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東海道中珍栗毛  作者: なごやかたろう
伊勢の光と、餅の音
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「神域と海老と、静けさと」

いせうどんで腹を満たした三人は、 「さて、荷を預ける宿を探さねばのう」 と、町を歩き出した。

伊勢の町は、参拝客でにぎわいながらも、どこか落ち着いた空気が流れていた。軒先に吊るされた注連縄(しめなわ)、白い暖簾(のれん)、石畳の道。どこを見ても、旅人を迎える準備が整っている。


「おっ、あそこはどうです?」と、定吉が指さしたのは、「神風館」と書かれた、古びたが清潔そうな旅籠。

「空き部屋、ございますかの?」 と尋ねると、女将がにこやかに出てきて、

「ちょうど三人部屋が空いておりますよ。お伊勢参りですか?」 と、快く迎えてくれた。


荷を預け、部屋に通されると、 藤兵衛はふと思い出して尋ねた。

「女将、参拝の作法について、少し教えていただけますかな?」

「はいはい、もちろんでございますとも!」 と、女将は張り切って語り始めた。


「まず、外宮から内宮へ。これはご存じですね?それぞれ、最初に御正宮をお参りしてから、別宮へ。外宮は左側通行、内宮は右側通行。参道の真ん中は神様の通り道ですから、避けて歩いてくださいね。あと、境内では飲み食いはご法度。神様に失礼ですからねぇ」


「ほう、なかなか細やかな決まりがあるのう」 と、藤兵衛が感心すれば、

「さすが伊勢……神様の本家本元ですな」 と、権兵衛も頷く。


「ちなみに、うちの先祖は神宮の炊事係だったんですよ。昔は神様の朝ごはんを炊くために、夜明け前から火を起こしてたんです。その火で炊いたご飯を食べると、三年は風邪をひかないって言われてましてねぇ」

「へぇ〜!すごいですね!」 と、定吉が目を輝かせる。

「……それは、ちと盛っておらぬか?」 と、藤兵衛が小声で突っ込んだが、女将はにっこり笑ってごまかした。


支度を整えた三人は、まず豊受大神宮(外宮)へと向かった。

参道に入ると、自然と三人は左側に寄って歩く。周囲の空気が、すっと澄んでいくのを感じた。

「……これは、まさに神域じゃのう」 と、藤兵衛が呟く。

「空気が違いますな。背筋が伸びます」 と、権兵衛。

「なんか、静かだけど、すごく…あったかい感じがします」 と、定吉も神妙な顔で言った。


御正宮では、豊受大御神に手を合わせ、 それぞれが静かに祈りを捧げた。

続いて、多賀宮、土宮、風宮へと足を運ぶ。 どの社も、木々に囲まれ、静謐な空気が満ちていた。

「……やはり、伊勢は他とは違うのう」 と、藤兵衛はしみじみと呟いた。


旅籠に戻ると、女将がにこにこしながら出迎えた。

「おかえりなさいませ。今日はですね、活きの良い海老が入りまして。しかも、ただの海老じゃありません。伊勢海老です!このあたりの海で獲れた、跳ねるようなやつを、今朝、漁師が持ってきてくれたんですよ。昔は神様にしか献上できなかったんですけどねぇ、今はお客さまにもお出しできるようになりまして」


「それは楽しみじゃのう!」 と、藤兵衛は目を細めた。

「わたし、伊勢海老って初めてです!」 と、定吉はわくわくが止まらない。

「……跳ねる前に煮られておるとよいのですが」 と、権兵衛は少しだけ不安げだった。


少し休んだ後、夕餉の支度が整ったと呼ばれ、食堂へ向かうと——


「おおおおお……」 三人の目に飛び込んできたのは、堂々たる伊勢海老の姿。


「これは……まるで鎧武者のようじゃのう」 と、藤兵衛が感嘆すれば、

「このヒゲ、立派ですねぇ!」 と、定吉は箸を持つ手が震えていた。

「味噌仕立ての出汁で煮ております。頭の中の味噌がまた、たまらんのですよ」 と、女将は嬉しそうに語る。

「……味噌の味噌、ですな」 と、権兵衛がぽつりと呟き、

「うまいこと言いましたね!」 と、定吉が笑った。

三人は、ぷりぷりの身を頬張り、

「うまい!」

「これは贅沢じゃのう…」

「明日も頑張れそうです!」 と、満足げに箸を進めた。


風呂に浸かり、湯気に包まれながら、 三人は今日一日の出来事を振り返った。

「いやはや、今日は静かでよかったのう」 と、藤兵衛がぽつり。

「ええ、参拝も無事に済みましたし」

「ご飯もうまかったですしね!」

「……それもそのはずじゃ」 と、藤兵衛は湯の中で目を細めた。

「あの御仁が、出てきておらんからのう。」


三人は、どこかほっとしたように笑い合い、 湯上がりの風に吹かれながら、静かな夜を迎えた。

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