「真珠と駅馬車と、母上のご機嫌」
お伊勢参りを終え、 朝の光に包まれながら旅籠へと戻った藤兵衛たち。
「ふぅ……やっぱり、宿の座布団はありがたいのう」 と、藤兵衛が腰を下ろすと、
「若旦那、今日はよく歩かれましたからな」 と、権兵衛が湯呑を差し出す。
「団子で腹を満たしたとはいえ、やはり疲れましたねぇ」 と、定吉は畳にごろんと寝転がった。
そのとき、女将が帳面を手にやってきた。
「藤兵衛様、飛脚便が届いておりますよ」 と、丁寧に差し出されたのは、 海月屋の大旦那からの手紙だった。
「ほう、親父殿からか……」 と、封を切ると、 そこには達筆な文字でこう綴られていた。
「喫緊の納期は片づけておいた。 志摩に立ち寄り、母上への贈り物として 立派な真珠をひとつ、仕入れてまいれ。」
「……なるほど、母上のご機嫌取りか」 と、藤兵衛は苦笑した。
「女将、志摩への行き方と、真珠について教えてくれぬかのう」
「はいはい、志摩までは駅馬車が出ておりますよ。 それに、志摩の真珠といったら、それはもう…… 大きくて、つやつやで、まるで月の雫のようなんですから! 私も一度でいいから、あんなの首に巻いてみたいですわぁ~」
女将は目を輝かせながら、 身振り手振りで真珠の魅力を語り続けた。
「……なるほど、女将の熱量で真珠の価値がよく分かった」 と、藤兵衛は少し引き気味に頷いた。
部屋に戻ると、藤兵衛は二人に予定変更を伝えた。
「というわけで、志摩へ向かうぞ」
「大旦那様も、大奥様のご機嫌取りに大変ですねぇ」 と、定吉がぽつり。
「これっ、そういうことを言うものではない」 と、権兵衛がたしなめる。
「まあまあ、確かに母上にも、そういうものがあってもよいかものう」 と、藤兵衛が笑うと、
「若旦那は、いい人用に真珠を仕入れては?」 と、権兵衛がさらりと突っ込んできた。
「いやいや、そうはいっても、そういう人はいないからねぇ……」 と、藤兵衛は頭をかきながら、 どこか照れたように笑った。
荷をまとめ、三人は駅馬車の乗り場へと向かった。
「志摩って、海が近いんですよね?」 と、定吉がわくわくした様子で聞く。
「うむ、真珠といえば海じゃからな。潮の香りが楽しみじゃ」 と、藤兵衛もどこか楽しげだった。
駅に着くと、すでに数人の旅人が待っていた。
「志摩行きの馬車は、もうすぐ参りますよ」 と、駅の係が声をかける。
「さて、また新たな旅の始まりじゃな」 と、藤兵衛は空を見上げた。
冬の陽は高く、 その光が、これから向かう志摩の海を思わせるように、 きらりと輝いていた。




