47. アインノール、怒る
衝撃の皇太子誘拐事件から一夜明け、錬金科整備コース、結晶術科、それに騎士科は総出で整備場の片付けを始めた。
大きなものや重いものの撤去や運搬には跨乗電機工兵が活躍し、人の手による片付けだけでは四、五日掛かる作業が二日程であらかた片付き、跨乗電機工兵がこう言った作業に有効であることが立証されたのは皮肉であると言えるかもしれない。
捕縛した二名の憂国騎士団を名乗る元近衛騎士は、当日同行した近衛騎士達に引き渡されたが、アインが鳴神太鼓の爆発で気絶させた騎士は、やはり記憶障害を起こしていたようで、引渡しの時に意味不明な言葉を連呼していた。恐らく彼からは有力な情報は得られないだろうとアインは予想していた。
事件の全容には箝口令が敷かれ、特に皇太子の一件は関係した生徒全員が、宰相府から発行された誓約書にサインするという徹底ぶりであった。
アイン達関係生徒は聖帝からの公式見解の発布が無いのを妙に思いつつ、設備復旧を急ピッチで進めていたが、そんな中でレムザール宰相が直々に学院に来院したのは、事件発生から六日後の事であった。
「影武者…?」
学院に訪れたトルヌスに呼ばれ、学院長室でミファと一緒に話を聞いていたアインがトルヌスにそう聞き返した。そんなアインにトルヌスは「ああ……」と頷いた。
トラヌスに同行してきた護衛の騎士を除く者達も鎮痛な面持ちで同じく首肯していた。
(影武者ねぇ…… でもここに居並ぶ者達の顔ぶれが、その事実を否定しているよな……)
とアインは心の中で呟きつつ、目の前に座る人物達を眺めた。
トラヌス他、彼の軍務時代の懐刀と呼ばれる第四師団長オズマイル将軍、それに聖帝軍総司令、エドガー・ラウラ・ブラウシス伯爵元帥、ミスリアの所のトップである法務院長官ペリ・スー・ムラノ侯爵、そして王宮執務長ドライ・ハズ・ライマール侯爵、他文官二名と言う錚々たるメンバーであった。
「もう一度言うが、先日この学院を訪れたのはアムラス皇太子殿下の影武者だ。よって連れ去られたのは皇太子殿下ではない」
トルヌスのその言葉にその場にいたポースマン学院長他、アインとミファ、そして学生会のユミも驚きつつも黙って聞いていた。だがアインはその沈黙を破った。
「相手側から何かしらの公式発表があったとしても……?」
「無論だ」
そんなトルヌスの即答が、席上に緊張伴った重い空気に変えた。
「ちょ、ちょっと待ってください。あの方は本当に……!?」
ユミが立ち上がりそう言いかけるが、彼女の父であるエドガーは「ユミっ!」と彼女の言葉を制した。ユミは悔しそうに握った両の拳を震わせつつテーブルを見つめ、再び席についた。
「これは僕の推測ですが……」
とアインは静かに前置きして話し始めた。
「実行犯を調べたら、相手がかなりの大物だった。もしかしたら相当数の国も関与していたのかな? で、下手をすると大きな内乱になりかねない……」
アインがそこで話を区切ると、トルヌス以下聖帝側の面々の表情に動揺が走った。それを確認しつつアインは話を続ける。
「内乱に発展するような相当数の国の国主に影響力を持つ大国となると……」
アインはそこで少し考える。
〈えっと…… 確か北部の方だったかと…… 国名までは覚えておりません〉
不意にアインの脳裏に先日のソフィーの言葉が蘇った。
(北部…… なるほど、確かにこりゃ面倒だ……)
アインはそう心の中でため息をついた。
「マルゴーン大公…… うん、確かにヤバイ。かの御仁なら聖帝を二分する内乱になりますね」
そのアインの導き出した答えに、居並ぶ聖帝の重鎮達は驚くと同時にこめかみをヒク付かせた。
「しかし、拐って行った少年が本物の皇太子じゃ無ければ、そもそも誘拐劇自体意味をなさなくなる。あの子がニセモノだと喧伝し、聖帝が認めなければ、向こうが何を要求しようが無視してしまえばいい……
幸いアムラス皇太子は幼く、公式な宮廷行事や政の席には滅多に出ず、民衆には顔を知る者は皆無。熱りが冷めた頃に『病死』として崩御なされたことにすれば誰もそれが御本人であったのかなど、確認しようもないですしね」
済ました顔でそう説明したアインに、同席した者達は声を上げるどころか、息をするのも苦しい驚きを味わっていた。
「あなた方は出来るだけ早く本物のアムラス殿下を公の場で登場させるだけでいい。なるほど、上手くすれば内乱は避けられるかも知れません。今は本物候補の選定中ですか?」
そこで二人の文官のうち、目の細い狐顏の一人がバンっとテーブルを叩いて立ちあがった。
「貴様いい加減にしろっ! 憶測で話すには内容が恐れ多いぞ! 学生の分際で何を申すか? 我らを侮辱する気かっ!?」
こめかみに青筋を立ててそう怒鳴る文官を、アインは冷ややかに睨んだ。
(侮辱するつもりじゃなくて、侮蔑してるんだよ、この三下っ!!)
アインは心の中でそう言い返した。しかし表面上は冷静に、そして辛辣な言葉を返す。
「それ以外に聞こえたのなら、僕の言葉が足らなかったようですね!」
アインのその言葉に、隣に座るミファとユミは驚いてアインを見つめていた。ミファなどは背中に冷たい汗が滴り、生きた心地がしない心境だったであろう。
「き、きき、貴様ぁ……っ!」
「僕はアインノール・ブラン・デルフィーゴ聖帝子爵です。貴方に『貴様』呼ばわりされるいわれはありません」
アインはピシャリとそう言い、座ったままその文官を睨んだ。するとその文官は「ぐぅ……っ!」と唸り席についた。
ミファはそんなアインに心底驚いていた。アインが自分の身分を傘に着て相手をやり込める姿など見たことがなかったからだ。そして怒ったアインも初めて見たのだった。
「良いでしょう…… あの子がニセモノだったとします。それで、あの子はどうなりますか?」
「そ、それは…… 殿下でない以上…… 我々が……」
そう言いどもるその文官に、アインは更に追い討ちをかける。
「我々が…… なんですか? 我々が気にする事ではないとでも仰るつもりですか? 幼い、皇太子殿下によく似た子供の命で国が救えるなら安いものだと、そう仰るつもりなのですか?」
そのアインの言葉に文官は「いや、わ、私は、何もそこまでは……」とシドロモドロに答えた。ひたいには薄っすら冷や汗を浮かべている。
「……つくづく耳が痛いな、アインノール君」
するとそこでトルヌスがため息混じりに言った。文官はホッとした様な表情になり、ヘナヘナと着席した。
「でしょうね、大人のすることじゃないですから……」
と今度はそのトルヌスに冷めた視線を向けた。相手がトルヌスであろうと、アインは言葉の棘を抜くつもりは無いらしかった。
「君の言葉はもっともだ。小さな幼子の命でしか国を救う手段を見出せなかった、我々は情けない大人達だ。その点について、私は何も言い返す言葉を持たない」
そう静かに語るトルヌスと同じ、居並ぶ重鎮達は辛そうな表情で目をつむっていた。
「だがな、アインノール……」
トルヌスはそう問い掛けてアインを見た。
「その幼子一人の命を救う為に、聖帝一○国、およそ五,○○○万の民を未曾有内乱に導くと言うなら、このレグザーム、たとえ鬼だ、悪魔だと罵られようが切り捨てる!」
そう言ってトルヌスはアインに鋭い眼光を飛ばし、アインは強烈なプレッシャーを感じていた。隣に座るミファは、思わず腰を浮かしたが、それを察したアインがテーブルの下でミファの膝に手を置き、ミファが立ち上がるのを制した。
(危なかった…… ありがとうございます、殿下)
ミファは心の中でアインにそう礼を述べたのだった。一方アインもトルヌスのプレッシャーを受け、背中に嫌な汗を感じていた。
(流石は軍上がりの聖帝宰相様だ。迫力パネェなマジで……)
「これは元老院の決定でもあり、聖帝陛下もご納得された聖意でもある」
そのトルヌスの言葉で、席は納得せざるを得ない方へと天秤が傾いたようだった。
「一つだけ教えて下さい」
場が終わりかける中、アインはそうトルヌスに問い掛けた。トルヌスは「何かね?」と聞き返した。
「ソフィーは……、皇女殿下は何と?」
そのアインの問いに、トルヌスは少し困った表情をした。すると横に座る王宮執務長ドライ・ハズ・ライマール侯爵がトルヌスの代わりに答えた。
「ソフィー皇女殿下はずっと御自室に篭りきっておる」
その答えにアインは「そうですか……」とため息混じりに答えた。そして程なくして、アイン、ミファ、ユミの三人は院長室を後にした。
途中ユミと別れ、技術棟へと戻る道のりで、アインは一言も発せず歩いていたのだが、整備場の横に積み重ねられた、片付けで運び出された様々な機械の残骸の山の前で立ち止まった。そしてそれを眺めながら呟いた。
「僕は今、少し怒っているんだ……」
「……はい」
別段ミファに掛けた言葉ではなかったのかも知れない。しかしミファはアインのその呟きに答える。
「いや、少しじゃない。結構怒ってる。そうは見えないかもしれないけど、この世界に来て、初めて本気で怒ってるんだ」
「殿下……?」
アインの言葉の中の妙な言い回しにミファはわずかに首を傾げる。
「さらって行った連中も、聖帝政府の決定も、それを認知した陛下も、そして何より何も出来ない自分自身に……ね」
アインはそう言って足下に転がる小さなボルトを拾った。何の部品なのか、ネジ山は潰れていて軸は折れ曲がっていた。
「あの子はさ、僕の話を目をキラキラさせて聞いてた。科学に興味を持ってくれたんだ。あと三年もすれば、きっとこの学院に来たいと言ったんじゃないかな。そして僕らと同じように悩んで、考えて、失敗して…… それでもきっと楽しい時間を過ごしたと思うんだ。それがこんなくだらない政治的な謀略で奪われようとしている……」
ミファはアインの言葉を静かに聞いていた。ミファも同じく、この学院でアインと一緒にかけがえのない時間を過ごしているだけに、その想いは誰よりも共感できたのだ。
「ただ皇太子だからってだけで、五千万人の人柱になって、そんな未来を諦めなければならないのか? 歴史から葬り去られなければならないのか? そんなのおかしいよ」
アインは片付けが終わり、錬金科整備コースと騎士科の生徒達が忙しそうに動いている整備場内を眺めながら話を続けた。
「この世界で目覚めて、この世界の言葉、知識、文化を学び、色んな人と触れ合って…… この世界では異端な僕の知識を使って、世界を楽しくするって老師《先生》に言ったのに、一人の小さな男の子の命と引き替えに平和を守ったってちっとも楽しくなんか無い……」
言葉の端々に妙な言い回しをしている事にも気がつかず、アインはそう言って振り返る。そしてそばにいるミファを見つめた。
「ねえミファ……? 僕がもし爵位を剥奪されて、王子じゃなくなったとしても、僕と友達でいてくれるかい?」
そう聞くアインに、ミファは心が締め付けられるような気持ちを味わう。ミファはアインが何をしようとしているのか、何となくだが解ってしまった。本来なら小姓として主の暴走を止めねばならない立場なのだが、ミファにはアインを止める言葉を持たなかった。ミファはそのまま膝を折りアインに頭を垂れる。
「私は生涯…… 殿下の剣であり、盾です。聖帝中の人間が敵に回ろうとも、私だけは殿下の見方であり続けます。ご安心ください」
そう言うミファにアインは微笑み「ありがとう、ミファ」と声を掛けた。そして再び山と積まれた鉄くずに目を向けた。
「大公さん、あなたはちょっとやり過ぎました。この落とし前は高く付きますよ……?」
アインは手の中でひん曲がったボルトをぐっと握りしめつつそんな呟きを吐き、その少女の様に美しい顔に不敵な表情を浮かべていた。




