七、絆美義
それから十分も経たない所に、波木山神社はあった。そこまで大きいとは言えないが、山頂にあるにはしっかりとした造りである。
まずは参拝からと、手水を行って心身を清めていく。その冷たい水は紡糸川とはまた違った冷たさがあった。清めが全員済んだあと、神社の前に立ち並び、秀が代表して賽銭を納め、参拝をした。たどたどしい参拝ではあったが、それでも全員でやることに意義があるのだと、奈美は思ったのだ。
そしてしばらく昼食兼休憩ということで、一度解散した。
奈美は近くのベンチに座らせられ、由宇を始めとして、秀や広樹に囲まれながら、足の具合を見せる。そして後ろのほうではいまだに奈美と視線を合わせようとしない、伊沢の姿があった。
伊沢によって締められたハンカチを解いていくと、赤く腫れている左足首が表れる。それを見ると、由宇は心配そうな表情を浮かべた。
「意外に酷いじゃない。どうしてこんな怪我を……」
「秀を追いかけようとして、足を滑らしたらしい。つまりこいつのせいだ」
「だから本当に悪かったって。まさか奈美があの場にいて、しかも俺を追っかけているなんて知らなかったんだよ」
広樹が嫌みったらしく言い、それを秀が必死に自己弁護しようとしている。いつもは広樹が責められる立場なのに、今日はそれが逆転しているようだ。
秀のことをかばおうかと思ったが、そのやり取りがどこか新鮮で、面白かったので口は閉じておいた。
あの時、絆美神の祠で、秀の後ろ姿を見る前、目を閉じて、神経が祈りのほうに集中していたため、普通では彼の存在には気付かなかったはずだ。
だが突然聞こえた、鈴の音。それが現実へと呼び戻した。そして内心焦っていた奈美は秀を見た瞬間、我を忘れて追いかけ始めていたのだ。だから、はっきり言ってしまえば、秀のせいではない。不思議な鈴の音と自己管理ができなかった奈美自身のせいである。
「とりあえずくだらない喧嘩してないでさ、きちんと応急処置しようよ。私、巫女さんに言って、包帯とかもらってくるから」
由宇がやれやれと肩をすくめながら、間に割って入り宥めようとした。しかし少し言葉の使い方を間違ったようで、二人はムッとした顔つきになる。
「全然くだらなくない。奈美の体に関わることだぞ」
「その話題に出されている本人がどうでもいいって顔つきをしているのに気付かないから、まだまだ子供なのよ。広樹、あなたも一緒に来なさい」
そう言うと広樹を道連れにして由宇は立ち上がり、二人で神社の脇にあるお守り売り場へと歩いて行った。
溜息を吐きながら、秀を真正面から見た。殴り合いの怪我が頬に残ったりしているが、それ以外は元気そうである。そんな彼の顔をまじまじと見ると、突然思い出し、ポケットからある物を取り出して渡した。
「これは俺の携帯?」
「喧嘩している時に落としたのよ。それがないと困ると思って、拾っておいたの」
「そうか、ありがとう。助かったよ」
救出された時とはまた別の安堵の表情を浮かべていた。携帯電話という存在も、現代の世の中では繋ぐものの一つかもしれない。
ようやく落ち着いたところで、奈美はちらっと秀の後ろを見てから、ずっと聞きたかった事実を尋ねた。
「ねえ、あの人、後ろにいる派手なシャツを着ているお兄さんを知っているみたいだけど、どういう関係なの?」
伊沢のことである。あの何気ない会話が、奈美の頭の中から離れられなかったのだ。秀と広樹はこの人を知っている。おそらく本当の姿を。
秀ははっとした顔をすると、ああっと声を漏らした。
「あ、そうか、俺と広樹しか知らないんだ。結構前の人だから」
「だから誰?」
前振りはいいから早く言ってほしい。若干苛立ちながら待っていると、慌てて質問に答えた。
「四年前に大学を卒業した、部活の先輩だよ。つまり五歳差の先輩。奈義さん、確か今年で二十五歳でしたっけ?」
「ああ。この前、誕生日を向かえた」
伊沢は観念したかのように、奈美たちに近づいてきた。腕を組みながら立っている姿は、なかなか様になっている。
「それにしても奈美、一緒にいたのに素性を聞かなかったのか?」
秀が訝しげな目で見てくる。
「聞いたわよ。でも適当にはぐらかされて言うから」
「そんな人と一緒にずっと俺を探していたのか? まあ嬉しいんだけど、もう少し警戒心くらい持ったらどうだ」
「もちろん持っていました。けどいろいろと物知りだったから、つい……」
「まあ、この人、見た目は奇人だけど、中身はいい人だから、ついつい心を許しちゃうよな。それにしても奈義さん、どうしてここにいるんですか? 失恋でもして、一人で寂しく登山ですか?」
秀は哀れみの目で見たが、伊沢は堂々と胸を張って言い返す。
「一人で登山も寂しくないぞ。いいじゃないか、急に山の空気に触れたくなったんだよ。おかげで面白いものが手に入った」
そう言うと、視線を奈美の方に寄越した。山の途中で得たものを見せろと言うのか。その意図に気づくと、リュックから紡糸川の水が入ったペットボトルと、繋累岩で拾った岩の欠片を広げて見せた。それを興味津々で秀は見入る。
「綺麗な水だ。湧き水ですか? そんな場所、見たことないな。あと石もいい色ですね」
「写真もあるぞ。これまたいい岩だから」
奈美がそっとデジカメを差し出すと、それをじっと見る。そして感嘆の声を上げた。
「すごく絵になっている写真ですね。どこの道ですか? 俺、いろいろな所を歩き回っていたけど、見たことがないです」
「教えてもいいが、少し道なりが険しい。そうだ、奈美ちゃんが持っている破魔矢を納めて来てくれないか? 彼女、歩くのが辛そうだから。それをしてくれたら教えるよ。帰りにでもみんなで行ってみるといい。きっといい思い出になるはずだ」
「本当ですか? わかりました。奈美、矢を貸して」
奈美は突然話題に振られた破魔矢を慌てて取り出した。鈴の音がささやかに鳴っている。それを秀の手元に乗せると、一目散に納めどころへと走って行った。
そして破魔矢が奈美の元へと離れた瞬間、視界に広がっていた赤い糸は消え去ったのだ。その光景に対して、目をみはった。あれだけしつこく見えていたものが、無くなったとは。見えなくなったことは嬉しいが、これまた突然過ぎて驚いてしまう。
「赤い糸はもう見えない?」
そう優しく語りかけてくる伊沢の方にゆっくりと顔を向けた。
「は、はい……。いったいどうして……」
「赤い糸が見えていたのは破魔矢のせいさ。五年前もそうだった」
昔を懐かしむかのような表情をしながら、奈美の右隣に腰を下ろした。
「五年前、奈美ちゃんと同じ大学三年生の時、僕たちの代も登山の計画を立てて、実行をしたんだ。その時、ずっと部室に飾られていた破魔矢が気になっていたから、それを納めるのも頭に入れて。そしたら山に入った瞬間、僕の視界にも赤い糸が広がったわけさ。おまけに今回みたく派手に糸が切れて、本当に部の存続まで疑われた状態になったよ」
くすっと笑いながら、過去を振り返っている。
「僕もどうにかしようと奮闘して、結果的には丸く治まった。そして破魔矢を納めたら糸が消えたというわけさ。不思議に思って、その後、先輩方を回って、過去にそういう妙な現象がないかと聞きこんだ。そしたら五年おきくらいに、波木山と破魔矢が関係している出来事が起こっているとわかった。ついでに言うと、人々の繋がりの危機もね。そこでまあ、あの現象に対して、一人で立ち向かうのはちょっと厳しいかなって思って、今回は僕もひっそりと付いてきたわけさ。まあ役に立たなかったみたいだけど」
明かされた事実に奈美はただただ唖然としてしまう。何となくではあるが、欠けていたものがはめられたようだ。
「役に立たないなんて、十分助かりましたよ。ありがとうございます。そして私のためにご迷惑をかけて、すみません。けどそんなことがあったのなら、どうして破魔矢を一目散に納めようと言ってくれなかったのですか?」
「何事にも過程が必要ってことだよ」
奈美の元に戻ってくる秀や広樹たちを見ると、伊沢は立ち上がった。
「――絆を繋ぐ人は存在する。けど本当に存在するかどうかは、その人がどういう行動をするかによるんだ。奈美ちゃんの想いは、きっとみんなが背中から受け取っていると思うよ」
その言葉に思わず胸が熱くなった。誰も言わなかったことを真正面から言ってくれることに。
伊沢は大きな手で奈美の肩を何度か叩き、最後に微笑んでから離れた。
その後ろ姿によって奈美はこの部の絆を繋ぐために、ここまで導かれたとずっと思っていた。しかし本当に導いてくれたものは、奈美自身の気持ちの問題だったのかもしれない。
あの出来事をきっかけとして、様々なことを考えた。そして辿り着いたのは、人と人の繋がりの大切さという純粋な想い。それを知ることができ、実際に動き、言葉ではっきりと言い切ったことは、きっとこれからを導く糸に繋がるのだろう。
いつしか空を覆っていた雲はなくなり、色鮮やかな青空が広がっている。
それと共に、太陽の光も奈美たちを明るく照らしていた。
了
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ほんのりファンタジーな内容がありつつも、現実世界の物語となりましたが、どうでしたでしょうか?
短編で、大学生を主人公に、そして現実からあまりにもかけ離れない内容にしようとした結果、このような内容になりました。
さて、この小説の舞台である、波木山は間接的にある山をイメージして書きました。様々なポイントもその山にあるものを念頭にしています。実際に神話も絡んでいる山です。
私も登山は行事等でしか登らない人ですが、調べてみると色々と逸話があることがわかりました。そういうことを知ってから、登ったりしてみるとさらにいいかもしれませんね。
本当にお読み頂き、ありがとうございました。
この小説を通じて何かを感じ取って頂ければ幸いです。
今後もさらによりよいものが書けるよう頑張りたいと思います。
よろしければ、また別の作品で会えますように――。
桐谷瑞香(二〇一〇・〇九・〇七)




