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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第5話 厄災の予兆 

 出し抜けに、地面から足許へ小刻みな振動が伝わってきた。

 気づけば、建物全体が身震いしているかのように揺れ動き、辺りからは、ゴゴゴゴゴと低く不穏な鳴動が、迫り来るかのように湧いていた。


「地震よ!」

 女の一人が声をあげた。次いで、

「お、大きいわよ、これ!」

「うそでしょ、やだあ!」

 悲鳴にも似た叫びが、地鳴りと重なって廊下に満ちる。

 互いにしがみつき合いながら、その場を凌いでいる彼女たちの姿が目に浮かんだ。

 

 かくいう(ほおり)も、中腰の姿勢でただ固まっているだけである。頭を隠せるものを、と思いつつも、廊下の真ん中でそれらしきものは見つからない。


(そうだーー八尋は!)

 はっと思い出したのは、置いてけぼりにしていた幼馴染だった。渦巻いていた物騒な感情はいつの間にか散って、祝はすぐさま背を返した。そして、彼女の元へと駆けつけようと足をニ、三歩進めたころーー唐突に地震はピタリと止まった。

 不穏に響いていた地鳴りも消え、辺りは何事もなかったかのような静寂が戻った。


「止まった……わね」

「ああ、びっくりした」

「大きかったし、ずいぶん長かったわね」


 祝が胸を撫でおろすよりも先に、親戚の女たちのほどけた声が耳に聞こえた。


「家の家具とか、大丈夫かしら……何も倒れてなきゃいいけど」


「それにしても、ここ最近よく起きるわよね、地震。ついこの前も揺れたじゃない」


「そういえば……あれって確か五日前の日曜日だったわよね。あのときも、ずいぶん揺れてたわ」


「その前に起きた地震だって、まだ一ヶ月も経ってないでしょ? 何なのよ、いったい……」


「こういうのって、洒落にならないくらいのやつが、ドーンと来るための余震だったりするんじゃないの? それか、もっとよくない大惨事が起きる予兆だったりして……」


「やだっ、怖いこと言わないでよ」


「そ、そうよ。何よ、大惨事って……アンタ、変なオカルト動画の見過ぎじゃないの?」


「……」

「……」

「……」


 にわかに湧いた沈黙のなかに、彼女たちの胸底から発せられるざわめきのようなものを聞いた気がした。祝からすれば悪魔よりもおぞましい連中ではあるが、さすがに災害への恐怖は人並みに持ち合わせているらしい。

 が、それも一瞬。先案じなど強引にねじ伏せるすべを心得ているようで、次にあがってきた声には、もう一抹の不安も嗅ぎ取れなかった。

「もう帰りましょ。病院なんて、長居するところじゃないわよ」


「そうよね。やだ、もうこんな時間じゃない。うちの子サッカー部だから、帰ってきた途端、メシメシってうるさいのよ」


「そういえば、うちの子も今日は塾の日だったわ。ちゃんと予習してるか見てあげなくちゃ」


「うちの娘もフルートのコンクールが近いのよ。寝る間も惜しんで練習するもんだから、夜食の用意もしなきゃだわ」


 女たちの声が、足音とともに遠ざかってゆく。

 気配もすっかり消え去って、祝はようやく息をついた。地震が止まったことではなく、犯罪者にならずに済んだことへの安堵と、まだ燃えカスのようになって残っていた、〈殺意〉という名の黒い感情を吐き出すための、長い長い吐息だった。

 ズキズキと疼くこめかみと、ヘドが出そうなほどにむかつく胸は、いまだ燻る怒りと悔しさと悲しみだ。けれど、理性がこれでよかったんだと、そっと囁いてくれていた。


 気を取り直して、一階のコンビニへと向かうべく足を返した。またすぐにでも地震が起きる可能性は大いにあるから、エレベーターは素通りして、渋々ながら階段を目指す。ただでさえ疲れているうえに、女たちの非情な陰口を耳にしたせいで、心も身体もぬかるんでいるかのような抵抗を覚えたが、もう喉は痛いほどにカラカラだった。

 憂鬱な吐息をつきながら、下り階段に一歩足を踏み下ろすと、


「やあ、祝くん」

 目の前に、階段を上りながら朗らかに見上げてくる瀬城がいた。

「さっきの地震、大丈夫だったかい?」

 あ、はい、と祝がうなずくと、

「そっか、よかった。ちょっと驚いたよね」

 と若き名医は、柔らかい声で微笑んだ。

 

 瀬城は優しい。此葉の担当医になってまだ間もないが、顔を合わせばいつも気さくに声をかけてきてくれる。すでに父親のいない祝の境遇を知って、「お母さんの病気以外のことでも、何か困ったことがあれば、いつでも相談に乗るからね」と折にふれては、気にかけてくれる。

 

 いつだったか、自分もシングルマザーの家庭で育ったのだと打ち明けられたこともあった。小学生のころは、陰気で人見知りもひどくて、クラスメイトからいじめられることもあったんだとか。

「下校しようとすると、下駄箱に入れたはずの靴がしょっちゅう失くなることがあってね。先生に言う勇気がないから、そのまま上履きで帰るしかなかったんだけど、母親にはもっと言いづらくってさ。自分で失くしたって言っても、そんな嘘、全部お見通しで……あのときの母親の悲しそうな顔は、いま思い出しただけでも胸が痛いよ」


 そう零しながら額をうつむかせる瀬城の目を見て、祝は鏡を見ているかのような思いに打たれた。(くら)(かげ)った瞳の色に、切なくなるほどの親近感を覚えて、親身になってくれようとしているのは、決して社交辞令ではないのだと胸に染みた。

 

 だからこそ今も、ただの挨拶代わりの安否確認とはいえ、瀬城からよかったと言われれば、かすかではあるが胸が癒えるようだった。


 しかし、それも束の間。瀬城の顔から柔和な笑みがすっと消え失せ、祝を見つめる瞳が硬くなった。

「それじゃあ、行こうか。きみのお母さんのこれからについて、ぜひ話し合っておきたいことがあるんだ」


 祝の総身が、ぴしりと強張る。瀬城がICUで言い置いていった言葉を思い出して、すぐさまうなずく気にはなれなかった。

 聞きたいようで聞きたくない。知りたいようで知りたくない。相対する感情が交互に点滅して、祝の心はどちらに進むべきか揺れ動いた。


 しかし、脳裏に蘇ったのは、ケラケラと笑うあの女たちの声だった。実際には目にしていないはずなのに、醜怪に歪んだ厚化粧の顔までもが、灰汁のように浮かんで笑い声と重なった。


 祝は、ギリッと歯を軋ませた。母さんが死ねば、あの女たちをもっと喜ばせる破目になる。

(そんなの、絶対に御免だッ!)

 だったら、もう迷ってる場合じゃない。口を真一文字にきつく結ぶと、瀬城を見据えてうなずいた。

 彼は確か、きみにも覚悟して挑んでもらわなきゃならないことなんだ、と言っていた。

 覚悟かーーなら、丁度いま決まった、と喉の奥で呟いて、爪が食い込むほどに固く拳を握りしめた。


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