「動く階段、登れば願いも届くかのう」
茶を飲み干し、団子の串をそっと皿に戻した藤兵衛は、
「さて、あの声の主を確かめてみるか」 と、そっと腰を上げ、隣の茶屋を覗いてみた。
……が、そこには誰の姿もなかった。
空の茶碗が二つ、ぽつんと置かれているばかり。
「むむ、空耳だったか…いや、まさか。あの声は確かに……」
と、首をひねりつつも、気を取り直して神社を目指すことにした。
道すがら、案内板に目をやると、こう書かれていた。
「江の島動く階段 神社・展望塔方面行き」
「おお、これが噂の“動く階段”か。まことに、世は進んだものよのう」
どうやらこの“動く階段”なる乗り物、神社だけでなく、さらにその上の展望塔まで連れて行ってくれるらしい。 ただし、帰りは自力で歩くしかないとのこと。
「ふむ、登りは楽して、下りは修行か。ま、よかろう」
札売り場で乗車札を求めると、係の者が丁寧に説明してくれた。
「札は乗り場でお見せください。乗るときと降りるときは、必ず手すりをお持ちくださいませ」
「ふむふむ、心得た」
いざ乗り場へ向かうと、そこにはまさしく“動く歩道の階段版”が、静かに動いていた。
金属の段が、ゆっくりと坂を登っていく様は、まるで機械仕掛けの龍の背のよう。
「これはまた…見事な仕掛けじゃのう」
札を見せ、注意を受けてから、そろりと乗り込む。
ぐい、と足元が持ち上がる感覚に、思わず手すりをぎゅっと握る。
前方を見やると、坂は思いのほか急で、もし歩いて登るとなれば、
「ふぅふぅ言うて、途中で団子を吐き出す羽目になったかもしれぬな…」 と、苦笑い。
いくつかの区切りを経て、最初の降り場に到着。
そこには、朱塗りの鳥居と、静かに佇む神社があった。
藤兵衛は手を合わせ、
「水族館の海月展示が盛況となりますように…そして、海月屋の商いも、ますます繁盛いたしますように…」 と、心を込めて祈願した。
ふと、あの二人のことが頭をよぎる。
「ま、まさかのう。あれは空耳じゃ。そうそう、あの二人に毎度出くわすなど…」
と、自分に言い聞かせるように首を振る。
神社の境内を後にし、さらに上へと続く道を見上げる。
「せっかくじゃ、一番上の塔とやらも見ていこうかのう」
再び動く階段に乗り込む藤兵衛。
その背に、潮風がそっと吹き抜けた。




