第6話 狛犬姉弟
「やだっ、可愛い〜!」
診察室に入って、それを見た途端、八尋が目を輝かせて声をあげた。
かたや、祝は口をぽかんと開けて、それを呆然と見下ろしていた。
そもそも、お母さんのこれからについて、と言ったからには、てっきり二人きりで話し合うものだと思っていたのに、瀬城はなぜか、「八尋ちゃんにも一緒に聞いてもらいたいんだ」と言い出した。ICUの前で待っている八尋を呼びにいこうとする青年医に、祝は慌てて訳を尋ねたが、
「それは、診察室に着いてから説明するから」
と、ひたすら口を濁すばかり。
そのうえ、八尋も八尋で気負った顔つきでうなずいて、二人はスタスタと診察室へと歩き出した。
そうして、なぜか自分だけがオマケのような扱いとなって、祝は呆気にとられながら瀬城と八尋の背中を追い、せめて一階まで下りたからには、コンビニに行かせてくれと二人を引き留め、飲み物を買って診察室へと向かったのだった。
そして、部屋の中で待ち受けていたのは、祝をさらに困惑へと陥しこむものだった。
それは、五歳くらいの男の子と女の子だった。
双子だろうか ――二人は身丈はもちろん、顔かたちもそっくりだった。整った容貌で、あどけなくも美麗な少年と少女である。
少女の方は堂々としていて、むしろ鼻先をつんと持ち上げてそり返ってるさまは、尊大とも言うべき佇まいだ。
少年の方は、少女の背に隠れて、人見知りを全面に押し出していた。こちらが萎縮してしまいそうになるほどの怯えようではあったが、見上げてくる目には、抑えきれない好奇心の光が跳ねていた。
それだけの特徴であったなら、患者の子供か、と思うに留まっていたはずだった。もちろん瀬城は小児科医ではないから、きっと患者である親が、何かしらの小用のために、そのあいだだけここで預かってやっているのだろうと、適当に推測して受け流していたはずだった。
しかし彼らの風貌には、どうしても見過ごせない、祝を混乱させる奇態がいくつもあった。
まずは服装だ。少女の方は、巫女装束のような、白衣と緋袴で身を包み、少年の方は、小袖の上から浅葱色の指貫と呼ばれる袴を穿き、さらにその上から白い狩衣といわれる着物を纏って、神主を思わせる出立ちであった。
どちらもよく見れば埃っぽくって、なぜか穴が空いていたり擦り切れていたりしている。何があったかは知らないが、悪戦苦闘を強いられた過去があったのだと物語っているかのようだった。
狐色の髪を少女は長く背中まで垂らし、少年は短髪。大きな瞳は榛色で、その中で爛と光る瞳孔は、猫のように細長い。
そして何よりも奇っ怪で、〈二人〉ではなく、〈二匹〉と言うべきか ――と混迷させるものが、彼らの頭部と臀部にはあった。
それは、狐そのもの、と言っていいほどのフカフカな耳と尻尾であった。
コスプレか? とも思ったが、どうも違う。髪の毛と同じ色をしたそれらには、玩具のようなちゃちさがない。それでいて、正直言って小汚い。よく言えば、年季を感じる毛並みなのだ。そもそも玩具であれば、耳はヘッドバンドなんかで繋がっているはずなのに、まじまじと見てみてもそれらしきものは見当たらない。
それに、どう見てもさっきから ――ほら、動いた! やっぱり動いた!
少女の耳は、ツンと反り返ってあまり大きな動きを見せないが、尻尾の方は、まるで祝と八尋を見比べているかのように、時折ゆらゆらと左右に揺れるのだ。
少年の耳は、可哀そうなほどに垂れていて、尻尾にいたっては、先っちょが床に届いてしまっている。そのうえ、こちらと視線が合うたびにピクピクと震え、身体のどこよりもわかりやすく、祝と八尋への感情を報せてくれていた。
つまりそれは、取り外しができるようなものではなく、感情表現の一つとして、彼らの神経にしっかりと繋がる身体の一部分 ――つまり本物ようだった。
ひたすら固まっているだけの祝をよそに、八尋が二匹へと駆け寄っていく。しゃがんで顔を近づけると、
「初めまして、お二人さん」
と、学校中の男子たちを虜にしてきた、咲き薫るような笑みをひろげた。
「初めましてですの!」
狐耳の少女が、にっこりと八尋に微笑み返した。
少年の方も、
「……ですぞ」
と、かすかに目許を和ませる。
「うわっ! 喋った」
祝が、仰け反りながら目を剥いた。ちょっと失礼すぎたか、と思うと同時に、少女と少年が、揃ってジロリとこちらを睨みつけてきた。
「当たり前ですの、この頓狂者! わっちゃらは、これでも千古より生きる神さびたる存在。口を利いてもらえるだけでも、感謝するですの!」
「ですぞ!」
少女の高飛車な物言いに、祝の頬が引きつった。少年の方は、また「ですぞ」としか言わなっかたが、尊大な目つきは少女と変わらない。
「本当? 凄いのねえ!」
八尋は、素直に驚いている。
褒められた狐耳二匹は、得意気になって同時に胸を反らしてみせた。
祝は、思いっきり寄せた眉根を八尋に向けて、いや、凄いのはおまえの方だよ ――と、心の中でつぶやいた。
なぜ、こんな怪しい生き物の前へ、躊躇いもなく近づいていけるのか。どうして言葉が通じることを前提において、平然と話しかけることがてきるのか ――得体の知れない生き物がもう一人加わって、まさに狐につままれている気分だった。
狐耳二匹の後ろに立っている瀬城へ縋るような視線を伸ばしてみても、彼もまた二匹と八尋の和気藹々とした空間にほっこりと微笑むばかりで、祝の戸惑いには気づいてくれない。
「それで、あなたたちのお名前は?」
八尋に尋ねられ、少女が「あっ」と漏らした口に手を当てた。
「これはしたり。まだ名前も名乗っていなかったとは」
それから、こほんと一つ空咳をおいて、口を開いた。
「わっちゃの名前は日暈。こっちは弟の月暈。わっちゃらは、とある神様にお使いする狛犬の姉弟。どうぞ、よしなに頼みますですの」
「ですぞ」
八尋が、へえ〜、とうなずき、またもや素直に感心している。
「わたしの名前は、海童八尋。後ろにいるのは、同級生で幼馴染の稲司祝よ。よろしくね、おふたりさん」
祝は、げっと叫びそうになった。勝手に紹介すんな! あんな怪しい生き物に……
「狛犬って、神社とかにいる、あの犬みたいなやつのこと?」
八尋が真顔で尋ねると、狐耳の姉、日暈が、そうですの、とうなずいた。
「だけど、決して犬ではないですの。わっちゃらは神使として生まれた、尊くかつ愛くるしい、二匹で一対の霊獣ですの」
「ですぞ」
「れ、霊獣!?」目を丸くした八尋が、弾けるような声をあげた。「何だかよくわからないけど、すごぉい!」
キラキラとした眼差しと歓声を浴びて、狐耳の姉弟が、またもや腰に手を当て、そっくり返った。
もはや祝は、何ひとつ疑念を抱かない八尋に、あいつが、一番の未確認生物かも、とドン引きを通り越して恐怖すら覚えた。
「それで、日暈と月暈は、ここへ何しにきたの? 神様の使いなら、その神様のそばにいてあげなくちゃいけないんじゃないの?」
いたって穏やかに、八尋は尋ねた。しかし、狐耳の姉弟の顔からは笑みが消え去り、ふっくらと柔らかそうだった頬が、ぴんと音をたてんばかりに張りつめた。
「わっちゃらは今日、おぬしたちに会いに、ここまでやって来たんですの」
「ですぞ」




