「壺の中にも、あの顔が」
蛸料理に舌鼓を打ち、腹も心も満たされた藤兵衛は、 ふと、箸を置いて店主に尋ねた。
「ところで、この蛸は、どのようにして捕っておるのじゃ?」
「はい、それがですね……」 と、店主は嬉しそうに語り出した。
「蛸というのは、狭くて安全な場所を好む習性がありまして。
“蛸壺”という素焼きの壺を海に沈めておくと、蛸が自ら入ってくれるんですよ。
で、それを引き上げるだけ。簡単なようで、奥が深いんです」
「ほう……それは面白いのう」 と、藤兵衛は目を細めた。
「蛸壺、見てみたいです!」 と、定吉が身を乗り出す。
「海沿いを歩けば、たくさん積んでありますよ」 と、店主が指さす。
「よし、見に行ってみようかのう」 と、藤兵衛が立ち上がると、
「また始まりましたな」 と、権兵衛が肩をすくめた。
海沿いの道を歩くと、 やがて視界の先に、ずらりと並ぶ壺の壁が見えてきた。
「おお、あれか……」 と、藤兵衛が足を速める。
近づいてみると、そこには素焼きの壺、壺、壺。
「……これを海に沈めて、毎日引き上げるのか」 と、藤兵衛は感心しきり。
「これに毎日蛸が入るとすると……百ではきかんな」 と、ぶつぶつと数を数え始めた。
近くにいた漁師に尋ねると、「蛸は壺に入ると、安心して出てこないんですよ」 とのこと。
「……であれば、壺に入れたまま、生きたまま江戸に運ぶこともできるのう。
だが、これに海水も入るとなれば……重量が……うむむ……」
藤兵衛は、思案が口から漏れ出すタイプである。
「若旦那、また始まりましたな」 と、権兵衛が苦笑する。
「でも、すごいですね~この数!」 と、定吉は壺の山を見上げて感嘆していた。
そのとき——
「……あっ!」 と、定吉が突然声を上げた。
「なんじゃ、どうした?」 と、藤兵衛が振り返る。
「若旦那、あれ……見てください……」 と、定吉が指さす先には、
ひときわ大きな蛸壺が、ぽつんと置かれていた。
その口元から、何やら人の頭らしきものが……。
「……まさか……」 と、藤兵衛がそろりそろりと近づく。
そして、見えたのは——
赤ら顔。
「……」
「……」
「……」
三人、完全に無言。
壺の中で、すやすやと寝息を立てる弥次さんがいた。
「……あの御仁、蛸と同じ習性を……」 と、藤兵衛は遠い目をした。
「狭くて安全な場所が好き……まさに蛸……」 と、権兵衛も目を伏せた。
「……蛸壺に入ってる人、初めて見ました……」 と、定吉は純粋に驚いていた。
「……さて、もう少しこの日間賀島を周ろうぞ」 と、
藤兵衛が何事もなかったかのように言い、 三人は周り右をして歩き出した。
背後では、壺の中から 「……むにゃ……わしが……世界の……」 という寝言が、
潮風に乗って聞こえてきたとか、こないとか。




