表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東海道中珍栗毛  作者: なごやかたろう
蕎麦と薬と、雲の上の湯
33/45

「雪と湯気と、寒中水泳の誘惑」

黒部の駅を出ると、目の前に広がるのは、 石の壁で堰き止められた巨大な人工湖。

その水面は、冬の空を映して静かに揺れていた。


「おお…これはまた…」 と、藤兵衛は思わず息を呑んだ。

「人の手で、これほどの湖を作るとは…まこと、現代の築城術も侮れぬのう」

だが、感動も束の間。

「さ、寒い…」 と、藤兵衛はぶるりと身を震わせた。

「これはもう、茶でも飲まねば凍えてしまうわい」


ちょうどよく、湖畔に小さな茶屋を見つけた。

「おうい、番頭、定吉。あそこで一服していこうぞ」

三人は茶屋に入り、すぐさま熱い茶を頼んだ。

湯気の立つ湯呑を手に取ると、 「ふぅ…生き返るのう…」 と、藤兵衛は腹の底から安堵の息をついた。

「やっぱり、こういうときは茶に限りますな」 と、番頭も頷き、

「お腹すいてきました! なんか食べましょうよ!」 と、定吉が目を輝かせた。

「うむ、では…温かい肉饅頭でも頼むか」


やがて運ばれてきた肉饅頭は、湯気を立ててふっくらと膨らんでいた。

「おお、これは…うまい!」

「中の餡がじゅわっとしてます!」

「うむ、寒さも吹き飛ぶ味じゃ」

と、三人がほくほくと頬張っていると——


「か~っ、やっぱり寒いときには酒に限る! なあ、喜多さん!」

「いやいや、熱燗じゃなくて茶にしておきなさいよ、弥次さん…」


隣の茶屋から、またしても聞き覚えのある声が響いてきた。

藤兵衛は、湯呑を持つ手をぴたりと止めた。

(……また、あの二人か)


声の主は、やはり弥次さんと喜多さん。

どうやら弥次さんは、寒さを酒で吹き飛ばそうとしているらしい。


「ここはひとつ、寒中水泳と行くか、喜多さんや!」

「いや、そんなことしたら心臓が止まるから! やめなさいってば!」

「……やはり、やらかす気満々じゃないか」 と、藤兵衛は額を押さえた。

(まったく、あの男は…寒さで頭まで凍ったか)


だが、喜多さんの冷静なツッコミに、少しだけ安心する。

(うむ、あの男がいれば、最悪の事態は避けられよう…たぶん)


気を取り直し、茶屋で温石を新しいものに交換してもらい、 一行は“綱渡り箱”の駅へと向かった。


「さぁ、いよいよ山頂じゃ。気を引き締めていくぞ」


“綱渡り箱”は、箱根で乗ったものと同じく、空を渡る箱。

だが、ここは標高が違う。風も強く、寒さも一段と厳しい。


「うぅ…またこれに乗るのか…」 と、番頭はすでに顔が青い。

藤兵衛も、懐の温石をぎゅっと握りしめながら、

「風が吹けば揺れるしのう…」 と、心の準備を整える。

箱が動き出すと、眼下には一面の雪景色。

山々は白く染まり、まるで冬の絵巻物のように広がっていた。


「うわぁ! 雪だ雪だ! すごい! 秋なのに雪があるなんて!」 と、定吉は窓に張りついて大はしゃぎ。

「こら、あまり動くでない! 揺れるではないか!」 と、番頭が慌てて制する。

藤兵衛は、雪に包まれた山々を見下ろしながら、 「まるで、雲の上を進んでおるようじゃのう…」 と、感嘆の声を漏らした。


寒さに震えながらも、心はどこか温かい。

旅の終わりに近づくにつれ、藤兵衛の胸には、 またひとつ、忘れがたい景色が刻まれていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ