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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第3話 母さんを救うたった一つの方法

 しばらくすると、祝はちらっと苦笑いを走らせた。んなワケあるか。なに考えてんだ、俺は。

 すべては、此葉の迷妄だ。祝の気づかないところで、きっと病魔は彼女の心までもを蝕まんでしまっていたのだろう。

 宣言どおりに此葉が今まで生き永らえてこれたのは、見かけによらない彼女の生命力と精神力の強さによるものだ。そして、いよいよ身体も心も弱りきり、そこから差し込んだ諦めという名の昏い影が、〈約束した〉ひとを生んだのだ。


 人の死に時を詳細に知り、操ることができる者なんて、この世にいるはずがないのだからーー

  



◇◆◇◆

 



 扉が開く音がして、つかつかとこちらへ近づいてくる足音がする。

 背後で間仕切りカーテンが開かれて、祝は首を巡らせた。

 立っていたのは、此葉の担当医の男だった。

 名前は、瀬城夏冊(せじろなつふみ)。一ヶ月ほど前から、此葉の担当医になったばかりの青年だ。確か歳は、三十二歳。医者としてはまだまだ若いが、患者のあいだではすこぶる評判のいい男だ。

 歳は、祝が直接彼から聞いたわけではない。入院棟の患者である、奥さま連中が噂していたのをたまたま耳にしたのだ。この帝徳大学病院で、最年少の准教授候補に挙がっている、と。


「やあ、祝くん」

 瀬城が、シルバーフレームの眼鏡の奥にある目許を柔和に細めた。

 祝も立ち上がり、顎を軽く引いて会釈を返した。


「この子と二人で話をするから、君は外してもらえるかな」

 瀬城が、祝に付き添ってくれていた看護師に告げた。

 わかりました、と彼女は短く答えて、すぐさま部屋を出ていった。

 少しのあいだ、祝と瀬城は、黙って此葉を見下ろしていた。

「お母さんの病態だけどね」

 瀬城が重々しく口を開いて、祝の全身はこわばった。

「今の医学では、もう手の施しようがないんだ。それは、もうずいぶん前からそうだったけれど、今のお母さんの身体は、衰弱をきわめている。栄養低下と代謝異常が激しすぎて、薬を投与しても反応がまったく見られない」


 震える吐息を一つはいて、祝は顎を胸にうずめるようにして頷いた。


「残念だけど、保ってあと一ヶ月ーーいや、三週間もないと思う」

 瀬城の声は穏やかだっだ。が、容赦なく突きつけてくる現実は、祝の胸に深く抉るように突き刺さった。

「そう……ですか」

 かすれた声でなんとか応じて、そのあとは、虚しく響く心電図の電子音を聞いていた。


「だけどそれは、医学()()に頼れば、の話だけどね」

 瀬城が、おもむろに口を開いた。

 祝は言葉の意味を掴みそこねて、瀬城に向かって目をしばたたいた。

「君のお母さんを救う方法が、まだ一つだけあるってことなんだよ」


 えっと、祝は思わず声をあげた。

 温和で真面目で、良くいえば優男、悪くいえばいささか頼りない雰囲気の目の前の青年医が、今は精悍な気配を纏って見える。


「それって、何ですか……?」

 縋るような声で、すぐさま尋ねた。


「それはね、祝くんーー きみにも覚悟して挑んでもらわなきゃならないことなんだ」


 ちょうど、一息分の沈黙があった。


「挑む……? 俺が?」

 言って、祝は眉間を狭めた。希望を見出したと思ったのに、話は急に訝しくなった。


 瀬城は、そう、とうなずき返した。それから腕時計に目を落とし、

「だけど、ちょっとごめん」と顔の前に片手を立てた。「少し急用ができてしまったんだ。詳しい話をしたいんだけど、一時間ほど待ってもらっていいかな?」

 断る理由も見つからなくて、祝はとりあえず、はあ、とだけ答えた。

 

 それと、と言って、瀬城が扉の方へ目を向ける。

「お母さんが昏睡状態に入られたから、きみの叔父さんたちにも連絡したんだ。それで今、奥様方も一緒に外で待ってくださってるから、彼らにもお母さんの病態を説明してくるよ」

 

 祝は、舌打ちしそうになるのを辛うじて堪えた。クソッ。来てんのかよ。


 瀬城と一緒にICUを出ると、此葉の三人の兄たちと、その妻たちが本当に出口の前に集まっていた。

 瀬城の手前、彼らは一様に沈痛な表情を巧みに貼りつけ、妹の担当医の話に聞き入っている。

 祝に説明したのと同じように、保って一か月か三週間であると瀬城が告げると、女のひとりーー此葉から見ていちばん歳の離れた兄の妻が、思わずといった調子で、ニヤリと口の片端を吊り上げた。

 それを慌てて手で隠すと、瀬城には気づかれることはなかったものの、祝はそれを見逃さなかった。

 ほかの七人の様子にしても、悲しげに顔をしかめてはいても、目はしっかりと乾いている。まとう気配に、一滴の憂いも感じない。


 しかし、そんな彼らとは距離を置いて、悲愴感に包まれながら涙をこらえるポニーテールの少女がいた。

 祝の幼馴染であり、クラスメイトでもある海童八尋わたつみやひろだ。そして、この帝徳大学病院の院長の愛娘だ。

 おおかた、血相を変えて教室から飛び出ていく腐れ縁の姿を見つけて、要らぬ察しのよさで追いかけて来たのだ。八尋にとってこの病院は庭であり、この病院の職員に、彼女を知らない者はほとんどいない。ここまで追いかけて来れたのも、どうせ受付の社員から当然のように此葉の病態を聞き出したんだろうと見当をつけ、祝はげんなりと口許をひん曲げた。

 

 目が合うと、八尋は堪えきれないとばかりに、顔をくしゃくしゃにして涙を零し、祝は苦くて深いため息を零す。


「だけど、最後まで最善を尽くすつもりです。此葉さんは、何度も窮地を乗り越えてこられました。今度だってきっと闘い抜いてくれると、僕は信じてます」

 院長令嬢に気を遣ってか、それとも祝に囁いた医学以外の手段を示唆してか、瀬城が励ますような声で言った。


 それを聞いて、八尋の顔がぱっと輝く。

 一方、親戚連中はといえばみな一様に笑みを強張らせ、イラッと気色ばむ者さえいた。

 先ほどニヤリと笑った女にいたっては、ほんの一瞬ではあるが瀬城に恨めしそうな目をぶつけ、次いで『ICU(緊急治療室)』と記された扉に貫くような視線を投げていた。

 生きてこの部屋を出るなんて許さない、とでも言っているかのような睨みように、祝は拳を握り締めて、飛びかかっていきそうになる痛憤をなんとか耐えた。

 

 かたや別角度からは、幼馴染の潤んだ眼差しが、痛いほどに突き刺さる。


 いきどおろしさとうっとおしさに、祝はイライラと頭を掻きむしり、ため息混じりに呟いた。

「どいつもこいつも、マジでうぜぇ」



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