「薬と鉄と、静けさの裏に」
立山駅から富山までは、駅馬車での移動となった。 石畳の上をカラコロカラコロと軽快に響く車輪の音。 その心地よいリズムに揺られながら、藤兵衛は静かに目を閉じた。
(さて…商談の段取りは抜かりないが…)
例年通りの取引とはいえ、近年は世の中の流れが早い。 物流の形も、商いの手法も、少しずつ変わってきている。 それに合わせて、こちらも柔らかく、しかし芯を持って臨まねばならぬ。
「若旦那、顔が険しゅうございますぞ」 と、隣の権兵衛がそっと声をかける。
「うむ、少し考えごとをしておった」 と、藤兵衛は微笑み返した。
やがて、馬車は富山駅に到着。 一行は近くの旅籠に宿を取り、ようやく荷を下ろした。
「思えば、今日は盛りだくさんでございましたな…」 と、権兵衛が布団を敷きながら呟く。
「とろり~馬車に始まり、黒部の湖、温泉、弥次さんの池飛び込み、くねくね道に綱渡り箱…」 と、定吉が指を折って数えている。
「……あの騒ぎも、今となっては旅の彩りかのう」 と、藤兵衛は苦笑しながら、帳面を開いた。
明日の予定を確認し、商談の要点を再確認する。
「うむ、これでよし」
三人は、静かに灯りを落とし、深い眠りについた。
翌朝。 旅籠の朝餉は、昆布の佃煮に白粥、そして薬草茶。
「さすがは富山、薬の国じゃのう」 と、藤兵衛は湯気の立つ茶碗を手に、ほっと息をついた。
食後、一行は富山の薬屋へと向かった。 毎年顔を合わせている老舗の商人が、笑顔で出迎えてくれる。
「おお、藤兵衛様、今年もようこそお越しくださいました」
「こちらこそ、変わらぬご厚情、ありがたく存じます」
商談は、終始和やかに、しかし要点はしっかりと。
藤兵衛は、相手の言葉に耳を傾けつつ、 こちらの意向も丁寧に、かつ明確に伝えていく。
「では、今年も例年通りの分量で。ただ、来年以降は、配送の形を少し見直す必要があるやもしれませぬ」
「なるほど、なるほど。確かに、最近は流通の形も変わってきておりますからな」
無事に商談をまとめ終えた藤兵衛は、 ほっと一息つきながら、茶を一口。
「ところで、若旦那。最近、富山では“鉄道馬車”なるものができましてな」 と、商人が話し始めた。
「鉄道馬車?」
「ええ、馬が引くのですが、鉄の道の上を走るのです。富山駅から富山城まで行けましてな。城を見学したあと、遊覧船に乗るのが、今ちょっとした流行でして」
「ほう…それはまた、風雅な」
藤兵衛の胸に、ふつふつと興味が湧いてきた。
(富山城…遊覧船…これは、ぜひ行ってみたいものよのう)
だが——
ふと、脳裏をよぎる二つの影。 赤ら顔と、のんびりした声。
(……いや、まさか。さすがに今回は…)
自分にそう言い聞かせながらも、 藤兵衛は、どこか落ち着かぬ気配を感じていた。
(……いや、いかんいかん。気のせいじゃ。 あれだけの騒ぎのあと、さすがにもう…)
だが、旅慣れた者の勘というものは、 時に、理屈よりも確かである。




