「―泡と腸詰と、やっぱりあの二人―」
声のする方へ目をやると、案の定――
「……やはり、弥次さんであったか」
麦酒の泡を鼻にまといながら、顔を真っ赤にして騒いでいるのは、まごうことなき弥次郎兵衛。
隣には、やや呆れ顔の喜多八が控えている。
しばらく様子をうかがっていると、弥次さんは異国人の女中に絡み始めた。
「おぉい、そこのお嬢さん! この腸詰、うまいぞぉ! おごってやるから、食べてみなされ!」
女中は困ったように笑みを浮かべ、身を引きつつも応じかねている様子。
「いやいや、遠慮せずに! ほれ、あ~んと!」
「……やれやれ」
藤兵衛は、額に手を当てた。
喜多さんが慌てて間に入り、女中に何やら耳打ちしている。
「すみませんね、適当にあしらってくだされば……」
女中は心得た様子で、さらりと身をかわし、奥へと引っ込んでしまった。
「あ~ん……あれ?」
弥次さんは空中に腸詰を差し出したまま、ふらりと前のめりになり――
「おっとっと!」
なんとか踏みとどまり、転倒は免れたものの、顔には見事なまでの拍子抜けが浮かんでいた。
「……あ~、つまらん」
そうぼやきながら、手を挙げて麦酒のお代わりを頼む弥次さん。
「……いい加減、呑むのをやめた方が良いと思うがのう」
藤兵衛は、心の中でそっと呟いた。
すると、喜多さんがぴしゃりと声を上げた。
「もう、これで終わりにしなさい! 次は歩く歩道を見に行くんでしょう!」
「えぇ~……まだ呑み足りぬ……」
「足りてます!」
どうやら、今回はこのあたりでお開きのようだ。
「……ふむ、何事も起きぬのもまた珍しい」
少しばかり残念に思いながらも、藤兵衛は瓦版をたたみ、博覧会の賑わいを背に歩き出した。
目指すは西門――そう、噂の“歩く歩道”があるという場所である。
春の陽が傾き始め、潮風が頬を撫でる中、藤兵衛の足取りは、どこか軽やかであった。




