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五、絆美神の祠

 しばらくして、看板が見てきた。山頂まであと何百メートルという案内板。それを見ると鈍くなった動きが軽くなる。

 そんな場所まで来たとき、伊沢が嬉しそうな顔をして奈美を見た。

「やっと着いた。あれが最後のポイント、絆美神(きずなみがみ)の祠」

 伊沢が少し横にずれて、奈美の視界の祠が入るようにした。

 見れば、小さく可愛らしい祠が、太陽の光を浴びながら静かに佇んでいる。木々の間から漏れている絶妙な光を一身に受けており、もしあの祠が生き物であれば、とても快適な気分でそこにいるだろう。

 内部がよく見えるところまで来ると、誰かが供えたのか、すでに枯れてしまった草花が置かれていた。伊沢はそれを丁寧に取り払い、周りの草木を少しだけ切った。こざっぱりしたような感じになる。

「ここは絆美神が祀られている場所なんだ。さらに上にある神社には絆美義神(きずなみぎがみ)という、この波木山がメインとして祀っている神様の守り人として、他の祠に祀られている絆義神(きずなぎがみ)と共に産み落とされたんだ。ここだけじゃなく、この山には多くの祠や神社があり、神様がいる。たぶん通常の道を通るときもたくさん見ていると思う」

 話を振られて、奈美は一年前に登ったときの山の様子を思い出す。中腹では小さな祠があり、それを話題に出しながら、歩いた記憶がある。首を縦に振り、伊沢の言葉に応えた。

「そしてここは絆の美しさを想い、導く女神さまが祀られている。だからきっと絆に対して正しい道標を導いてくれるはずだ。君たちの絆が本当のものなら戻るかもしれないし、偽りであったのなら戻らないかもしれないが」

 その言葉を聞いて、少しだけ不安な気持ちが浮かび上がってきた。

 秀と広樹、二人の結びつきが固いものなのか。

 この部全体の結びつきは固いものなのか。

 本当はあの赤い糸の繋がりは限りなく細くて、切れてしまったのは必然のことではないかと思うと、寒気がしてくる。

 それを振り払うかのように、奈美は祠を懐かしそうに見入っている伊沢に疑問を投げかけた。

「それでここでその神様にでも会うつもりですか?」

 すると伊沢は微笑を浮かべた。

「面白いことを言うんだね、奈美ちゃんは」

「違います。あなたの前振りからそういう風に思っただけです」

「そうか、それは悪かったね。言い方には気を付けるよ。まずはご挨拶とお願い事をしようか」

 伊沢はリュックから、さっきくみ取った水を祠の前に置き、合掌をした。奈美も焦る気持ちを抑えて、それを真似し、渡された石を水の隣に置いて目を閉じ、手を合わせる。

 一つの願いをただ一心に祈って――。

 すべての繋がりが元通りに戻りますように――。

 風もなく、音もなく、静かな空間。

 何かが見えそうで、見えない状態が続いていた。

 突然、チリンという鈴の音がその空間の中に鳴り響く。何度も何度も繰り返され、全身をその音が駈け巡る。何かを導くような鳴り方に、うっすらと目を開けた。

 しかし開けた瞬間、音は聞こえなくなった。ただ耳に入ってくる音は、草木が風で揺れている音だけ。今の音は幻聴だったのだろうか。

 だがそんな中、激しく草木が動かされる音が聞こえた。その方向にすぐさま見ると、数メートル先で何か大きなものが動いている。もしかして熊か、と心許ない持ち物で警戒した。

 だがそこからは人が飛び出してきた。目を丸くして、唖然としている奈美たちに気にすることもなく、その人は背を向けて無心に先に通じる道を走り始める。

 ほんの少しして、後ろ姿をよく見て我に戻った。その人に対して、思わず大きな声を発する。

「秀! 高瀬秀!」

 叫ぶと、その人物を追いかけ始めた。伊沢が止めようとしたのに目もくれず。

 必死に走り、秀と思われる人に追いつこうとする。

 だがそこからは登り道であり、追いかけているのは走るのが得意な男の人。そんな人にある程度の距離が付いてから追いつけるわけがなかった。見る見るうちに差は開いていき、あっという間に背中が豆粒ほどになってしまう。

「お願いだから、待って、秀!」

 息も切れ切れに声を出す。だが足下に注意を払っていなかった奈美は踏み場を間違えて、足を滑らしてしまった。息を吐く暇などなく、転がり落ちる。このまま下まで落ちるかと目をつぶったが、途中で何かによって止まった。

 いや、誰かに止められたのだ。

 目を開くと、大きな手をした人に抱えられていた。そしてその人の手の甲には擦り傷ができていた。

「まったく無茶もいいところなんだから。どこか痛むところはある?」

 後ろから聞こえる、真剣な声。肩越しにその姿を見た。伊沢が身を挺して、奈美を止めてくれたのだ。

「だ、大丈夫です! ありがとうございます!」

 慌てて拘束から解き放してもらい、立ち上がる。しかし急に左足に激痛が走り、再びしゃがみ込んでしまった。

「大丈夫じゃないだろう。足でも痛めた?」

 触ろうとした手をあたふたと振り払った。

「だから大丈夫です。ちょっと慣れないことをしてしまったから――」

「痛いんだろ?」

 出会ったときのようなおどけた様子ではなく、真っ直ぐな視線を突きつけられた。その目に意識が奪われると、隙を突かれて左足首を握られる。

「……っ痛」

「ほら、痛いじゃないか。足場を踏み違えて、その時に痛めたかもしれない。まずは冷やした方がいいが……。確かここを登りきって平坦な道に入ったところに、また別の湧き水があったはずだ。そこまで頑張って登ろう」

「……わかりました。すみません、ご迷惑かけて」

「いいんだよ。僕も昔、そういうことをよくやっていたから」

 伊沢に支えられて、奈美は再び立ち上がった。ゆっくり歩くことは一人でもどうにかできそうだが、登るとなっては少し苦しいかもしれない。

 それを気遣ってか、伊沢は先に進んで上手く立ち回ってくれる。手を差し伸べたり、押し出してくれたりと。そのおかげで、痛みもそこまで意識せずに登りきることができた。

 そして少し歩くと、湧き水が出ている箇所に辿り着く。流量はあまり多いとは言えないが、足を触れるくらいの深さはあった。脇にあった石の上に腰を掛けさせられて、靴を脱いで左足を露わにする。

 少し腫れていたが、思ったほどではない。冷やすために、湧き水が出て川となろうとしている所に足を突っ込んだ。だんだんと冷たさが浸透していく。痛さも少しずつひいていった。

 伊沢は奈美の足の様子をまじまじと見ていたが、しばらくすると立ち上がり、奈美から少し離れて目を細めながら、ぽつりと声を漏らした。

「先の方に行って様子を見て来る。たぶんもう少しで合流地点だから。何かあったら、大声で叫んでね」

「叫ぶって、普通は連絡先を教えるとかじゃないのですか」

「僕の携帯電話、電池切れで使えないんだ。だから叫んでね。それじゃ」

 そう言い、軽く手を振ると、先へ行ってしまった。

 その背中を見ながら、奈美は溜めてきたものを出すように深々と息を吐いた。

 伊沢の行為に対して、申し訳ないという気持ちと同時に、その優しさと気遣いが本当に嬉しい。

 きっとこれが部活内の人とであったら、無理して笑顔を繕いながら、助けなど頼らず進んだかもしれなかった。でも、彼はそんな行為をさせる前に、本音を吐き出させてくれる。

 それに、少しは色々と頭の中に整理したい気分であったため、一人になりたかったのだ。

 まともな休憩など、登り始めてからまだ取っていなかった。携帯電話で時刻を確認すると、もう昼も過ぎている。もちろん山頂への予定到着時刻も過ぎていた。

 あれから特に連絡は入ってこない。秀の手がかりが得られ次第、連絡をすると言ってきた。つまりまだ何も得られていないということ。もしくは得られても、連絡を入れなかったか。もし後者としたら、正直考えたくもない。

 電波が三本立っていない状態だったが、着信履歴を開き、由宇に向けてリダイヤルボタンを押した。

 数秒沈黙が走り、コール音が響く。何度も何度も響いたが、やがては留守番電話サービスに飛ばされた。肩をすくめながら、通話を切った。

 出なかったのはきっときつい傾斜を登っているからだと思い、足を冷やすことに専念する。

 風が吹けば、葉は揺れ、その葉は隣と当たる。それがいくつも重なると、心が休まるような音を出していく。湧き水のせせらぎも聞こえて、自然の素晴らしさを、身を持って実感していた。

 そんな静かな時間が過ぎていると、不意に他の音が耳に届く。それは祠の前でも聞いた、――そしてこの山に入る直前にも聞いた音と同じだった。

 思い出したように、下ろしたリュックから細長く飛び出している物を手に取り、引き抜いた。

 それは鈴が付いている破魔矢。羽の部分が少し土で汚れているのは、さっき転がり落ちた時のものだろう。だが、よく折れなかったと思った。きっと丈夫なものでできているのだろう。

 鈴の近くには、買った神社名を記された紙が下がっている。波木山神社と書かれており、頂上にあるのだ。

 矢を少し揺らすと、チリンと鈴が響く。少しか細い音だが、その控えめな感じが気に入っている。

 なんとなくしっかり握ると、ほのかに温かかった、ただの矢であるはずなのに。

 不思議な感覚に、息を呑んで、矢を食い入る様に見たが、それと同時に何事も無かったかのように、矢は冷たいものに戻ってしまった。

「まさか矢が生きているとか言わないわよね」

 冗談半分で言ったのに対して、誰も答えてはくれなかった。

 わからないことを考えても埒が明かないので、矢のことは置いといて、今までのことを少し整理してみた。

 この波木山に入ってから突然見えるようになった赤い糸。伊沢が言うには、人と人との絆の結びつきを表すものらしい。それが切れたことによって、秀と広樹は喧嘩をし始め、周りの人もあまり干渉しなかった。

 その後、秀が団体から抜け出したため、三つに分かれて探すことになる。その途中で奈美は伊沢という、一見変わった人に出会った。それから絆を再び結ぶ手がかりとなる、紡糸川(ぼうしがわ)の水、繋累岩(けいるいいわ)の欠片を手に入れた。その二つは今、伊沢が奈美のことを追いかける前に持って来てくれたため、石の脇にある。

 そして最後に訪れた絆美神(きずなみがみ)の祠、あそこは結局何だったのだろうか。

 繋ぐ人を導くとかそういうことを伊沢は言っていた。だが祈った後は、鈴の音が聞こえ、秀らしき人の後ろ姿を見た。それを追いかけて、転がり落ちたという現在の状況。誰も絆を繋ぐ人など現れなかった。

 簡単に赤い糸と様々な出来事を振り返ればこんなところだろう。特に抜けていることはないはずだが、何かが頭の中に引っかかっていた。見落としがちなことではあるが、何か大切なことを――。

 伊沢に聞き出せば、もう少し何かが掴めるかもしれない。そう考えて、もやもやしたものは思考の片隅に置いておいた。

 不意に彼と奈美を繋いでいる赤い糸に視線を下ろす。その線が出会った当初よりもはっきりと見えるような気がした。

 他にも奈美の体からは色々な糸が出ているが、伊沢との糸は間違わないだろう。

「絆って、いったい何だろう。その単語を一つ取ってもいろいろとある気がする」

 触れても、空を切ってしまう糸を突く真似をしながら、疑問を口にする。

 ただ一緒にいるだけが、絆を強める唯一の行為ではないだろう。離れていても、切れないものはあるはずだ。

 絆が切れる時は、お互いの信頼関係が失われた時だろうか。

 意思の疎通が上手くいかなくなった時だろうか。

 それなら、絆の結びつきと呼ばれている赤い糸を繋いだとしても、根本的な解決にはならないのか。

 いろいろと考えたが、何も結論などでない。ただ今は動かないと、何かをしていないと気が済まなかった。

 正直面倒なことになったと奈美は当初は思ったが、今ではどうにか繋ぎたいという想いが強い。こんなにも部に対して真摯に考えているのは初めてかもしれなかった。その想いに気付いてくれている人なんていないだろうが、それは主張しない奈美も悪いかもしれない。

 やがてほころびている派手なシャツを来た青年が戻ってくるのが見えた。気付けば、左足の痛みも大分ひいたようだ。

「調子は良くなった?」

「はい、良くなりました。これでしばらくは歩けると思います」

「それならよかった。少し固めるから足を差し出して」

 伊沢はハンカチを取り出し、水から出した左足をしっかり結び始めた。すると痛かったものが固定されて、さらに楽になる。

「ありがとうございます。慣れていますね」

「だから昔はよくやったんだって。休憩も終わったところで、さあ、行こうか」

 手を差し伸ばされ、立ち上がるよう促す。それを微笑みながら、握り返し、再び奈美の足は地に降り立った。


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