~座席の謎と名古屋の疾走~
「おい弥次さん、ここが“イの三”だぜ。俺はここだな」 「おう、じゃあ俺は“イの二”……っと、あれ? “ニの一”? ……あれ?」
弥次郎兵衛は、手にした切符をまじまじと見つめた。 そこには確かに「ニの一」と記されている。 だが、今いるのは十六両目、すなわち先頭車両。 「ニの一」は、どう考えても後方の車両のはずである。
「……ま、いっか。空いてるし」 と、弥次さんはそのまま「イの二」に腰を下ろした。 (※藤兵衛の隣である)
(……いや、そこ、わしの隣……って、切符違うじゃろ!) 藤兵衛は心の中で全力で突っ込んだが、顔には出さない。 なにせ、こういう男には関わると面倒なことになると、旅慣れた勘が告げていた。
その後、ドアが開くたびに弥次さんはビクリと肩をすくめ、 「車掌か!? 切符見に来たか!?」と小声で騒ぐ。 だが、関ヶ原を過ぎたあたりで、喜多さんがぽつりとつぶやいた。
「弥次さん、もう関ヶ原越えたし、車掌さん来ねえってさ。さっきの売り子が言ってた」 「……ほんとか? じゃあ、安心して飯にすっか!」
と、弁当の包みを広げる。 中には、焼き鮭、玉子焼き、そしてなぜか“唐揚げ”なる異国風の揚げ物が鎮座していた。
「唐揚げってのは、南蛮の技術らしいぜ」 「へえ、うまけりゃなんでもいいや」
(……いや、そこはもう少し文化的に驚いてくれ)
藤兵衛は、またもや心の中で突っ込む。 だが、二人の食べっぷりは見ていて気持ちがよく、 車内にはどこか旅籠のような、のんびりとした空気が流れていた。
食べ終わった頃、喜多さんがふと立ち上がる。
「なあ弥次さん、名古屋で土産買いてえな。味噌煮込みとか、ういろうとか」 「おう、いいねえ。売店どこだ? 売り子さん、ちょっと聞くぜ!」
と、近くを通った売り子に「売店に一番近い出入り口はどこか」と尋ね、 「この車両の前方出口が一番近いですよ」と教わると、二人はそわそわし始めた。
「なあ喜多さん、戻ってきたら席に異国人が座ってたらどうする?」 「そしたら“イの二”の切符見せて追い出せばいいじゃねえか」 「……俺、“ニの一”だったわ」
(……やっぱりか)
そして、名古屋が近づくと、二人はまるで火事場の猫のように身をかがめ、 ドアが開くや否や、風のように飛び出していった。
「味噌煮込み! ういろう! あと、なんか名古屋っぽいやつ!」 「釣りはいらねえ! 時間がねえ!」
だが、弥次さんの財布には、ほんの少しだけ足りなかった。 「お客さん、あと三十文足りません」 「えっ……えええっ!?」
店員に袖をつかまれたその瞬間、喜多さんがすかさず小銭を差し出す。
「ほらよ、三十文。弥次さん、走れ!」 「おう、ありがてえ!」
二人は土産を抱えて再び猛ダッシュ。 車両に飛び乗った瞬間、ドアが閉まり、鴨嘴は再び動き出した。
「……ふぅ、間に合ったな」 「名古屋、こええな……」
(いや、こええのはお前らだ)
藤兵衛は、心の中でそっと呟きながら、 この旅がまだまだ一筋縄ではいかぬことを、改めて確信したのであった。




