「神のあと、餅のさき」
皇大神宮での参拝を終えた藤兵衛たちは、そのまま境内を巡り、荒祭宮へと向かった。
「天照大御神の荒御魂を祀る社、ですな」と、権兵衛が静かに手を合わせる。
続いて、風日祈宮、 月読宮、そして倭姫宮へと、 一社一社、丁寧に参拝していった。
「……さっきの赤ら顔は、気の迷いじゃろう」 と、藤兵衛は自分に言い聞かせるように呟いた。
神域の空気に包まれ、心も少しずつ落ち着きを取り戻していく。
だが、早朝からの参拝で、腹はすっかり空いていた。
「若旦那、“おかげ横丁”という場所があるそうですよ」と、定吉が地図を広げる。
「ほう、茶屋もあるのか。では、そこで一服としようかのう」
おかげ横丁に入ると、 まだ朝のうちだというのに、すでに人の流れができていた。
「おっ、あの茶屋が開いておりますな」と、権兵衛が指さした店に入ると、 香ばしい団子の匂いが鼻をくすぐった。
「熱い茶と団子を三つ」と頼むと、すぐに湯気の立つ茶と、甘辛いタレの団子が運ばれてきた。
「ふぅ……沁みるのう」
「朝の冷えに、これはありがたいですな」
「団子、もちもちしててうまいです!」
三人がほっと一息ついていると、 奥の席から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「神酒といっても、飲みすぎたら駄目だからね」
「い〜や、大丈夫大丈夫。わしは神に近い存在だからな!」
(……まさか)
藤兵衛は、そっと奥の席に目をやった。
そこには、白装束に白袴をまとった赤ら顔の男と、その隣で困り顔の男が座っていた。
「……あっ」 思わず声が漏れる。
「どうしました、若旦那?」 と、権兵衛が顔をのぞき込む。
「……弥次さんが、おる」 と、藤兵衛が小声で言うと、
「えっ……あ〜、ほんとだ。弥次さんだ」 と、定吉がぽつり。
「し〜っ!」 と、藤兵衛が慌てて口に指を当てる。
定吉も慌てて口をつぐむ。
しばらくすると、
「わしが酔ってないことを証明してやる!」と、弥次さんが勢いよく立ち上がり、茶屋を飛び出していった。
「ちょ、ちょっと待ってよ弥次さん!」 と、喜多さんが慌てて追いかける。
だが、勘定だけはきっちり済ませてから出ていくあたり、 妙に律儀なところがある。
「……何かが起きるぞ」 と、藤兵衛が呟き、三人も勘定を済ませて後を追った。
広場では、ちょうど餅つきの催しが始まっていた。
「よいしょー! よいしょー!」
その掛け声の中に、 ひときわ調子のいい声が混じっていた。
「よいしょー! わっはっは! 見たかこの杵さばき!」
そこには、杵を振り回して餅をつく弥次さんの姿があった。
「……なんだかんだ言って、馴染んでおるのう」 と、藤兵衛が呆れたように言う。
「すごいですね、あの人……」 と、定吉は目を丸くしていた。
「そろそろ次の方と交代を……」 と係の者が声をかけると、
「なにおう〜! わしはまだまだいけるぞぉ〜!」 と、弥次さんがふらりとよろけた。
「おっとっと……」
そのままぐらりと倒れ込み、杵が手から離れて宙を舞う。
「わああああっ!」 と、周囲が騒然となる中——
「すみませんすみません! 大丈夫ですから!」 と、喜多さんが必死に頭を下げていた。
弥次さんはというと、 地面に転がったまま、「ぐお〜〜〜」と鼾をかき始めていた。
「……さて、帰ろうか」 と、藤兵衛は静かに言った。
「はい……」
「ええ……」
三人は、どこか遠い目をしながら、 再び旅籠への道を歩き出した。
― 終 ―
ここまで藤兵衛の旅を読んでいただきありがとうございます。
お伊勢参りができたということで一区切り、とはならず、まだまだ旅は続きます。




