「真珠の海に、影ひとつ」
駅馬車に揺られて一刻。 藤兵衛たちは、何事もなく志摩駅へと到着した。
「いやはや、珍しく静かな道中であったのう」 と、藤兵衛が伸びをしながら言えば、
「ええ、何も起きないと、逆に不安になりますな」 と、権兵衛が苦笑する。
「でも、海の匂いがしてきましたよ!」 と、定吉が鼻をくんくんさせていた。
女将の話を思い出しながら、 三人は海沿いの道を歩き出した。
「真珠の筏がある場所を探せば、すぐ分かるとのことじゃったな」 と、藤兵衛が言うと、
「このあたりの方に聞いてみましょう」 と、権兵衛が近くの漁師に声をかけた。
聞き込みはすぐに実を結び、 三人は真珠を扱う店のある浜辺へと向かった。
潮の香が、風に乗って鼻をくすぐる。 その中に、魚介の生臭さも混じっていた。
「海にしては、随分と波が穏やかなんですね」 と、定吉が不思議そうに言う。
「これが、真珠を育てる秘訣かもしれんのう」 と、藤兵衛が目を細める。
「江戸では、真珠を育てるなんて聞きませんしねぇ」 と、権兵衛も感心していた。
入り組んだ湾の奥、 静かな水面に浮かぶ筏の列が見えてきた。
「おお、あれじゃな」 と、藤兵衛が指さす。
筏の近くには、木造の小さな店が建っていた。
暖簾をくぐると、 「は~い」 と、明るい声とともに、店の女将が現れた。
「こちらで真珠を扱っていると聞いたのですが」 と藤兵衛が尋ねると、
「はいはい、ございますとも。母上様への贈り物ですか?それなら、こちらなどいかがでしょう」
女将が差し出したのは、 艶やかに光る真珠の数々が並ぶケース。
「……なかなか、いい値段じゃのう」 と、藤兵衛が目を細める。
「でも、親父殿の財布から出るのじゃ。ならば、良いものを選ばねばのう」
女将はにっこり笑って、「若旦那の“いい人”にも、ひとつ買ってあげなさいな」 と、さらりと突っ込んできた。
「当たり外れはあるけど、貝を選んで自分で開けるなら、お手頃価格で真珠が手に入りますよ」
「若旦那、どうせなら自分で取った真珠を簪の飾りにしたら、いい人ができた時に渡せますよ」 と、権兵衛が言えば、
「若旦那、がんばってください!」 と、定吉がにこにこしながら背中を押す。
「……ここまで言われては、引けぬのう」 と、藤兵衛は苦笑しながら、 一つの貝を選んだ。
「では、あちらで開けてみてくださいな」 と、女将に案内された奥の作業場。
そこには、すでに二人の男が貝を開けていた。
その背中を見た瞬間——
(……あれ?)
藤兵衛の目が細くなる。
一人は、白装束に赤ら顔。 もう一人は、困ったように眉を下げている。
(ま、まさか……)
藤兵衛の胸に、 またしてもざわりとした予感が走った。




