「春の旅立ち」
年が明け、江戸の空気はまだまだ冷たい。だが、藤兵衛の胸の内は、春の陽気のようにぽかぽかと温んでいた。
「琉球か……」
特賞の“鋼鉄箱で海に潜る券”には、なんと江戸から琉球までの船旅も含まれていた。聞けば、琉球は春先にはもう暖かく、花も咲き始めるという。海の底を覗くには、まさにうってつけの季節。
海月屋の帳場も、春の仕入れに向けて忙しい時期。だが、藤兵衛はその合間を縫って旅支度を整え、ご近所へ挨拶回りをした。
「おお、若旦那、またどこぞへ?」
「今度は琉球へ参ります。海の底を覗きに」
「ほほう、また面白い話を聞かせておくんなさいよ!」
そんな声に見送られ、いざ旅立ちの朝。藤兵衛は竹芝桟橋へと足を運んだ。潮の香りが鼻をくすぐり、旅の始まりを告げるように波がきらきらと光っている。
「さて、どの船かのう……」
特賞の乗船券を手に、船員に見せると、案内されたのは見覚えのある船。
「これは……じぇっとふぉいる、ではないか!」
あの時、大島からの帰りに乗った、あの風のような船。まさかまた乗れるとは思わず、思わず頬が緩む。
「いやはや、またあの船旅を味わえるとは。縁というものは、まことに不思議なものよのう」
指定された座席に腰を下ろし、窓の外を眺めていると、船員が声をかけてきた。
「まもなく出航いたします。ご着席のままお待ちください」
船は静かに港を離れ、やがて海原へと出ると、ぐん、と加速した。風が窓を叩き、船体が水面を滑るように進む。
その時だった。
「……ガコン!」
座席の下、いや、正確には後ろの座席の下から、何やら鈍い音が響いた。
「……ん?」
藤兵衛の眉がぴくりと動く。
「そういえば……前回のじぇっとふぉいるでは、あの弥次さんが座席下の収納で寝ておったな……」
まさか、まさかとは思いつつも、胸の奥に芽生える妙な確信。やがて船員が再び現れ、にこやかに告げた。
「船速が安定いたしましたので、ご自由にお過ごしくださいませ」
「……では、失礼して」
藤兵衛はそっと立ち上がり、後ろの座席の収納扉に手をかけた。
ギィ……と音を立てて開けると、そこには――




