2. 王子と従者
五年後、デルフィーゴ王国、王都デルフ。
王都の西門から王城であるデルフ城に伸びる目抜き通り『バラケッソ通り』の一本隣の裏通り、通称職人街の一角に、一際混雑した食堂『眠り山羊亭』があった。
昼食時を過ぎても尚、店の中は客でごった返し、店外まで客が二、三人並んでいる。そんな眠り山羊亭の列に奇妙な二人組の姿があった。
前に並ぶ一人は紺色の賄い服、いわゆるメイド服の出で立ち。肩まで伸びた綺麗な栗色の髪がよく似合う女の子。そしてもう一人は白いシャツに藍色のズボン、そして革のブーツを履いている。襟元を獅子を形どった飾りのついたリボンで締めており、腰には片手用の細身直剣を吊しており、いかにも騎士と言った感じである。
颯爽とした騎士然といった出で立ちだが、こちらもまた蜂蜜の様な綺麗な金髪が似合う女の子だった。どちらも歳の頃は十四、五歳といった感じで顔に幼さが残る。
「あのさぁ…… いつも言うけど、その服はなんとかならないの?」
列に並んでいた栗色の髪の娘が振り返り、小さな声で金髪の娘に話しかける。
「あのですね殿下、私は騎士です。この服装はいわば騎士の証…… 変えるわけにはいきません」
そう答える金髪の娘に、栗色の娘は慌てて「しぃっ!?」と口元で人差し指を立てた。
「だから殿下はダメだって……っ! バレちゃうじゃん!!」
そう言われ、金髪の娘は慌てて口を押さえ周囲に視線を走らす。そんな彼女の姿に、栗色の髪の娘はため息をついた。
「まったく、ついてくるんならもうちょっと『お忍び』って意味考えた服にしてよ。せめて僕みたいに女の子っぽいスカート履くとかさ」
「無理です、似合うわけがないです」
そう即答する金髪の娘。
「いや大丈夫だって、ミファなら僕より似合うって。本当に女の子なんだから」
そう言って栗毛の娘はスカートの裾をすっと持ち上げてフリルのついた紺のスカートを広げて見せた。その姿にミファは目の前の女の子が、本当は男の子である事を本気で疑いたくなった。その姿は明らかに本当の女である自分より『清楚で可憐な女の子』だったからだ。抱きついて心ゆくまで頬ずりしたくなる衝動をぐっと抑え、両拳に力を込めた。
そしてミファは思う。目の前でこのスカートを広げて笑う可憐な少女が、実はこの国の第二王子、アインノール・ブラン・デルフィーゴその人であるとは誰も思うまい、と。
そもそもアインノールは幼少の頃から病気がちで、国民の前にはほとんど姿を見せていなかったので、その容姿について知るものは少ない。知られてない上に、その容姿はどう見ても女にしか見えず、むしろそこら辺の女の子よりも女っぽい顔をしているので、女の出で立ちをしていたら、まず王子だとは気づかれないだろう。しかもこの美貌ですっぴんなのだから恐れ入る。
そんなアインとは対照的に、ミファは武門の家として名高いトラファウル家の長女で、幼少の頃から女だてらに剣の修行に勤しむ毎日であった。その甲斐あってか、父である現当主のマウディーに「将来は歴代最高の剣士になる」と言わしめるほどの剣の冴えを持つ剛の者になったが、女としての作法や出で立ちは全くと言って良いほど学ばなかった。故に男の騎士としての格好が板に染みついてしまったのである。
彼女が女であることを捨てて剣の道に進んだきっかけは、ひとえに病気がちな幼なじみであり主君でもあるアインを守る為だった。
「この十数年着たことも無いのに、似合うとどうして言えるのか、理解に苦しみます」
そんなミファの言葉に、アインはヤレヤレと言った様子で肩をすくませた。そんなことを言ってる間に列は進み、アイン達の番が回ってきた。すると店の店員が小さな木の板を片手に近づいてきた。
「じゃ、お次の方、ご注文を先に…… ってなんだ、アインちゃんにミファさんじゃないっスか。声かけてくれれば並ばなくても優先して席作ったのに」
そう言う店員にアインは首を振って答えた。
「いやいや、これは並んで食べるから良いんです。私はバリカタ、濃いめ、油少なめ。あと顴骨鶏の味卵トッピングで」
アインがにこやかに言うと、定員がスラスラと持っていた木の板にチョークで書き込んでいく。
「私はハリガネ、普通、野菜マシマシで」
アインに続いてミファも常連っぽい注文を告げると、その定員は同じように板にチョークを走らせる。
「お後『ら・めーん』二丁、バリ、濃メ、ブリ小一つ。ハリガネ、マシマシ一つ〜!」
そんな定員の声に、奥のカウンターから「あいよー!」と景気の良い答えが返ってきた。そんな声を聞きながら、満員の店内から漂う臭いをかぎ、アインが「う~ん、お腹空いてきた」と嬉しそうに笑う。
「それにしてもノルさん、相変わらずすごい人気ですね……」
満員の店内を眺めながら、ミファはそんな言葉を漏らした。この店が少し前には店じまい寸前だったとは想像出来ない人気ぶりだった。
「ええ、おかげさんで俺も職を失わなくて済むッス。これもアインちゃんが教えてくれた『ら・め~ん』のおかげッスよ。店長もむちゃくちゃ感謝してるッスよ!」
ノルのそんな言葉にアインは「いやいや、そんなことないよ~」と照れながら笑っていた。
アインは以前、今日のようにお忍びで王都をブラブラしていた折に、たまたま通りがかったこの食堂に入って食事をした。その時はアインとミファ以外にお客は無く、しかもアイン達が五日ぶりのお客だったらしい。
料理の味は不味くは無いのだが、特別上手くも無いといったところで、ごく平凡な大衆食堂だった。しかしこの裏通りは他に、最近聖都で人気の『好きな物を好きなだけ取って食べる』というビッフェスタイルの食堂が支店を出したため、客足が一気に減ったらしく、店長はとうとう店をたたむ決心をしたのだとアイン達に語ったのである。
そこでアインは、店長にある料理を教えたのだ。そのある料理とは、アインこと藤間昴が前世で生活していた異世界の料理『豚骨ラーメン』だった。
昴は以前異世界に住んでいた折に、ラーメンが大好きで色んな店を食べ歩きブログに載せ、さらにはその店の味を自分の家で再現できないかを研究していた時期があった。その頃の知識を使って、この世界でそれを再現できないかと考え、この店の店長と一緒に試行錯誤した結果、前世で食べた豚骨ラーメンにきわめて近い味を再現することに成功したのである。
ちなみに名前の『ら・めーん』は、昴が何度も『ラーメン』と言っているのだが、この国の人間の発音技法では『ら・めーん』と妙なアクセントがついてしまうらしく、結局そのまま『ら・めーん』と呼ぶことにしたのである。
「私が食べたいから作ってもらったんだもん、感謝される事なんてなんにも無いんですよ。こうして食べたいなぁって思った時に食べられるのが幸せです」
アインはそう言ってにこやかに微笑んだ。そんなアインの笑顔を見たノルはぽ〜っとなり「け、結婚して欲しいッス!」とアインの両手を掴んだが、即座にミファの剣が電光石火で喉元に突き出され動きを止めた。
「ノル殿、冗談が過ぎますよ?」
額から尋常ではない汗を吹き出しながら、「で、ですよね〜」と言いつつノルはアインの両手を離して万歳のポーズを取り、ノルの手から滑り落ちた木の板とチョークが床に当たり、水を打ったように静まり返った店内に乾いた音をたてた。恐るべき事に麺を啜る音すら聞こえない。全員ノルを睨み、肌を刺すような殺気すら伺える。
「もう、ノルさんったら冗談ばっかり〜」
というアインの声で再び店内はガヤガヤとした喧騒に包まれた。ミファも何事もなかったかのように剣を鞘に戻した。アインはこの『眠り山羊亭』の常連客達にとっては有名人で、その容姿もあってか隠れファンが居る始末である。
そうこうしているうちに席が空き、アインとミファが席に着くと、程なくして『ら・めーん』が着丼した。湯気の立つ丼からはこってりとした濃厚な臭いが鼻孔をくすぐり、同時に食欲をそそる。アインとミファはその臭いを十分に堪能してからアインは箸を、そしてミファはフォークを手にした。
この世界に豚は居ないが、大型の『ムーラ』という外見がバクのような獣がおり、その骨を煮込むと豚骨スープのようなコクのある良い味が出るのである。豚骨ならぬ『獣骨ラーメン』と言ったところだ。
「くぅ~っ! 旨しっ!! また腕を上げましたね、サンドウさん」
スープを一口啜ってアインがカウンター向こうの中年男にそう声を掛けると、この眠り山羊亭の店長トリアジ・サンドウがニヤリと口元をゆがませた。
「さすがだね、わかるかい? ブリット香草をちょっぴり入れてみたのさ。味に深みが増したろう?」
「うん、この細麺にスープが絡んで超美味しいよ! ね、ミファ?」
アインはそう言いながら隣のミファを見るが、ミファは何かにとりつかれたかのように麺を啜っていた。そして着丼からわずか二分程度で麺が無くなり「ご主人、替え玉、ハリガネで!」と、まるで戦果報告のように告げた。今にも敬礼しそうな勢いである。
「いつ食してもすばらしい…… しかも麻薬的な中毒性のある味だ。まさに神味……」
主君であるはずのアインの言葉にすら反応せずに『ら・めーん』に集中するミファ。替え玉が待ちきれないのか、スープを飲みたいのをフォークを握りしめて我慢している姿が何とも可愛らしいが、アインは「どんだけハマってるんだよ……」とぼそっと呟いていた。
そんなアインも、麺一玉をぺろりと平らげ替え玉を注文していた。
「あ~あ、でも来週からは聖都に行かなきゃなんないし、この味とも暫くお別れかぁ……」
アインがそうぼやくと、すでに二玉目を平らげ、三回目の替え玉を待つミファも「ですね……」と悲しげな表情をしていた。
アインは来週から宗主国であるサンズクルス聖帝の首都、聖都ノルマンの帝立ドルスタイン上級学院に留学することになっている。そしてミファもまたアインのお供として同じく学院に留学することが決まっていたのだ。
「ああ、ミファさんは帝都の学校に入学して、アインちゃんもお供で帝都に行くって言ってたもんなぁ…… 寂しくなるぜ。でも、仲の良い二人で一緒に帝都に行けるんだから、良かったじゃねぇか」
そんなことを言って笑うサンドウに、ミファは「ええ、まあ……」と愛想笑いを返す。ミファはトラファウル家の見習い女騎士として有名で、アインはトラファウル家に仕えるメイドという仮の肩書きを伝えてあった。
「サンドウさん、聖都に支店出せば良いのに。きっと聖都でも大人気だよ。そしたら聖都でもラーメン食べられるのになぁ……」
丼に替え玉を入れてもらいながら、アインはそうぼやいて見せた。そんなアインの言葉にミファも「うんうん」と強く頷いた。
「いやいや、ウチはついこの前まで店じまい寸前だったんだぜ? ら・めーんもなんとかこうして軌道に乗ったけど、聖都に支店なんて無理だ。そりゃあ俺だってそんな夢見たいけど、やるにしたってまだずっと先だよ」
サンドウの言葉にアインは「だよねぇ……」と落胆して呟いた。ミファも同じように肩を落とす。
だがこの眠り山羊亭の『ら・めーん』は数年後聖都で大人気となるのだが、それはまだ先のことである。
「そこでだ、コイツを用意したんだよ」
サンドウはそう言って落胆する二人の前に大きめの瓶と包みを置いた。二人が首を傾げているとサンドウがニヤリと笑った。
「ウチのら・めーん用のスープを濃縮したスープの素だ。コイツを湯で戻して煮ればスープになる。で、こっちが麺を乾燥させた乾麺だ。前にアインちゃんが言ってた製法を試してみたんだよ。二十玉分ぐらいだけど…… 最悪麺の材料は聖都でも手に入るだろう? 餞別代わりと言っちゃあ何だが、持ってけよ」
そんなサンドウの言葉に、アインとミファは目を輝かせた。
「いいの? やったー!!」
「ご主人、かたじけない。この恩は生涯忘れない……」
大喜びするアインと、仰々しく頭を下げるミファ。最もミファの場合、最近は週一回ら・めーんを食べないと禁断症状が出るほどなので無理も無かった。
「なぁに言ってんだよ。こんなに繁盛するようになったのも二人のおかげなんだ。礼を言っても言い切れないのは俺の方だぜ。ホント、助かったよ」
サンドウが頭の手ぬぐいを脱いで二人に頭を下げた。そんなサンドウにアインとミファは「そんなことないですよ」と謙遜しながらも、照れながら麺を啜っていた。
結局アインは三玉、ミファは五玉も替え玉を繰り返し、スープの素の入った瓶と乾麺の包みを大事そうに抱え、ホクホク顔で店を後にしたのだった。