「青の深みと、静けさの違和感」
「おいおい、こっちは入口が狭いでござるよ!」
「おぬしの腹が広いのだ、腹が!」
その声の方へ目を向けると――いた。あの二人。弥次郎兵衛と喜多八。
「……やっぱりおぬしたちかい!」
思わず心の中で突っ込む藤兵衛。どうやら上方の富くじに当選していたらしい。
「江戸の住人ではなかったのかい……」
そんな疑問も、もはや驚きではない。むしろ、この鋼鉄箱の旅が一筋縄ではいかぬことを予感させ、藤兵衛の口元には自然と笑みが浮かんだ。
とはいえ、今回は様子が違った。乗船前、船員からは安全面についての厳しい説明があり、特に潜水中の行動には細心の注意を払うよう念を押された。
そのせいか、弥次さんは珍しく神妙な面持ちで、座席にきちんと腰を下ろしている。
「……おとなしい、だと……?」
藤兵衛は思わず目を疑ったが、弥次さんは真面目な顔で「耳が詰まった気がするでござる」と呟いているだけだった。
やがて、鋼鉄箱は静かに動き出し、海面を離れてゆっくりと潜り始めた。
最初は、窓の外に陽の光が差し込み、海藻がゆらゆらと揺れていた。小魚の群れが銀の帯のように流れ、時折、亀がのんびりと泳いでいく。
深度が増すにつれ、周囲の色が少しずつ変わっていく。赤が消え、黄が薄れ、緑が青に溶けていく。
やがて、すべてが青一色に染まった。
「……まるで、空の底にいるようじゃのう」
藤兵衛がぽつりと呟くと、船員が解説を始めた。
「このあたりから下は、光の色が届かなくなります。青だけが、深くまで進むのです」
「なるほど……色が消えるのではなく、届かぬのか」
深度はニ十間に達し、「このあたりが素潜りの限界です」との説明に、乗客たちはどよめいた。
それでも、窓の外には命があった。銀色の魚が、青の中をすいすいと泳ぎ、甲羅の大きな海亀が、まるで空を飛ぶようにゆったりと進んでいく。
泡が静かに上昇し、船体の金属がきしむ音が、かすかに耳に届く。
――静かだ。
――美しい。
――そして……何も起きぬ。
藤兵衛は、ふと眉をひそめた。
「……あれ? 何事も起きないぞ?」
思わず心の中で呟く。あの二人がいて、海の底にいて、これほど静かで平穏とは――
「……これはこれで、逆に不安じゃのう」




