6. 伯爵令嬢
応接室でくつろいでいた一行は、不意にドアの向こうから下働きの娘に声を掛けられた。
「あの、失礼します。これはどちらに運べば良いのでしょう?」
彼女はそう言って、自分の後ろで手伝いの男が持つ大きな箱を指した。
「あ、それは僕の荷物なんです。僕が使う部屋に運んでください」
アインはその箱を見てそう言った。するとマルコーニが「あれは何ですか?」とアインに聞いてきた。
「あれは『風力発電機』っていう『機械』です。風の力を使って『電気』を作るんです」
そんなアインの言葉にマルコーニは首を傾げる。彼はアインの言ってる事が理解できなかった。もっとも、元々現在のカレン界の文明レベルでは『電気』という物の存在を観測できないので無理もない。
「キカイ? デンキ……? 何ですか、それ?」
そんなマルコーニの質問にアインはちょっと困った顔をした。
(ミファに初めて話した時と同じだな……)
「機械というのは、いろいろな部品を組み合わせて様々な事をするための道具…… と言えば良いかな。それで電気というのはこの自然界に存在する『電荷』という原子が移動する際に起こる物理現象のことを言います。あの発電機という機械は、その電気を生み出す道具ですね」
アインはそう言いながらも眉を寄せるマルコーニの顔を見ながら(たぶん解ってないだろうな……)と心の中で呟いた。
「本来電気は目に見えない物ですから、よくわからないかもしれませんね。まあ、研究すれば便利に使える結晶術のようなものって思ってください」
そんなアインの説明に、マルコーニは「はあ……」と曖昧に呟いた。アインが何を言っているのかほとんど理解できなかったのだ。
数日後、アインとミファは聖都に来た最大の目的であるドルスタイン上級学院に入学した。
帝立ドルスタイン上級学院は、第三代皇帝ドルスタイン・バル・サンズクルスによって創設された、主に貴族の子供達を教育する修学施設である。
貴族のといっても、最近では豪商などの裕福層の子供なども通うようになっており、聖帝領において最も有名な名門学校であった。もっとも入学金も一流の名に恥じないもので、各国の王族の子供や貴族、それに豪商の子供でないと入学出来ないといったものであった。
一般修学の他に、政治学、経済学、戦史・戦術学、魔法力学、鉱物学等々、様々な学術の研究機関でもあり、地球で言うところの高等学校と大学をまとめたようなものである。
修学課程は四年で、さらに細分野研究に進む事もこともできる。入学年齢の制限は特に設けられておらず、入学自体は一定の学力水準に達していれば可能だが、一般的には一三歳から一五歳程度の入学者が多かった。
アインは今年一四歳。ミファは一五歳であり一般的な入学年齢であった。また二人とも入学、修学にかかる費用は全て国元の国庫から出ている。これは、アインはまあ当然であるが、ミファは本来実家であるトラファウル家が出すのが当然なのだが、今回、アインの護衛兼学友という理由でアインが父でアル国王にごり押ししたためであった。そんなわけで、今回二人は同級生として学院に入学したのである。
入学式当日、アインとミファはマルコーニの用意した馬車で学院の正門まで送ってもらった。
アインが馬車から降り立ち、続いてミファが降りたのだが、どうもミファは落ち着かない様子で周囲を見回していた。
「どうしたの、ミファ?」
アインがそう声を掛けると、ミファは少し赤い顔をして俯いていた。
「あ、あの、この制服がいささかその…… ふわふわしすぎてると言いますか……」
そう言ってミファは制服のスカートの裾を押さえている。どうやら普段履いたことの無いスカートがどうも落ち着かないようだった。
「どうにも落ち着きません。そ、そもそも私は騎士を志す身であって、こんなフワフワした物を履いて剣は振るえません」
そんなことを言うミファに、アインは苦笑する。
(あっちの世界じゃ、その姿で斬られたヲタクは『ご褒美です』とか言いそうだけどな)
と心の中で妙なツッコミを入れていた。
ドルスタイン上級学院は聖都に制服制を採用しており、生徒は全員制服着用が義務づけられている。
制服は男子がインナーにワイシャツとベスト。上着は白地に薄い青の縦縞ブレザーで下はグレーのスラックス。女子は柄が一緒のブレザーに、腰のあたりが仕舞った形の細身のブレザーとグレーのスカート。そして紺色のハイソックスと皮のローファーだった。それと女子には襟元にブルーのリボンが付いてる。
その姿はこの世界では中々無いファッションで、この制服が生徒達にはドルスタイン上級学院の生徒出ある事の証といったある種のステイタスじみた感覚を植え付けていたのだが、アインにはその白地に青の縦縞が、異世界である日本にあったコンビニエンスストアの制服に見えてしまい、正直微妙な感覚なのだった。
が、しかし、ミファの制服姿は、彼女が普段男装っぽい出で立ちであるので新鮮であり、また素材の良さも手伝って可愛らしかった。
「出来れば私も殿下のようなズボンが良かった……」
恨めしそうな目で見るミファにアインは「無理言わないの」と答えた。
「でもミファってば、よく似合ってるよ~」
そう言うアインに「か、からかわないでください!」と赤い顔で返すミファだったが、密かに想っているアインに『似合っている』と言われるとやっぱり嬉しいようで照れてしまっていた。そんなミファをアインは可愛いなぁと思うのだが、はっきり言ってアインは彼女を恋愛対象として見てはいない。
現在ミファはアインの一つ上の年齢なので、実際には年齢的にも似合いの男女だが、アインの中身は、前世の年齢を合わせれば四〇歳である。日本で言えば二回り以上違うわけで、しかも日本なら犯罪になりかねない年齢差なのだ。つまりミファを見るアインの胸中は、叔父が幼い姪っ子を可愛く想うそれに近い心境なのであった。
「で、殿下も良くお似合いです」
かろうじてミファはそうアインに言う。するとアインは「そう?」と良いながら両腕を広げてその場でくるりと回って見せた。少し長めの栗毛がふわっと浮き上がり、日の光を浴びて光っている。小柄なせいか、若干大きめに見える男物の制服と可憐な少女の様な顔のギャップが妙な空気を周囲に振りまき、ミファは一瞬声を詰まらせてしまった。
そもそもこの二人、制服を逆転させてもなんの違和感が無い。アインは小柄で少女のような容姿を持ち、ミファは女ではあるが、元来騎士志望で普段の立ち振る舞いは男のそれである。制服で正門前に立つ二人は、端から見ればどちらが男子で、どちらが女子なのか解らなくなってくるのだ。その証拠に、登校してくる生徒達は全員二人に不思議な視線を送っていたのだった。
そんな微妙に居心地の悪い視線を浴びつつ二人は入学式の行われる講堂へと向かった。
学園内は二人と同じように入学式に出席する新入生で溢れかえっており、二人はそんな混雑した人をよけながら歩くのに苦労していた。
「新入生ってこんなに居るんだ……」
人をよけつつ前を進むアインが呆れたようにそう呟いた。周囲は真新しい制服を着た生徒とその家族や、そのお供の騎士や下働きなどが連なり、ちょっとしたお祭りのような様相を呈している。
アインも小国とはいえ一応王族なので、本来ならお供の騎士や下働きの者を連れてくる身分であるのだが、元々そう言う貴族然としたノリが好きでは無く、たかが入学式でお供なんていらず、警護もミファのみで充分と言って身辺警護騎士であるオリビトン達や、荷物持ちの下働きの者達を領事館においてきていた。
(まったく、たかが学校の入学式にそんなにお供引き連れてきて…… お前等いったいここで何するつもりなんだ?)
アインは心の中でそんな呟きを漏らしながら、共を一〇人以上連れて顔見知りと話し込んでいる貴族の子供に呆れたような冷ややかな視線を投げかけならが通り過ぎていった。
「で、殿下、済みません、もう少しゆっくり歩いていただけませんか? 見失って仕舞いそうで……」
と後ろを歩くミファから声がかかる。前を行くアインはスイスイと人を避けながら進んでいく。もっともこれは東京のラッシュ時の駅などで自然に身についたスキルである。それに加え小柄なので人混みに紛れてしまうと見えなくなってしまうのだ。ミファはアインを見失いまいとついて行くのだが、どうも制服のスカートが気になってしまい思うように動けなかったのだった。
「ああ、そっか。ゴメンゴメン」
「――――あっ!?」
アインは立ち止まって振り返り、そう言ってミファの手を握ると、またスタスタと歩き出した。それは突然の事で、ミファは頭の中が真っ白になってしまった。
「あ、ああ、あの、て、てて、手が、で、でで、殿下、あの――――!?」
自分でも何を言っているのかよくわからず、自分の手を握るアインの手の温もりが、鼓動を爆発しそうなほど高めていく。結局動悸が早すぎて何一つ言葉にならないミファは、顔を赤く染めながらアインに引きずられるようにして歩いて行くのだった。
しばらくそんな調子で歩いていると、そんな二人に掛かる声があった。
「そこのお二人さん」
アインがその声に気付いてそちらに振り返ると、そこには長い黒髪を後ろで束ねた女生徒が立っていた。アインに手を握られ、心ここに在らずと言った様子で顔を赤くして引きずられる様に歩いていたミファだったが、この時はアインの手を離して、その女生徒からアインを隠すようにして彼の前に立った。反射的に腰に手が行きそうになるが、学園内では帯剣は御法度なので慌てて右手を広げ自身が盾になるようアインを庇う。
「あらあら、さしずめ『姫を守る騎士』と言ったところかしら?」
彼女はミファのその対応を見てクスっと笑いながらそんなことを言った。ちなみに『姫を守る騎士』というのは有名な芝居演目に登場する騎士の事で、騎士を『リッデル』と呼ぶのも少々古風な言い回しである。
「でも両方美しいとなると、女騎士ってのも中々に絵になるものね。ふむ…… 今年の演劇部の演目ネタにしようかしら……」
その女生徒はさらにそう言って腕を組み考え込むような仕草をする。
「失礼ですが、何かご用ですか? 『高貴なるお嬢様』」
そんな彼女に、ミファもまた相手に合わせてか古色を帯びた言葉で、少々芝居ががった言い回しをした。するとその女生徒は右手を口に添え、おかしそうにまたクスクスと控えめに笑った。
「ここは聖都の帝立ドルスタイン上級学院。サンズクルス聖帝陛下のお膝元であり、聖帝最高学府である学舎に不穏な振る舞いを行う者などおりませんわ」
そんな彼女の言葉にミファは少しばかり肩の力を抜く。するとそんなミファを見ながら、その女生徒は優しい微笑みを投げかけた。
「こんにちは、新入生さん。私は聖法科四年、ミスリア・シャル・レムザールと言います」
彼女のその言葉にアインは気になる性を聞いて考える。
(レムザール……? ああ、なるほど。この方があのレムザール伯爵の……)
「これは伯爵令嬢とは知らず無礼な振る舞い、申し訳ありません。私はデルフィーゴ国の騎士一門、トラファウル家当主、マウディー・トラファウルが娘、ミファ・トラファウル準騎士と申します。我が主のアインノール王子の小姓を務めます我が身なれば、主の学友兼近衛騎士として入学いたした次第でございます」
ミファも相手が何者であるかに気づいて慌てて膝を折り、ミスリアに対してそう恭しく口上を述べた。
「ふふ、ミファさん? そんなかしこまらなくても良いわよ。ここではただの先輩、後輩だもの。まあ中には爵位持ちで身分や家格を鼻に掛ける生徒も居るけどね。私のことはミスリア先輩って呼んで」
そんなミスリアの物言いにミファは少々面食らって「はあ……」と答えていた。
「……ん? あれ? ちょっと待って。ミファさん、貴女さっき王子の小姓って言った?」
不意にミスリアは形の良い眉を寄せて跪くミファの後ろに立つアインを見る。そしてアインの制服姿を上下に見直し、徐々に驚きの表情になっていった。
「うそ? うそうそ!? あ、あなたもしかして男の子なのっ!?」
口元を両手で覆い、ミスリアが驚いた声を上げると、アインは少し困ったように愛想笑いをしながら丁寧に腰を折りお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。デルフィーゴ王国第二王子、アインノール・ブラン・デルフィーゴと申します。見知りおき願います、お嬢様。いや、ミスリア『先輩』でしたね」
そう言って微笑むアインの笑顔は、まことに可憐な少女のそれであった。