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東海道中珍栗毛  作者: なごやかたろう
湯けむり越しに、光るもの
54/65

「海を越えて、湯と貝と、影の気配」

志摩の真珠店を後にした藤兵衛たちは、 浜風に吹かれながら、しばし海を眺めていた。


「さて……ここから元の道を戻るのでは、芸がないのう」 と、藤兵衛がぽつりと呟いた。

「若旦那、また何か思いつかれましたな」 と、権兵衛が半ば呆れたように笑う。

「新しい道を開拓せねば、旅の意味が薄れるというものじゃ」 と、藤兵衛はきっぱり。


近くにいた猟師に声をかけ、

「このあたりで、何か目新しいものはないかのう?」と尋ねると——

「伊良湖に温泉が湧いたらしいですよ。 鳥羽から船で渡れます。 それに、伊良湖は大浅利や海苔が名物でしてな」

「温泉に、貝に、海苔……」 と、藤兵衛の目がきらりと光った。

「これは、行かねばなるまい」 と、即決である。


志摩から鳥羽までは、駅馬車が出ているということで、 三人は再び駅馬車に乗り込んだ。


「こうしてみると、駅馬車もずいぶん便利になりましたな」 と、権兵衛が感心する。

「でも、じぇっとふぉいるの方が速いですよね!」 と、定吉はすでに次の乗り物に心を飛ばしていた。


やがて、鳥羽港に到着。

「伊良湖行きの札はどこじゃろうか」 と、藤兵衛が窓口に向かうと、

「はい、じぇっとふぉいるで伊良湖まで出ておりますよ」 とのこと。

「おお、またあの速いやつか」 と、藤兵衛は懐かしげに笑った。

「そういえば、大島からの帰りに、弥次さんが座席下の収納に潜り込んで爆睡して、乗り過ごしたことがあったのう……」

「……あのお方は、そんなことを……」 と、権兵衛が目を丸くし、

「は~、すごいですね……」 と、定吉は純粋に感心していた。

「真似してはいかんぞ」 と、藤兵衛はすかさず釘を刺した。


札を手に入れ、乗船を待つ三人。 やがて、港にじぇっとふぉいるが滑り込んできた。


「おお、あれじゃあ!」 と、藤兵衛が指さす。


船体は白く、波を切るようにして港に入ってくる。 その姿は、まるで海の上を滑る鳥のようだった。

乗船し、席に着いた三人。


「出発いたします」 という船員の声とともに、 じぇっとふぉいるは静かに港を離れた。

やがて、船体が浮き上がり、 水面を滑るように加速していく。


「うわっ、速い速い!」 と、定吉がはしゃぎ、

「海の上をこれほど速く移動できるとは……」 と、権兵衛は感嘆の声を漏らした。

「下手に陸路を進むよりも、じぇっとふぉいるで海路を進む方が速い場合もありそうじゃのう」 と、藤兵衛も感心しきりだった。


そして、何事もなく、 伊良湖港に到着。


「……ふむ、今回は静かなものじゃのう」 と、藤兵衛は船を降りながら呟いた。

「ええ、あの二人もいませんし」 と、権兵衛が頷く。

「ほんとに、いないんですかね?」 と、定吉がきょろきょろと辺りを見回す。


藤兵衛はふと、 港の片隅に揺れる白い布のようなものを見た気がした。


(……いや、まさか)


潮風が、どこか酒の匂いを運んできた気がして、 藤兵衛はそっとため息をついた。

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