「空と海のあいだで」
じぇっとふぉいるが港を離れ、静かに滑り出す。最初はまるで水面を撫でるような穏やかさ。
「ふむ、拍子抜けするほど静かじゃのう……」
と思ったその瞬間――
「うおおおおおっ!」
船体が突如として前へ跳ねるように加速し、弥次さんの叫び声が響いた。次の瞬間、背後でドスンという音。
藤兵衛、内心で「やっぱりやってくれたか……」とため息をつく。
「おい、弥次さん、大丈夫かい?」 「……返事がない。ってことは、たぶん大丈夫だな」
喜多さんの声が、どこか他人事のように響く。
やがて加速が収まり、船体が安定した滑りに変わると、船員が通路を歩きながら声をかける。
「現在、安定航行に入りました。しばらくの間、自由にお過ごしください」
と、そこへ――
「だから言ったでしょ! 座ってくださいって!」
先ほどの船員が、床に転がったままの弥次さんに怒鳴っている。
「いや~、すまんすまん。転がったけど、全く問題なし! むしろ景色が逆さに見えて新鮮だったよ!」
と、頭をさすりながらお道化る弥次さん。喜多さんが苦笑しながら彼を起こしつつ、
「まったく、あんたは旅先で転がるのが趣味なのかい」
と呆れている。
船員の説教が一段落すると、弥次さんが「ちょっと外の風でも浴びてくるか」と言い出し、喜多さんもそれに続く。
藤兵衛も気になって、そっと客室を出てみると――
「……おおっ」
目の前に広がるのは、遥か下に見える海面。出発前よりも明らかに高い位置を航行している。
「これは……まさか、本当に飛んでおるのか?」
驚いていると、先ほどの船員が近づいてきて、にこやかに説明を始めた。
「じぇっとふぉいるは、船体の下にある水中翼で海面から浮き上がり、抵抗を減らして高速航行する仕組みです。現在はおよそ5尺ほど浮上しております」
「なるほど……まるで水の上を滑る鳥のようじゃな」
と感心していると、背後からまたもやあの声。
「なあ喜多さん、これってつまり、船なのに飛んでるってことかい?」
「そうだねぇ、つまり“空飛ぶ舟”ってやつだ」
「じゃあさ、これがもっと高く飛んだら“空飛ぶ屋形船”になるのかね?」
「それはもう、屋形船じゃなくて旅館ごと飛んでるよ!」
「そしたら、空中で宴会できるな! “空中どんちゃん騒ぎ”ってやつよ!」
「酔う前に落ちるわ!」
藤兵衛、またもや内心で突っ込む。
(……おぬしら、どこまで行っても変わらぬのう)
空と海のあいだ、じぇっとふぉいるは今日も珍客を乗せて、風を切って進んでゆく――。




