった弟アムラスの命など簡単に噛み砕いてしまう……
歯車に人の心など、端から存在しないのかもしれない……
そんな思いに、ソフィーは自分の無力さと心細さを味わう。
「却下じゃレムザール宰相殿。援軍など認められぬ。そもそもアムラス殿下はさらわれてなどおらぬ。子供の妄想に付き合う事もあるまい」
「然るに…… そんな妄想に我ら元老院をが付き合わされたのじゃ。この罪をどう償わせるべきかな、諸君?」
「学院籍の除籍、聖帝爵位の降格といったところかのう……」
そう言って頷く議員達に、トルヌスは驚いて声を上げた。
「な、何を言っている!? あれらは学生でありながら、幼いアムラス殿下を救おうと命懸けで彼の地へ向かったのだぞ? 本来なら我ら大人がしなければならない事を、アムラス殿下をお救いしたいという気持ち一心で…… それをあなた方は責めるというのかっ!?」
「控えよ、宰相殿。そもそも貴殿等が事前に彼の者と顔を合わせておきながら、止められなかった事にも責任があるのだぞ? そこのところを良く察せられよ」
顔を紅くして言を述べたトルヌスに議長役の議員はそう答えた。
「若者が間違った道を選ばないよう諭すのが、貴殿の言う『大人がしなければならない事』であろう?」
議長の隣に座る老人もそう追従して言った。
「しかし、ドルスタイン上級学院の質も落ちたものよのう…… そもそも平民や下級貴族などを入学させるから妙な思想が生まれるのではないかな? 学院長の処罰も考えねばなるまいて……」
そんな議員達の会話にトルヌスは沸き起こる怒りを抑えるのに苦労していた。
「いやいや諸君、アインノールめも男子、皇女殿下の前で格好をつけたかったのでは無いかな? ソフィー殿下は歳もお近い上に、何よりお美しい。彼奴がそう思っても無理もあるまいて……」
一人の議員がそんな事を言うと、他の議員達はニヤニヤと笑いながらソフィーを見た。ソフィーはその言葉と視線に怒りを覚えた。
「あ、アインは…… あの方はその様な考えを持つような方ではありません!」
そう言うソフィーに議員達の視線は冷ややかであった。
「まあソフィー皇女殿下もお年頃ですからな……」
そんな一人の議員の言葉に、再び場に失笑が回った。ソフィーは悔しさに奥歯を噛みつつ、膝に置いた手を胸の前でグッと握りしめ静かに立ち上がった。
アインが出発する前にドルスタイン学院の学院長室で、ソフィーはアインと目が合った。その時にアインが自分を見る、呆れた様な表情をしていたのを思い出す。その視線に耐えられず、ソフィーは目をそらしていた。
(あの時、アインは怒っていたのね。アムラスを見捨てる聖帝の大人達と、そしてそれを仕方ないと諦めてしまった私に…… 弟を見捨てようとしていた私に、アインは本気で呆れていたのよ)
『ーー別に皇女殿下の弟君だからって助けるわけではありません。だから貴女が頭を下げる必要はありませんよ』
あの日アインが言った言葉が、ソフィーの耳に蘇った。
自分が皇女だからと言って、アインは決してソフィーに遠慮はしない。年下でありながらも自分の信念を率直に述べ、本音でソフィーに話してきた。
そのアインが議員達の言う様な考えで動く訳がない。確かに自分はアインに惹かれているかもしれないが、あの少年はもっと別の行動原理で動いている。知識や頭脳は並み外れた物を持っているが、身体や性格は多分戦いには向いていないだろう。しかしそれでもアムラスを救おうとするアインの姿は、ソフィーが幼い頃から話し聞かされてきた『騎士』そのものだったのである。
(あのアインこそ、真の騎士なんだ…… アイン、貴方のその勇気を私に頂戴っ!)
ソフィーは深呼吸をして静かに語り出した。
「私は以前、あの方に始めて会った時、『悪魔』と罵りました。電磁甲冑機兵という恐ろしい兵器を作った事を責めたのです」
急に立ち上がったソフィーに、一瞬何事かと訝しんだ議員達だったが、ソフィーが語り始めると失笑していた議員達も耳を傾けた。
「そうしたら『火事が怖いから火を使うなと言っているのと同じ事だ』と逆に言われてしまいました。その時は腹も立ちましたが、あの方はバストゥールの力を使って聖帝領の安寧秩序を保とう考えたのだとわかりました。この聖帝の未来を見据えた物だったのです。私は何も解っていなかった……」
ソフィーのその言葉に、トルヌス達は静かに頷いた。
「あの方がアムラスを救うと言った時、私は溜まらず『弟を頼みます』とお願いしてしまいました。悪魔と罵ったのにも関わらず、恥知らずにも程が有ると自分でも思います」
ソフィーはそう言って目を伏せた。そして再び顔を上げ、議員達に目を向けつつソフィーは続けた。
「しかしあの方は、そんな私に『貴女の弟だから救う訳じゃ無い、だから貴女が頭を下げる必要は無い』と…… そう仰いました。あの言葉を聞いた時から、私はあの方を信じる事にしたのです。その様なことを言ってのける方が、自分の名声や、ましてや私の感心を惹く為に事を起こすでしょうか?」
すると一人の議員が「ふんっ」と鼻を鳴らしてソフィーに言う。
「それが方便だと言うこともあるのでは無いですかな? 皇女殿下」
そう返す議員を、ソフィーは睨む様に見つめた。
「ならば…… 貴方は行ってくれましたか?」
「な、何を……?」
その議員はソフィーの言葉に虚を突かれたように驚いてそう返した。
「私がお願いしたら、成功する可能性がとても低いと解っていながら…… しかも処罰されると解っていても、アインの様にあの子を助けに立ち上がってくれましたか?」
そんなソフィーの言葉に発言したその議員「あ、いや私は……」と口籠り目を反らした。
「アインはさらに『自分達は子供で、そんな自分達がやることだから、もし失敗しても聖帝政府には責任は無いと言えるでしょ』と言いました。そこまで言ってアインは出て行ったのです! 今の聖帝に、そこまでの覚悟で王を救おうと考える者がいかほどいるでしょう?」
ソフィーの頬に、一筋の雫が流れる。そんな彼女が語るこの場に、もう笑う者は居なかった。
「アインは自分は騎士じゃないと言いましたが、彼こそが、私が幼き頃からずっと聞かされてきた騎士そのものだと…… 私はそう思います」
ソフィーがそこまで語ると、今度はトルヌスが机をバンっと叩き立ち上がった。
「私は…… 本日今を持って、宰相の任を辞退いたす!」
そう言い放つトルヌスに、一同は目を丸くしてトルヌスを見た。
「さ、宰相殿、何を……!? 気でも触れたか!?」
そう言う議員に、トルヌスはギラリと目を光らせた。それは宰相としての政治家の視線では無く、戦場を経験した戦士の目であり、何も言い返せない迫力があった。
「主を救わずして何が家臣か? 何が忠臣か……? 私はマスカル国主として…… いや、一人の騎士として今からアインノール率いるローソン騎士団の援護に赴き、アムラス皇太子の救出を助ける!」
するとその横に座ったブラウシスもまた、同じように立ち上がりニヤリと笑った。
「奇遇じゃな、トラヌス。儂も今同じ事を言おうと思ったところじゃ」
「閣下……」
そう言うトラヌスもまた苦笑していた。それを聞いた議員達は驚きの余り声も出ない様子だった。
「議員殿、儂はこのことをありのまま軍の将兵達に伝えるつもりだ。その上で儂等に付いてきたいと申す者だけを連れて行く。さて…… どれだけ付いてくるのか、見物だな?」
ブラウシスは何故か嬉しそうにそう言った。
「馬鹿な、相手はマルゴーンのドミター大公ぞ!? 未曾有の内乱になるのは必至じゃ! 二人とも考え直すのじゃ!!」
そういう議員に、ブラウシスは鼻で笑ってみせた。
「子供の命と引き替えに守る平和など平和にあらず。それにいかほどの価値があろう? 儂はどんなに落ちぶれようと、子や孫達に胸を張って生きていきたい。お主はそうは思わんか?」
そう言うブラウシスに議員達は何も言えなくなってしまった。とその時、会議室のドアが開き一人の人物が入ってきた。その人物にその場に居た一同は全員が目を丸くして驚いた。
「お、お父様……!?」
入ってきたのはソフィーの父にして、第一七代サンズクルス皇帝、デリムト・マキアヌス・サンズクルス一四世その人であった。
「トルヌス、そしてブラウシスよ、そち達二人が揃って要職を離れては国が立ちゆかなくなって仕舞うであろうに……」
デリムトはそう言って二人を見た。二人は「ははっ!」と膝を折り頭を下げた。
「ソフィー…… 今回はそなたと、そのアインノールと申す者に教えられた。そなたがアムラスを想う気持ちと同様に、余もまたアムラスを想っている」
デリムトはそう言ってソフィーの頭を撫でた。ソフィーは「お父様……」と呟きながらそっと指で涙を拭った。
「元老院議員達よ…… 余はアムラスを救いたい」
デリムトがそう言うと、議員達は「陛下、しかし……」と呟き、お互いに顔を見合わせる。
「親が子を助けるのに、何か理由が必要か? お主等も人の親ならば、この気持ちを汲んでくれまいか? 余はあの子に父親らしいことを、ついぞしてやった覚えが無い。だからせめて、一度だけでもしてやりたいのじゃ……」
そんなデリムトの言葉に、代表で議長役の議員が立ち上がった。
「わかりました。陛下の御意志のままに……」
そう言う議長に、デリムトは「ありがとう」と声を掛け、改めてこの場にいる一同に顔を向けた。
「余は自ら赴いて皇太子アムラスを救う。これは勅命である。明朝日の出と共に出発する。各々支度せよ!」
デリムトのその言葉を聞いた一同は「ははっ!!」と叫び、トルヌスとブラウシスは放たれた矢の如く部屋を飛び出していった。何しろ皇帝自らの出陣など二〇〇年ほど無かった事である。この後、トラヌスとブラウシスの二人は目の回るような忙しさと共に日の出をむかえることになった。
一方デリムトは一気に慌ただしくなった会議室であっけにとられて立ち尽くすソフィーに声を掛けた。
「ついでにそなたの想い人とやらの顔も見てくるとしようかのう……」
「お、お父様、何を仰るのです!?」
そう言って頬を染めるソフィーを和やかに眺めるデリムトの顔は、優しい父親のそれだった。
こうしてアイン達が聖都を発ってから二日後の朝、急遽編成された皇帝率いるアムラス皇太子救出部隊バストゥール二〇〇機は、オズマイル将軍の北部方面第二師団を随伴して聖都を出発したのだった。




