第7話 カグツチ
「わたしたちに?」
八尋が、パチパチとまばたきした。
祝はといえば、〈これ以上かかわるんじゃねえ〉と水揚げされた魚よろしく、口をパクパクとさせていた。だけど八尋には見向きもされず、話しはさらに進んでゆく。
「月暈」
姉の日暈が、弟に呼びかけた。弟の月暈は、こくりとうなずき背を見せると、とつぜん診察台の下へと潜っていった。うんしょ、うんしょ、といじらしい声をあげ、何かを外へと押し出そうとしているようだ。
診察台の下から出てきたのは、大人ですら抱え込むのはやっとのほどの、大きくて茶色い、かぼちゃのような物体だった。しかし、皮とおぼしき部分はかぼちゃのように厚くはなく、細かい葉脈のような膜が、網のように張り巡らされているだけで、中が空洞になっていることが見て取れた。
そして、中は空洞ではあってもカラではなかった。そこには、鷹揚にゆらめく炎があった。
いや、これって炎か? と、祝は思う。それは、あまりにも淡い黄色で、もやもやと立ち昇る陽炎のように儚かった。かぼちゃのような物体の中を目一杯に満たしているので、消える気配はなかったが、今にも景色に溶け込んでしまいそうなほどに色が薄い。
そのうえ、取り囲んでいる網目状の膜に、燃え移る気配も一切ない。案外あんな薄い膜でも、断熱効果のある材質で作られているのか、それとも炎だと思い込んでいるものが、実はまったく違う物質なのかーー考えたところで祝に答えを導き出せるはずもなく、かといって見てしまった以上は正体を知りたい。関わるまいとしていたが、結局は我慢できず、
「何だよ、これ……」
と、警戒心たっぷりに問いただした。
「枯れ鬼灯ですの」
日暈が、ぽんとかぼちゃのような物体に手を置いた。「だけどこれは、とあるお方の母体に似せるため、栽培中は肥料の代わりに仙薬を投じることで巨大に実らせ、収穫ののちに、月の光を十月十日浴びせた特別仕様の鬼灯ですの」
「ですぞ」
「中で燃えているのは、何なの?」
八尋が、中を覗き込みながら問いかけた。「ずいぶん色の薄い炎ね、初めて見たわ。それに、こんな網みたいな薄い膜で覆われてるだけなのに、触ってもぜんぜん熱くなさそうね」
LED製かしら、と首をかしげる。
「炎は炎でも、ただの炎ではないですの」
「ですぞ」
もっとよく見てみろと、狐耳の姉弟が、目顔で祝と八尋を促した。
祝は不審気な目を二匹に向けつつも、躊躇なく顔を近づけようとする八尋に釣られて、恐るおそる鬼灯へと近づいていった。膝を折って、言われるがままに、よくよくその炎を見澄ましてみると、その中に、さらに淡くて儚いものが存在していた。
(人だ! いや、赤ん坊……?)
日暈や月暈よりもさらに小さく、胴体も四肢もコッペパンのようにムチムチとしていて、軽く握った両手にも厚みがある。
そんないたいけな人影が、炎の中で背中を丸めて横たわっていた。
祝は、吸い込まれるようにしてさらに近づき、食い入るように凝視した。
その赤ん坊は、裸で炎に巻かれているにもかかわらず、苦しんでいるふうにも、熱がっている気振りもない。と言うよりも、炎と一つになっているかのようで、人の形をした炎心のようだ。
穏やかに胸を上下させているあたり、どうやら眠っているようである。
しかし、いまいち確証がもてないのは、その赤ん坊が薄く淡すぎて、表情をうかがい知ることができないからーーというよりも、表情なんてものは間違いなく持ち合わせてはいないからだった。
祝は、本来ならばあるべき場所の、無いものを見つめて呟いた。
「首が……ない」
そう、赤ん坊は、首から上が一切なかった。
隣で八尋が息を呑む。祝も薄気味悪さに、ぞわりと背中に何かが這われるような怖気を覚えた。悪趣味な作りものだな、と言い捨てて、鼻で笑い飛ばしてやりたかったが、声は喉の奥でつっかえた。
なぜなら、そのふっくらとした肉感や、時折もぞもぞと動く仕草には、血が通っているとしか思えないほどの生々しさと、身に迫ってくるかのような力強い息吹が伝わってくる。LEDなんかで作られるような、光の細工物とはとてもじゃないが思えない。祝が得てきた知見において、これほど精密に作られた造形物など、見たことがない。
「これって、何なの……?」
八尋が尋ねた。彼女もさすがに怖気を覚えたようで、かすかにその声は震えていた。
狐耳の二匹が、にわかに姿勢を正し、息を揃えてコホンとひとつ空咳を置いた。そして、粛然たる物腰でもって二人に告げた。
「このお方は、カグツチ。火を司る神様ですの」
「ですぞ」
沈黙が落ちた。診療時間が終わった診察室は、時が止まったかのような静寂に沈んだ。
祝と八尋は、ぽかんと口を開けて、呆気に取られた。
それから互いに顔を見合わせ、祝はまばたきでもって八尋に尋ねた。
〈なに言ってんだ、こいつら〉
すぐさま八尋も、まばたきで応じた。
〈わかんない〉
そして一緒に眉根を寄せ、狐耳の姉弟を見返した。
それを受けて、二匹も互いに顔を見合わせた。祝と八尋同様にまばたきを交わし、阿吽の呼吸で顔を戻す。
それから口を開いたのは、ちょっと驚くことに弟の月暈の方だった。
「こノおカたハ、カぐツち。ひヲつカさドるカみサまデすゾ」
「ですの」
一呼吸おいて、とりあえず祝は、へぇ〜、とだけ返しておいた。わかったことは、一つだけ。
「おまえ、しゃべれるんだな。安心したわ」
かなりおぼつかない口調ではあったが、一生懸命だったから黙っておいた。
ともあれ二匹は、祝と八尋から声を引き出すことに成功した。
「神様って……どういうこと?」
八尋が、胡乱げに問いかける。
それを見た祝は、やっと自分と同じ心境に追いついたかと、頬が緩んだ。何か答えようとする二匹を制するように、ハハハッと乾いた笑いで割り込んだ。
「馬鹿か、八尋。おまえ、コイツらにからかわれてんだよ」
それから、ぽんぽんと鬼灯を軽く叩いて、
「こいつだって、ずいぶん良くできてるけど、ただのオモチャにきまってる。何が、神様だっつーの」
実際に手に触れてみて確信したが、やはり鬼灯は細かい葉脈が覆っているだけで、中で燃えている火を密閉なんかしていなかった。なのに、火が放つ熱は伝わって来ず、触れていてもまったく熱くない。
見れば見るほど面妖ではあるが、やはり、こんなものは火ではない。ましてや、中にいる人影が、神様であろうはずがない。手の込んだハロウィングッズか何かで、スイッチだって、どこかに隠されているはずだ。
しかし、なあ、そうだろう? と、狐耳の姉弟へと顔を返した途端、祝は、ギョッとして鬼灯から手を引いた。
いつの間にか、二匹は沈痛にひしめく影を背負って、締め上げられている胸を耐えているかのように、面差しを険しくさせていた。そのうえ、四つの円らな眼には、今にも零れそうな涙が浮かんでいる。
祝は、げッと発して仰け反った。相手は子供だ。からかってきたのは向こうでも、泣かれでもしたらどうせこっちが悪者になる。
「そ、そう! 神様、神様だよなっ。おまえら、すげえよ。小さいのに神様なんか持っててさあ。大したもんだよ、あっこがれるぅ!」
口早に言って、なに言ってんだ俺は、と思った。隣で八尋が吹き出して、ピシリとこめかみに青筋が浮いた。
それでも二匹は、顔を顰めたままだった。とみるや、同時に胸を反らして、大きく息を吸いだした。
やばい、泣かれるーーと、祝は思わず身構えた。
しかし、二匹が次に起こした行動は、予想を大きく裏切るものだった。




