「―走るな危険―」
西門へと向かうと、まだこれから入場しようという人々の姿もちらほら見えたが、出るのは実にあっさりしたものだった。門を抜けると、潮風がまた一段と心地よく感じられる。
少し歩くと、前方で係員が大声を張り上げていた。
「こちらから動く歩道に乗れます! 乗ったら立ち止まってくださーい!」
「ふむ、やはり“動く歩道”であったか」
近づいてみると、確かに床が静かに、しかし確実に動いている。
まるで地面そのものが旅をしているような、不思議な感覚。
「これに乗れば、確かに歩かずに済むのう……」
藤兵衛はそっと乗り込み、ゆっくりと進みながら、港に停泊する船の数々を眺めた。
帆をたたんだ和船、黒塗りの蒸気船、異国の旗を掲げた船
――まるで世界がここに集まっているようだった。
その時、背後から再び係員の声が響いた。
「お客さーん! 歩かないでくださいーっ!」
「……まさか」
振り返ると、案の定。
「わ~ってるよ、歩かん! 俺は走る!」
酔いの勢いそのままに、弥次さんが動く歩道の上をだだだだだ~~~っと駆け抜けてくるではないか。
「おいおいおいおい……!」
藤兵衛の横を風のようにすり抜けていく弥次さん。
その先には、動く歩道の終わりが――
「うおっ……!」
つんのめった勢いのまま、弥次さんは前方に大きく飛び出し――
ごんっ!
顔面から見事に地面に激突した。
「だ~から言ったじゃないですか!」
喜多さんが駆け寄り、呆れ顔で弥次さんを覗き込む。
その横で、ぴくぴくと痙攣する弥次さん。
藤兵衛は、思わず立ち止まり、しみじみと呟いた。
「……やっぱり、弥次さんがやってくれたか」
どこか感動すら覚えながら、藤兵衛はその横をそっと通り過ぎた。
春の陽は傾き、潮風は穏やかに吹いていた。
こうして、藤兵衛の横濱博覧会の旅は、笑いとともに幕を閉じたのであった。
― 終 ―




