「富くじ、それは冒険への誘い」
師走の風は冷たく、深川の町にもせわしない足音が響く頃。海月屋の若旦那・藤兵衛は、帳簿に筆を走らせながら、ふと店先に貼られた瓦版に目をやった。
「ほう、今年の富くじは特賞が“新型鋼鉄箱で海に潜る券”とな…?」
普段ならば、富くじなど他人事。だが、鋼鉄箱という響きに、なにやら胸がざわついた。海に潜るとは、まことに奇天烈な話。だが、時代は変わりつつある。鴨嘴しかり、じぇっとふぉいるしかり、新たなる乗り物が登場して久しい。これは一度、乗ってみるのも一興かもしれぬ。
「よし、買うてみるか」
そう決めた藤兵衛、翌朝早くに富くじ売り場へと足を運んだ。例年通りの人だかり。羽織の袖を押し合いへし合い、ようやく手にした一枚のくじ。
「……イの一、か」
その瞬間、脳裏に浮かんだのは、あの二人。弥次郎兵衛と喜多八。あの破天荒な道中の記憶が、まるで昨日のことのように蘇る。
「ま、今回は切符じゃなし。くじじゃ。あの二人に会うこともあるまい」
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥にぽっかりと空いたような、妙な寂しさが残った。
それでも年の瀬は待ってはくれぬ。海月屋の帳場は大忙し。年越しの仕入れ、支払い、贈答の品の手配と、藤兵衛は朝から晩まで筆と算盤に追われた。だが、ふとした瞬間に思い出すのは、あの鋼鉄箱のこと。
「どんな形をしておるのだろうな。鯨のようか、はたまた大きな鉄の瓢箪か…」
そんな妄想を糧に、藤兵衛は師走を駆け抜けた。
そして迎えた大晦日。雪こそ降らねど、空気はぴんと張り詰めている。町の広場では富くじの抽選が始まり、見物人の歓声が遠くから聞こえてくる。
「イの一……イの一……!」
瓦版売りの声が響いた瞬間、藤兵衛の手がぴくりと動いた。
「当たった……?」
慌てて瓦版を買い求め、目を凝らす。
「……当たっておる。特賞、江戸分の一本……!」
思わずその場で立ち尽くす藤兵衛。周囲の喧騒が遠のき、胸の鼓動だけがやけに大きく響いた。
「新型鋼鉄箱で、海に潜る……!」
その夜、藤兵衛は湯に浸かりながら、海の底を想像した。珊瑚の森、魚の群れ、そして静寂の世界。どんな景色が待っているのか。胸の高鳴りは、除夜の鐘よりも早く鳴り始めていた。
こうして、藤兵衛はわくわくとした気持ちを胸に、新たな年を迎えるのであった。




