第12話 「残滓とボタン」
一晩タンスの中で過ごした俺は、一秒も眠っていないはずなのに、なぜかやけに元気だった。
リアナさんは宿の食堂へ行き、部屋まで運んでもらうように色々と料理を頼んで戻ってきた。やはり人前で一人で俺と会話している姿は、不自然に見えてしまうのだろう。
彼女が戻ってきてほどなくして、料理を載せたワゴンを押しているウエイトレスが部屋に入ってきた。手際よくテーブルに並べると、軽く一礼して出ていく。
リアナさんは椅子に腰掛け、嬉しそうに並んだ料理を眺めた。
「昨日はほとんどパンをつまんだだけだったから、ちょっと頼みすぎちゃったかもね」
いかにもファンタジー世界のテンプレートのような、大きな肉の塊や湯気の立つスープが並ぶ。祈りを捧げたあと、リアナさんが焼きたてのパンをちぎると、白い湯気がふわりと立ち上った。
どれも美味そうだ。普通なら、よだれが止まらなくなる光景だろう。
……だが、俺には何も感じられない。
口も舌もない。ただ、眺めるだけだ。
香ばしいパンの匂いすら届かない。まるで分厚いガラス越しに豪華な食卓を見せられているみたいで、胸の奥がずきりと痛んだ。
この空気を振り払うように、俺は話題を切り出す。
「見た感じ、全部洋食だな。もし生き返れたら、和食の店を開くって手もあるかもな。転生ものじゃ定番の成功パターンだし。この世界にライスはあるのかな?」
「ライスは一応ありますよ。少し珍しくて値は張りますけど、手が出ないほどではありません。悠真さん、料理は得意なんですか?」
「あー……いや、普通の学生だよ。妹のためにお粥を作ったことがあるくらい。大学ではほとんど食堂頼りだったし」
「妹さんがいるんですね。でも、レストランを開くにはある程度の資金が必要ですし、その経験なら、まずはどこかのお店で働くことから考えたほうがいいかもしれませんね」
「タンスの中にいる間、色々考えたよ。いきなり異世界に放り込まれると、やっぱりこれからの生活が不安になる」
「そうでしょうね。でも、生活の前にまずは『生』が必要です。私がきちんと蘇生できるようになるには、まだ時間がかかります。その間にこの世界を見て回って、これからのことを考えればいいですよ」
「目の前に美味そうな料理があるのに、何の味も食感も感じられないってさ……もう人間じゃないって突きつけられてるみたいで、気が滅入る」
「辛いですね。でも、気を強く持ってください。私達がこの町に来たのには、ちゃんと理由があります」
リアナさんは真剣な顔になる。
「あの月のアクセサリー、感じたところ魂の残滓の力を使っています。それを集めれば、きっと強くなれるはず。だからこの町がちょうどいいんです」
「町?」
「ええ。人間の魂の残滓は、人が多い場所に集まりやすいはずです。今日は怨念がありそうな場所を探しながら、町を回りましょう」
それを言うと、リアナさんは残りのパンを口に丸投げした。
「羨ましい」
と言いかけて、飲み込んだ。
頼みすぎかと心配していたリアナさんだったが、皿の上には何一つ残っていなかった。
「さ!出発!」
宿を出ると、やはり人々があちこちを行き交っていた。時々馬車も通っていたが、貴族が乗っているような豪華な物でもなく、一般人向けのものらしい。商人の多い町らしい。昨日辿り着いたときと違い、今日は多くの店が開いて、あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。商品を広げて客を呼び込む商人たちで、町は活気に溢れていた。
「墓場にでも行くかな?」
俺が尋ねた。
「魂の残滓には心がない。人間のように自分で考えて動くわけじゃない。ただ、残された無念に従って揺れ動くだけです」
「無念か……この前のが凄かったな」
あの時の感じを考えると背中に電気が走ったみたいな感覚を思い出した。
「小さいけど、ちょっとあっちに似たものが感じられる」
リアナさんは目を閉じて、大きく息を吸った。
「たしかにいるね、一緒に行きましょう」
小道に入り、かすかに感じていた無念の気配を辿った。
ふいに、そこに『それ』はあった。
見えたわけじゃない、ただ感じた。
小さな男の子が、父親と手をつないで歩いている。
左手はしっかりと握られているのに、右袖の先に、黒い『何か』が絡みついていた。
俺の目には何も映らない、しかし、感じる。それは闇としか言いようがなかった。影のようでも影ではない。
「……。後悔というより、これは強い悲しみですね」
リアナさんが静かに言った。その声も、どこか沈んでいる。
「どうにかしてあげたいですね」
俺は急いで近づいていた。親子はもちろん幽霊の俺に気がづくはずもない。
その『闇』に触れた。
次の瞬間、視界に情景が流れ込んでくる。
薄暗い部屋。
ベッドに横たわる女性が、あの子を見つめていた。
やせ細った指。それでも、優しく微笑んでいる。
——愛してる。
言葉にならない想いが、胸に流れ込む。
別れたくない。まだ一緒にいたい。
それでも...
父に託して、旅立とうとしている魂。
消えていく、その最後の瞬間。
ふと視線が落ちる。
男の子の袖。
ボタンが、今にも取れそうだった。
——ああ、直してあげたかった。
そこで記憶は途切れた。
「……リアナさん。たぶん、この子の袖のボタンだ」
「ボタン?」
「うん、この子の母は最期に直してあげたかったんだと思う」
リアナさんは少しだけ目を細めて、糸がほつれかけている、今にも取れそうなボタンを見つめました。
「結構最近亡くなられたのでしょうか」
と悲しそうに呟いた。息を吸って、彼女は声を弾ませた。
「すみません!先ほど通った時、私の髪の毛があの子の袖のボタンにひかかったみたい。私のせいなので、少し時間を頂いて直してもいいですか?」
「え?あ……本当だ。ええ、構わない」
それを聞いてリアナさんは裁縫道具を取り出して、素早く糸を通した。
針が布をくぐるたびに、闇が柔らかくなるのを感じていた。
やがて、きゅっと糸を締められた。
「これで大丈夫です」
リアナさんが男の子に笑顔を向けていた。男の子は袖を見てから、父親に目を向けた。父親が頷くと男の子はリアナさんに向いた。
「ありがとうございます、おねえさん」
その瞬間で残ってた『闇』はふわりとほどけた。
リアナさんの月のアクセサリーも一瞬淡い光に包まれた。
親子に手を振って、リアナさんは逆の方向に歩き出した。
「今回はほんの少しだけの力だけだったから、悠真さんの助けにはなれないけど。」
「それでも、やってよかったね。」
「ですね。」
少しだけでも、誰かのためになれた——そう思いながら、俺たちは町の探索に戻った。
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