第4話:テルマエ改装と衛生革命
解放奴隷となったエレンは、クラウディウスの邸宅内に小さな「エレン建設商会」を設立した。最初の仕事は、裕福な貴族から依頼された浴場のリフォームだった。
「とにかく、冬でも凍えるほど温かく、贅沢な浴場にしてくれ」という依頼だ。
エレンは、この世界に存在する「ハイポコースト(床暖房)」の熱効率の悪さに目をつけた。熱源から発生した熱を、床下に巡らせた空間に通すシステムだが、設計が適当なため、熱がすぐに逃げてしまう。
「問題は熱の流体力学です」
エレンは熱源となる炉の設計を見直し、煙突と排気口の配置、床下の空間の断熱材(発泡スチロールの代用として、空気の層を多く含む火山岩の粉末)を最適化した。
「熱効率の改善と空気の流れの設計(換気計算)をすれば、燃料費は半分になり、温度は倍になります」
職人たちは彼女の指示通りに工事を進めた。結果、その浴場は帝都で最も人気のある私設浴場となり、貴族たちの間で「エレンの魔術」として評判になった。
しかし、エレンの真の目的は、浴場そのものではなかった。
「殿下。浴場よりも、まず帝都全体の衛生状況を改善すべきです」
エレンは帝都の地図を広げた。華やかな通りから外れたスラム街は、排泄物と汚水がそのまま道路を流れていた。
「これでは疫病は避けられません。我々は、浴場の汚水と、生活用水の配管を完全に分離し、さらに庶民向けの石鹸を製造すべきです」
「石鹸? そんなものは聞いたことがない」
「動物の油脂と、灰に含まれる炭酸カリウムを煮詰めればできます。これがあれば、人々は清潔を保ち、疫病を遠ざけられます。そして、公衆浴場には水洗トイレ(ラトリーナ)が必要です」
エレンの提言は、貴族の美意識とはかけ離れていた。だが、クラウディウスは彼女の言葉に含まれる合理性に気づいていた。
「汚いものを隠すのではなく、根本から排除する。……それがお前の思想か。よかろう、エレン。お前の商会に、帝都のスラム街の公衆浴場建設の許可を与える。費用は私が出そう」
こうしてエレンは、建築から「都市工学」へとその活動範囲を広げていった。




