5. 聖都領事館
聖都に着いたアイン一行は、そのままデルフィーゴ国の聖都領事館へと向かった。
聖帝領と呼ばれる西邦の一〇カ国は、すべからくこの聖都ノルマンに領事館を置いている。領事館には領事事務官が常駐しており、自国民の保護、査証の発行、証明書の発行、他国の情報収集、友好親善といった外交業務を行っている。
領事事務官には、本来聖帝で定める子爵、または準子爵の爵位を持つ者が赴任するのが一般的だが、デルフィーゴ国のように辺境にあって、しかも弱小と言ってもいい国力の国は男爵クラスの人間が領事館の館長を務めていた。ましてやデルフィーゴ国は国王であるアイバン・ブラン・デルフィーゴは齢六八歳と高齢であり、聖帝子爵を持つ第一王子のノイン・ブラン・デルフィーゴがその補佐を行っているので国元を離れることが出来ず、聖帝準子爵のアインノールに至っては現在一四歳である。そう言った人員の不足もあって聖都領事事務官は最低限、聖帝男爵を持つ者が派遣されていたのである。
アイン達一行が領事館の門をくぐると、下働きの者達と一緒に、背の高いひょろっとした男がアインの乗る馬車に近寄ってきた。そして馬車のドアを開きながらお辞儀をする。
「遠路はるばるお疲れ様でございました、殿下」
男はそう言ってアインに手をさしのべた。本来これは婦人に対して行う礼であり、王子であるアインにとっては不要な事である。場合によっては無礼ととる貴族も少なく無い。現にミファはその行為をいぶかしみ苦言を言おうと口を開き掛けたが、当のアインは軽く「ありがとう」と和やかに笑ってその手を取り馬車を降りてしまった。
「ふぁ~ やっと着いた。お久しぶりですね、モンブラン卿。変わりはありませんか?」
「ええ、おかげさまで。一昨年の冬に帰国した際にお会いして以来ですから…… 二年ちょっとですかね。殿下の御成長に驚いております」
そう言ってマルコーニ・モンブランは片膝をついてアインに笑いかけた。
「そうですか? でも残念なことに背はあんまり伸びてないんですよね」
「いえいえ、そんなことはありません。久方ぶりにお会いした私だからわかるのですよ。でも私が言っているのは内面的な部分ですよ。以前お目にかかったときは、御病床から回復されても、未だ心ここにあらずといったご様子でしたが、今の殿下には明確な意志と言いますか、目的意識みたいなものを感じます」
マルコーニがそう言うとアインは少し照れたように「そうかな」と呟いた。そして「それにしてもモンブラン卿……」と言いながらアインは片膝をついたマルコーニを見る。
「てかマルコーニさん、なんか似合わないですね~ あなたのその堅苦しい口調」
と一転して軽い口調でアインが笑い出す。するとマルコーニも「そうですねぇ」と言いながら立ち上がり、喉元のネクタイを緩めてボタンを外した。
「久々にちっとはキチンとした感じで出迎えようかと思ったんですが、ま、殿下がそう言うなら私も気が楽ですねぇ。こっちの方が性に合ってますし」
「ですよね~ 僕もなんだか気味が悪くて……」
「殿下、気味が悪いって酷くない? ねえそれ超酷くない?」
マルコーニがそう言うと、アインがおかしそうに笑い、ミファ以外の人間が皆そんな二人の会話に失笑していた。一方ミファはマルコーニのアインに対する礼を欠いた物言いに憮然とした表情をしているが、当のアインが、そう言った身分の違いから来るかしこまった対応をあまり好んでいない事もあって文句を言うのを控えていたのである。
マルコーニはデルフィーゴ国では有力貴族の一つであるモンブラン家の跡取りで、現当主であるマルンデス・モンブランは議会への発言力も大きく、国政への影響力のある人物だ。しかしその息子であるマルコーニは元来面倒くさがりな上に、のほほんとした感じの男で扱いにくく、王宮での評価は低かった。
そう言った事もあって、修行の一環として聖都の領事事務官として派遣された男だった。もっとも、デルフィーゴ国は辺境の弱小従属国であり、外交と言っても大して重要な仕事も無いとの判断から、体の良い左遷と言った方が正しいと言えた。
そんなマルコーニだが、アインの身分の差を感じさせない気安さが気に入ってか、国元に戻った折には必ずアインと会い、聖都での出来事などを自分の考えを含めて話していた。
アインもまた、マルコーニの話を聞きつつ、彼がもたらす情報が中々に興味深く、考え方が非常に国際的なことと、またこの時代の貴族の概念に縛られない思想を持っていることなどを感じていて、王宮貴族達の評価とは逆に、彼の能力を高く評価していたのである。
「ところで、最近聖都でおもしろいニュースは無いの?」
領事館内の応接室に通され、出された茶を啜りながらアインはマルコーニにそう聞いた。荷物は下働きの者がアイン達が使う部屋におのおの運んでいる。ミファの荷物はアイン同様下働きや館の職員に頼み、オリビトンの荷物は一緒に連れてきた部下の騎士に任せているので、二人ともこの席に同席していた。
「そうですね、聖都は平穏そのものって感じです。そりゃもう退屈すぎるくらいに。ま、表向きはって感じですけどね。なんで耳に挟むのはどれも大しておもしろくも無いネタばかりですね……」
そう言ってマルコーニは手にしたカップをテーブルの皿の上に置いた。
「ああそうだ、そういえば最近ドミター大公閣下とレムザール宰相閣下の仲がさらに悪くなったって耳にしたかなぁ……」
マルコーニが思い出したようにそう言った。
「あそこは前からじゃね? 大公派と宰相派で宮廷が割れてるつー話は俺も良く耳にするよ」
オリビトンがそう言うとミファも「ええ、私も以前聞いたことがあります」と頷いた。
ドミター大公は聖帝領の北に位置するマルゴーン王国を納める国王で、現在のサンズクルス皇帝である、デリムト・マキアヌス・サンズクルスの娘婿にあたる親戚筋であり、一方レムザール宰相は爵位こそ伯爵だが、齢七〇の高齢で床に伏せがちである皇帝より、宰相の役を仰せつかり、また皇太子であるアスラム親王が現在一〇歳と言うこともあって、皇帝直々に後見人という大役も受けている人物である。
またデリムトにはもう一人、今年一六歳になるソフィーという娘がおり、現在幼い弟の代わりに社交界等、宮廷の公式行事に出ていた。
ドミター大公は元々聖帝領の中でも大きな領地を所有している有力諸侯でもあり、さらに皇帝の第一皇女を娶っている為、数ある諸侯の中でも頭一つ抜けていて強大な力を持っている。
レムザール宰相は自身もマスカル国という国の第一王子であり、今年で四〇歳になる。元々聖帝軍で参謀職を勤めていた人物で、聖帝軍の弱体化を憂い、軍の立て直しに尽力していたところ、皇帝にその手腕を買われ宰相に抜擢された経緯を持つ。
軍に居た頃も部下からの信頼の厚い好人物ともっぱらの評判だった。
そんな男なので、大公の権力に真っ向から正論でぶつかってくるレムザール宰相は、ドミター大公には煙たい存在だった。ましてや皇帝より直々にアムラス皇太子の後見人という役を預かり、宮廷内での発言力も大きいとあっては、大公にとっては目の上のたんこぶ以外の何物でも無く、早くから不仲説が流れていた。
「まあ確かに今更っていう感もありますがね、今回はそれに拍車が掛かったってところですかね」
マルコーニはそう言って肩を竦めた。
マルコーニの話では、事の発端は、聖帝領北部周辺で最近頻繁に報告される凶獣の被害であった。
凶獣というのは、このカレン界に生息する体長、高六フィメ(約三メートル)以上の獰猛な大型獣のことである。現在聖帝で凶獣指定されている生物は二八種類あり、最大級では二〇フィメ(約一〇メートル)に達し、村や小さな街などは、襲われたら壊滅してしまう程の危険な生物だった。
レムザールは宰相権限で議会を招集、聖帝軍五〇〇人の兵員を派遣しその調査に当たることを決め、軍調査隊は、聖帝領でも一位二位を争う大国であるマルゴーン王国に調査本部を設置し、その調査隊への補給をドミター大公に依頼した。
しかし大公は軍調査隊の駐屯には異論を唱えないものの、補給に関しては難色を示したが、そのことにレムザールは議会上で異議を唱えた。
軍事は兵では無いにしろ、聖帝議会にて可決された軍事行動の一環であり、いかに大きな領土を有する聖帝領内の有力大国なれど、従属国である以上聖帝軍への支援は義務である。そもそも凶獣被害の報告が上がってる地域にはマルゴーン王国領もあると説明し、議会での賛同者も得てドミターの補給拒否を正面から退けた。それによりドミターは渋々と言った様子で軍の調査駐留部隊に補給を行う事になった。
だがしかし、いざ聖帝軍が駐留し始めると、補給が少なかったり、情報連絡が遅れたりと、マルゴーン側からの援助に不手際が目立つようになった。それがドミターの嫌がらせである事は明らかだった。
そんな理由と、元々神出鬼没な凶獣を相手に、広大な北部方面の調査地域全部をカバーするには、本来なら千単位のへ人員が必要なのも確かで、そんな人員不足の原因もあって調査予定日程の半分を消化したにもかかわらず調査の方はほとんど進展しないまま今に至っているという。
レムザールとしても、ずるずると時間ばかりを費やす愚を犯したくはなく、人員を増やして片付けたいところではあったが、現在聖帝軍は再編成中であり、しかも聖帝の弱体化を良いことに属国の有力大国が、来たるべき戦乱に備えて戦備を増強しているなどという不穏な噂がまことしやかに囁かれているとあっては、レムザールとしても現状以上の人員を割くわけにはいかなかったのである。
「なるほどね…… しかし大公さん、子供と変わらないね」
話を聞いていたアインはニヤリと笑いながらそう言ってカップに口を付けた。それはとても一四歳の少年が見せる表情では無く、ミファはそんなアインを意外そうに見つめていた。
今の話を聞いて、アインはほぼ正確に両社の立場と性格を理解していた。一四歳という年齢を鑑みれば、それは異常なほど早熟した思考だが、何せアインの中身は前世の年齢を足せば四〇歳であるわけで、当然と言えば当然だった。
(ようは議会で宰相がカマし、実務面では大公が仕返ししてるって訳ね。にしてもドミターってのはケツの穴がちっさいやっちゃな~ あっちの時の会社の役員にも似たようなのがいたっけな……)
心の中でそんなことを考えつつ、アインは手に持ったカップをテーブルに戻した。
「まあ、僕らにはあんま関係ない事だし、なるべく首を突っ込まないようにしよう。もっとも、辺境の我が国が大公閣下や宰相閣下と直接面識を持つ事なんてほとんど無いだろうけど」
アインがそう言うと、一同は頷いた。
「でも、大公派と宰相派の溝がさらに深くなったのは事実ってわけか。両陣営の軋轢がさらに悪化すれば、最悪内乱なんて事にもなりかねーな?」
オリビトンがそう言うとマルコーニは首をすくめた。
「まあ確かにこのまま進めばそうなってもおかしくは無いかもね。今すぐって訳じゃ無いだろうけど」
「でも本当にそうなったら、どっちに付くかだよな。勝ち馬に乗り損なったら目も当てられない。国が無くなっちまうぜ」
そんなオリビトンの言葉にミファははっとした表情になった。今まで国元で剣の修行に励んでいた自分にとって、考えた事もなかったことだったからだ。
確かに戦に負ければ国は滅ぶ。それはミファにもわかっている。しかし国元に居た頃には聖都をはじめ、諸国の情勢など知りもしなかったし気にもしなかった。しかし今日明日では無いにせよ、宗主国である聖帝を二分するような事態が現実になるかもしれないと言った状況が、自分たちにでも容易に想像出来るところまで来ている事に、ミファは少なく無いショックを受けていたのだった。
「そう、そこなんだよ~ そのことを国元の父上、兄上、それに家臣の貴族達もあまり危機意識を持ってないんだよね……」
そう言ってアインノールはため息をついた。
「僕はマルコーニさんから届く手紙を読んで知ってるんだ。マルコーニさんの手紙って、おもしろおかしく書いてあるんだけど、結構ポイントが押さえてあって中々興味深い内容の情報が多いんだよね」
とアインがマルコーニに笑いかけると、マルコーニも「そりゃどーも」と返した。
「殿下に送る手紙とほぼ同じ内容の報告書を送ってるんですけどねぇ…… 内容がちゃんと読まれてないって思うと、ちょっとやる気が下がりますね」
そう言ってマルコーニは頭を掻く。そんなマルコーニにアインは「まあまあ」と声を掛けていた。
「けどね、『どっちに付くか』って…… 問題はそこじゃ無いんじゃ無いかな?って、僕は思うんですよ」
そんなアインノールの言葉に一同はそろって首を傾げた。そんな皆の顔を見て、アインノールは意外そうな顔で言葉を続けた。
「大公派と宰相派の仲違い、何となく、そんな単純な話じゃないような気がするんですよね……」
「そりゃあ単純じゃ無いでしょう。聖帝が二つに割れるかもしれないだから」
そう返すオリビトンにアインノールは首を振った。
「違うよ~ 僕が言いたいのは『それで誰が得をするのか』って事だよ~」
そのアインの言葉に、一同はさらに疑問の表情を濃くした。アインは「あのね……」と前置きして自分の考えを話し始めた。
「大公派と宰相派がもし本当に戦争を始めたとする。でもどっちが勝ってもお互いそんなに益の無い結果になると思うんだよ。宰相派が勝ったとしても、相手は聖帝領でも大きい国だ。聖帝軍は再編中な上に戦えばそれなりに損害が出る。他の有力諸国に対する為の軍再編を進めている宰相閣下には大きな痛手になる。逆に大公派が勝ったところで現皇帝を除くなんて出来ないだろうから、アムラス親王を擁立した今の宰相に取って代われるかどうかってところでしょう? お互いそんなに旨味のある話じゃ無い。だとすれば、じゃあいったい誰得? ってこと」
アインノールのここまでの話を、一同は黙って聞いていた。ミファは別にしても、大の大人が一四歳のアインノールの話に飲まれているのである。
「この状況を一番喜んでいる人物が居るとしたら、それは誰か……」
その言葉に一番最初に反応したのはマルコーニだった。
「南の大国、バインドール王国国主、アルシュタイン公爵……」
「うん、そうだね。僕は会ったこと無いけど伝え聞くところの気性や性格から考えれば、たぶんあの王様は喜んでるだろうね。もしかしたら裏で絵を描いてたりして」
アインノールはそう言って再びカップのお茶を啜りクスッと笑った。顔に似合った可愛らしい笑顔だったが、その話の内容とのギャップに一同は驚いて声も出ない。
「ただ、もし大公派と宰相派が本当に戦争しちゃったら、もう一つ大変な問題があるんだよ。僕はむしろそっちの方が心配なんだ」
「もう一つの問題?」
ミファがそうオウム返しにアインに聞くと、アインは「うん、我が国にとって、ね」と頷いた。
「従属国の一つが正面切って聖帝に反抗したっていう事実がさ、他の国々に与える影響を考えるとちょっとヤバイ感じがするんだよ。で、『ウチもウチも!』って感じで各国がこぞって戦争始めて、聖帝領全体で戦乱になったら、ウチみたいな辺境の弱小国なんてあっという間に食われちゃうよ……」
三人はアインの言葉を聞きながら息を飲んだ。アインの話は、決してそう遠くない未来に起こり得る状況だったからだ。
「僕が心配なのはそこなんだ。これがもし僕が言ったように、アルシュタイン公爵が描いた絵なら、すごい戦略だよね。だって自分は全く損しないで望んだ状況を作り出せるんだもの。まあ、今のところこれは僕の想像であって、あの王様がそこまで考えてるかは微妙なとこだけどね」
そこまで話してアインは一同を見回すと、全員水を打ったよう静まり返ったままアインを見つめていた。
「ど、としたのみんな。僕、なんかおかしなこと言った?」
「いいえ…… 驚いて声も出なかったんですよ。殿下の見識の深さと洞察力に……」
マルコーニはそう言って背もたれに背中を預けてため息をついた。
(正直本気で驚いた。初めて会った時から不思議な魅力があったが、俺の手紙と今の話で聖帝とそれを取り巻く各国の状況ほぼ正確に把握している。さらにアルシュタイン公爵の件は俺ですら想像外だった……)
そんな事を考えながらマルコーニはアインを見つめて口元を緩めた。
(想像力と先見性、そして鋭い洞察力…… こいつは化けるかもしれないな。これまで退屈な人生だったが、この王子とツルんでるとちょっとは面白い人生になるかもしれない)
マルコーニは自分の中でのアインに対るす見方を大幅に修正した。後にマルコーニはアインノールの政権内でその外交手腕を発揮し『妖精王の脇差し』と呼ばれ、大陸中を飛び回る事となる。
一方ミファもまた、アインの話に衝撃を受けていた。主とはいえ自分より年下のアインが、自分より遥かに先を見た見識を持っていることに……
(戦乱の時代が到来した時、アインのこの時代の先を見通す目こそが、我が国を滅亡から救う道標になるのではないか……?)
そんな予感めいた事を考えながら、隣に座るアインの少女のように可憐な横顔を見た。今まで、何処か弟の様に感じていたアインが、とても大きな存在に見えた。
(私はもしかしたら、希代の王になる人に仕えているのかもしれない)
ミファもまたアインへの見方を変えていこうと思ったのだった。