55. 天に昇る龍の如く
時間は少し巻き戻る。
マルゴーン王国を治めるパクサス・ドルイル・ドミター・マルゴーン聖帝大公は、妙な振動で目を覚ましたが、昨日遅くまで同志達との『打ち合わせ』と称した宴を催したせいで、意識はボンヤリとした微睡みの中にあった。
それでもそんな振動が複数続いた事を不審に思ったパクサスは豪奢な寝台から起き上がると、隣に眠る五人目の側室を起こさぬようにしながら、枕元に掛けてあったガウンに袖を通しつつ窓口に立った。
「何の騒ぎじゃ全く……」
パクサスはそう呟き小さくカーテンをめくり外の様子を眺める。
この部屋は今寝台に眠る寵姫に与えた別室で、この翡翠城自慢の中央庭園である七色蝶苑を一望できる眺めの良い部屋である。その眺めに寵姫も大層気に入っていた。
「な、な、何だこれは……っ!?」
カーテンの隙間から庭の様子を見たパクサスはそう言って絶句する。何故ならそこには信じられない光景があったからだ。
庭には四機の武装したバストゥールが歩き回っており、パクサス自慢の美しい庭園は、バストゥールの足で踏みしだかれ、無惨な姿を晒していたのである。
そんな状態の中庭を唖然として見ていたパクサスだったが、のしのしと歩くバストゥール達の一機、紫色の機体の目がギョロっとこちらを見て、カーテンの隙間から覗くパクサスと目が合った。その瞬間、パクサスの背中にゾワゾワとした何かが履い身を震わせた。そして完全武装した正体不明のバストゥールとこんな至近に居ることが危険であることにようやく気付いた。
「だ、誰かっ! 誰かあるっ!!」
パクサスは窓から離れてそう叫んだ。その声に寝台の寵姫は「何事です?」と言いながら身を起こした。
程なくして部屋がノックされ「陛下!」という声がドアの向こうから聞こえた。パクサスは間髪入れずに「入れ!」と返した。
すると「失礼します」という声と共に三○代半ばであろう騎士が入って来た。その騎士を見て寝台の寵姫は小さく悲鳴を上げ、はだけた胸元をシーツで隠し、騎士は反射的に目を逸らした。
だがパクサスはそんな事には気にせず、「何事だ!?」と聞いた。
「はっ、城内に賊が侵入しました。賊はバストゥール四機を用いて……」
「そんな事は見ればわかるわ、戯けめがっ! その窓の下で我が庭園を我が物顔で闊歩しておるっ!!」
パクサスは唾を飛ばしながら騎士を怒鳴りつけた。
「何故ここまで侵入を許したかっ!? 見張りの者は何をやっておったのだっ!」
「お、恐れながら陛下、その見張りの者が妙な事を口走っておりまして……」
そう口ごもる騎士にパクサスは「何じゃ、申してみよ!」と詰問した。
「はい、あの四機のバストゥールは、空から降って来たと申すのでございます」
その騎士の言葉にパクサスは耳を疑いもう一度訪ねた。
「で、ですから、空から直接庭園に降りてきたと……」
「貴様…… それを儂に信じよと申すのか? 儂を馬鹿にしておるのか?」
パクサスはそう言って騎士を睨んだ。すると騎士は慌てて弁解する。
「い、いえそのようなことは…… ですがそれを申しているのは一人ではありません。他の見張りも、庭横の通路を歩いていた下働きの者も皆、口を揃えてそう言うので……」
するとパクサスは「もう良いわ!」と言うと寵姫に声を掛けた。
「お前も急いで支度しろ、ここは戦場になるやもしれん」
パクサスがそう言うと未だに寝台の上で欠伸をしていた寵姫は慌てて寝台から降りると隣の部屋へと飛び込んだ。それを見つつパクサスは騎士に指示を出す。
「とにかく直ちに賊の迎撃に入れ。一人も逃がすでないぞ!」
そんな怒鳴るようなパクサスの声に騎士は「はっ!」と返事をして部屋を飛び出して行った。そしてそれと同時に数名の騎士が部屋に入り跪いた。
「陛下、ここは危険です。直ちに玉座のある黄金宮へご移動下さい」
そんな騎士達の言葉にパクサスは頷くと、丁度奥の部屋から寵姫も出てきた。二人は騎士に囲まれながら部屋を後にした。
(しかし何処の手の者だ? 何が目的だ? たった四機でここに侵入して、無事に帰れるとでも思っておるのか?)
パクサスは歩きながらそう考える。現在アムラスを押したてて聖都へと進むための準備で、この城には『さる御仁』の援助もあり多くのバストゥールがある。
(たった四機など蟻の様に踏み潰してくれる……)
パクサスは歩きながらそう呟き、口の端をニヤリと吊り上げたのだった。
「空から降って来ただと? 何を馬鹿な事を……」
☆ ☆ ☆ ☆
駐機姿勢の白龍の背中から降りたラッツは、急いでアムラスとフーリーに駆け寄った。
「お怪我はありませんか? 殿下」
そう言うラッツにアムラスは「はい」と礼儀正しく答える。そんなアムラスにラッツは頷いた。
「先ほどローソン騎士団と名乗っておられましたが、あなた方はいったい……?」
「我々はドルスタイン上級学院の者です。あの紫のバストゥールに見覚えがありませんか?」
ラッツはアムラスの質問にそう答え、ミファの咲耶姫を指した。するとアムラスは「ああ!」と嬉しそうに頷いた。
「では、アインも来ているのですか?」
「ええ、近くに来ています。この作戦はアインが殿下を助ける為に行っているのです」
そんなラッツの言葉にアムラスは驚いた。
「そんな…… 軍ならまだしも、なぜあなた方がそこまで……」
「それはもちろん、仲間を助ける為だからです」
ラッツの言葉にアムラスは「仲間?」と首を傾げた。
「この作戦を立てた時にアインが言ったんです。『僕たちが助けるのは皇太子殿下じゃなくて、未来の後輩殿だ』って。ならば殿下は我々の仲間です。そうでしょう?」
その言葉にアムラスは目を潤ませながら「はい!」と元気よく答え、はにかむように笑った。その笑顔は素直で子供らしい、極上の笑顔だった。
(やっぱり俺たちはこの子を救いに来て良かったよ、アイン……)
そんなアムラスの笑顔を見ながら、ラッツは心の中でそう呟いたのだった。
「ならば後輩殿、急いでここを脱出します。ちょっと窮屈かも知れませんが、私の白龍に乗ってください」
ラッツがそう言うとアムラスは頷いて白龍の背中に登ろうと装甲の隙間に足を掛けた。そんなアムラスを下から押し上げつつ、ラッツはフーリーにも声を掛けた。
「フーリーさんは別の機体に乗ってください」
しかしフーリーは首を振った。
「いいえ、私のことはお気遣い無く。一人でも充分脱出出来ますから」
そう言ってフーリーは懐から薄く小さな銀色の板を取りだした。ラッツはその銀色の板に見覚えがあった。
「それは、もしや結晶回路?」
ラッツの言葉にフーリーはニコッと微笑んだ。
「ご名答。アインノール殿下にいただきました。なのでこういう風に身を隠すなど造作も無いのですよ……」
そう言っている間にフーリーの身体が、ラッツの見ている前でまるで空気に溶けるかのように消えていった。
もちろんこれは結晶術である。蜘蛛の潜入工作員は結晶術を使うことの出来る者が数多く在籍している。彼らにはアインの開発した結晶回路が与えられており、電撃術によって起動させ簡易的な術なら行使可能なのである。
『これはアインノール殿下が開発した新しい術式で『光学隠行』と言います。何でも光の屈折を利用して、人間の目には見えなくする結晶術だそうですよ』
唖然とするラッツとアムラスの耳に、四方からフーリーの声が聞こえてきた。恐らくこれも結晶術によるものだろうとラッツは考えた。
「フーリー!」
するとアムラスがそう叫んだ。
「フーリーの言ったとおり、本当に助けに来てくれたよ。本当に短い間だったけど、僕を励ましてくれて…… 一緒に居てくれてありがとう。僕はフーリーのこと忘れないよ」
そう言うアムラスの耳に、再びフーリーの静かな笑い声が響いた。
『それはいけませんよ、殿下。私は『忘れ鶏』…… 人の記憶に残らない者。再びお会いしても、殿下は私のことを忘れております。恐れながらそういう術を掛けさせていただきました』
「そんな……!?」
そう告げるフーリーにアムラスは唇を噛む。
『……ですが、私は覚えています。私が生きている限り、殿下のことは忘れません。無事なご帰還をお祈りしております。そしてこれからもどうぞお健やかに。良き王様におなりください……』
「フーリー…… 貴女も、元気で……!」
一抹の寂しさを残しつつ、アムラスはそう彼女に別れを告げた。
その声が消えると同時に、微かに残っていたフーリーの気配も消えていった事を感じたラッツはアムラスに「行きましょう」と操縦席に誘った。するとアムラスは一瞬目を閉じ、再び目を開けて「……わかりました」と答え操縦席に潜り込んだ。
「不思議な女性だった。結局、何者だったのかさっぱり解らないが……」
ラッツはそう呟き、アムラスの後から操縦席へと潜り込んだ。そして操縦席に座る頃には、その女性がどんな顔だったかも思い出せなくなっていたが、さして気にせずに操縦桿を握りエンジンを始動させた。
「窮屈かも知れませんけど、少し我慢してください……」
ラッツはそう言いながら白龍を立ち上がらせ、同時に無線機のつまみを回して呼びかけた。
「こちらスターツ、『後輩殿』の救出成功。全機、これより脱出する!」
すると各機から『了解!』の返信が返ってきた。とその時、南側の入り口から一機のバストゥールが庭園に飛び込んできた。全体的に黄色ががったカラーリングで装甲の端々に金色の飾りが施されており、お世辞にも趣味が良いとは言い難い疾風である。恐らく王宮警護の騎士達の駆る機体であろう。
その機体に即座に反応したのはやはりミファであった。
ミファは咲耶姫のガンバックラーを掃射しつつ一瞬で間合いを詰め、右手で握った幻象鋼刀景光を振るった。
キィィィーン……っ!
と澄んだ高い音と共に、黄色の疾風に装備された盾が、左腕ごと真っ二つになり地面に落ちる。ガンバックラーに搭載されたサーマルガンで牽制し、相手が盾で防いだ隙に接近して刀で斬ると言う戦法もさることながら、真に恐るべきは左腕を盾ごと一刀のもとに切り落すミファの天人流の冴えであると言えよう。恐らく切り落とされた疾風の中の機操士は何が起こったのかも解ってはおるまい。
ミファは続けて左手でもう一本の刀を腰から引き抜き、慌てて剣を引き抜こうとした疾風の右腕を肘のあたりで両断すると、続いて右手の景光で左足を切断した。
黄色の疾風はまるで糸の切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちた。
それを見ていたラッツ、マージン、パリュの三人は唖然としていた。
「お、俺さ、トラファウルと仲間で良かったって、今心底そう思うわ……」
そう言うマージンの声には明らかな怯えの色があった。するとラッツも「俺も全く同感だ……」と同意の言葉を吐いた。するとそこにミファから通信が入った。
『先輩、現在の翼竜機甲の残燃料で王都の南門まで飛べますか?』
ミファのその質問に、ラッツ翼竜機甲の燃料計に目を走らす。
(噴射時間は四、五秒と言ったところか…… 高度が取れないと少し苦しいな)
そう考えるラッツの沈黙に、アムラスは心配そうに訪ねた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
そう言って自分を覗き込むアムラスを見てラッツは考える。
(何の取り柄も無い俺だが、一度くらい死ぬ気で格好つけてみるか……!)
「届く! 届かせてみせるっ!!」
ラッツは無線機にそう叫んだ。するとミファから『了解です!』と答えが返って来た。
『ここは私たちが引き受けます。先輩は後輩殿を連れて一足先に飛んでください。クラントとコーザインは私と白龍の援護を!』
『了解、任せてくれっ!』
とパリュが
『行ってくれよ、たいちよーっ!』
とマージンが、次々に庭園内に現れる疾風と剣を交えながらも叫ぶ。そんな後輩達の言葉にラッツは胸を熱くしながらも「頼むぜ!」と返して翼竜機甲のレバーに手を掛けた。
「殿下、しっかり捕まっててくださいね!」
「え? あ、ああ…… はい!」
アムラスの答えを聞き、ラッツは透影板越しに見える建物を睨むと、足元のペダルを踏み込んだ。白龍はその建物に向かって加速した。
「行くぞぉぉぉっ!」
ラッツがそう吠えると、座席下の電磁エンジンの甲高い音が更に音階を上げ、循環ポンプが高速に回転する。するとラッツはこれまでに感じた事がない程の、白龍との一体感を感じた。まるで白龍の手足に自分の神経が繋がったかのような錯覚さえする。
操縦者である機操士の脳波から行動イメージを読み取り、生体エネルギーであるエナを吸収して稼動するシステムを搭載する電磁甲冑機兵である。機操士ラッツの強烈な意志を感知した白龍は、受信した主のイメージを忠実に再現しようと、更に細部に渡って情報を得ようとするのである。
そんな結晶回路からのフィードバックの様な現象によって、機操士は乗っている機体にあたかも自分の血が通う様な錯覚を覚えるのであった。
人馬一体ならぬ人機一体と言ったところだろうか。後にベテラン機操士の間で『バストゥールは心で乗れ』などと言う言葉も生まれる事になる。
ラッツの強い意志を感知した白龍の脚部の鋼線筋肉繊維が隆起し、内部に力を溜め込む。そして建物の手前でその力を一気に解放した。
まず庭園に面した廊下の屋根に跳び、続いてテラスに跳び、そして最後に屋根に跳んだ。軽量機である紫電ならではの動きだが、それでもゆうに二四フィメ(約一二メートル)はある建物の屋根にバストゥールで跳ぶなど簡単にできるものではない。
屋根に乗ったラッツは、そこから屋根の上を二、三歩駆けて更にそこから跳んだ。
『飛べよぉぉぉ――――――っ!!』
白龍の拡声器からラッツの雄叫びが響き渡る中、白龍の背中に装備された電磁ロケットが轟音と共に火を吹き、純白の装甲の白龍が大空へと駆け上がる。それはまさしく機体の名前に相応しい神話に登場する伝説の『白龍』のようであった。
一方ロケットエンジンが放つ暴力的な音にマルゴーンの騎士達はギョッとして白龍を見上げ、目の前に展開する光景が信じられないと言った様子で唖然としていた。
「バ、バストゥールが、空を、飛んだ……!?」
黄色の疾風の操縦席で、マルゴーン騎士は正面上部に備えられた投影パネルに映る、煙を上げて空へ上昇する白龍の姿を見つめながら、そんな呻きにも似た呟きを漏らすのだった。




