その5 引っ越しの勧め
「姉御、いやマーコット姉さん。ここに住んでいるのは、やっぱり魔素のせいなのかな?」俺はマイカの部屋を出て、再び居間に戻った。テーブルを挟んで彼女と向かい合う。
俺は、彼女をマーコット姉さんと呼ぶことにした。
姉御だと、あの取り巻きの男たちと同様に配下みたいだし、かといって正式に大叔母様も何だし、叔母サン呼ばわりは俺の身に危険がある。多分、二十歳の俺より十は離れていない。親戚なんだし、姉さんでいいよね。
「あら、そうよ。町の東側のここだと、あの火山からの魔素が届くもの。」姉さんは、さも当然とばかりだ。
「それでも、マイカちゃんには魔素が足りてないみたいだね。」
「そうなのよね、あの子。食は細いのに、魔素は大食らいなの、昔からよ。」
ふーん、先祖返りかな? 魔族には過去に魔人の血が入っていると聞いたことがある。
「俺のところは、豊富な魔素がある。マイカちゃんの治療と今後のためにも、俺の治療院の傍に引っ越してこないか?」
「えっ、あんたの治療院って、町の西側。森に近いところにあるんだろ? どうしてそんなに魔素が濃いのさ。」
そう言った姉御は、ふいに腑に落ちた顔をする。「は~ん、例のキカイだね。大姉から聞いたことがある。クレアの婿殿は、魔素を噴き出す不思議なキカイを持っているって。何でも、そのキカイで人族の里とも話ができるそうじゃないか。」
クレアの婿殿ね、つまり俺のオヤジのことだ。確かに魔王城の執務室に、小型ボットが一台置いてあった。
魔王国内に広く魔素を供給しているし、サホロにいるオヤジとお袋も、これで爺ちゃん婆ちゃん、つまり魔王様と皇后様と会話したりしている。
「まあ、そんなところだ。そのキカイのお陰で俺の友人の飛竜だって、治療院で一緒に暮らしているんだよ。飛竜も潤すほどの魔素があれば、マイカちゃんの治療にも生かせると思うんだ。」
実は、これは少し嘘だ。俺の治療院には、確かに小型ボットが置いてある。患者の管理と、魔動機の操縦をさせるためだ。だが、飛竜を潤すほどの魔素を出しているのは、このボットではない。いや、出せなくはないんだけど、
サホロの治療院と同じで、俺の治療院にも納屋に見せかけた搭載艇が置いてあるのだ。これは、オヤジの仲間の置き土産と聞いている。彼らが母星に帰るときに、母船の予備の舟艇を、一隻オヤジのために置いていってくれたのだ。
「それでマイカが歩けるようになるのなら、引越しだろうと何だろうとするけどねぇ。」
「すぐに引っ越さなくてもいい。けど、魔素は多いに越したことはないよ。それと、まずは早めに精密検査をしたい。一度、治療院に来てもらう必要があるんだ。」
肺動脈の拡張処置は段階的に始めるとしても、俺にはマイカの体の大きさが気になっていた。十四歳にしては、身長も体重も少なすぎる。中度の生育不良と診断した。血流が悪く、幼いころからほとんど寝たきりの状態だったせいで、骨格も筋肉も年相応の成熟度とは言い難い、臓器だって推して知るべしだ。
搭載艇の医療ポッドで、最初に全身スキャンするつもりだ。心臓の動脈狭窄だけを治しても、マイカが健康体に辿り着くまでには、時間がかかりそうな気がしていた。
姉さんと相談して、今日一日は様子を見ることになった。精密検査は明日に決めて、俺はとりあえず治療院に戻る。そろそろ治療院を開けなければいけない時間だった。
「じゃあ、明日は私も付き添うからさ。ここの仕事は、ゾットに任せるか。」姉さんは、そういって立ち上がった。隣の家に住んでいる姉さんの右腕に、相談してくるようだ。
ちなみに姉さんたちは、マーコット商会と名乗る看板を掲げていた。魔獣討伐・商隊護衛・よろず請け負います、だそうだ。一応は堅気なのね。盗賊まがいのことをする悪者は、奴だけみたいだ。
「明日の今頃、迎えに来ます。」そう言って、俺は魔動機に乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
治療院に戻って、朝の診察が始まった。
この治療院の回復術師は、俺ともう一人 二歳違いの妹サホがいる。彼女も、賢者として開眼したばかりだ。俺と同様に魔力が強く、回復系魔法の腕前は確かだ。
その他には薬師としてスタッフが四人、そのうち二人はサナエ母さんの子供だから、俺には異母兄弟と言うことになる。皆、サホロで一緒に育った気心の知れた間柄だ。
診察が一段落したところで、俺はサホに後を任せて搭載艇にやってきた。マイカのことでオヤジと相談するためだ。まさか皆に聞こえてしまう治療院のボットで、話すわけにもいかないからな。
画面に、オヤジが出てきてくれた。「しばらくだったな、変わりはないか?」自室からだ、サホロの治療院も一段落といった時分らしい。
そうだった、お互いそれなりに忙しい日々を送っているから、直接顔を合わせたのは数ヶ月前のことだ。
マーコット姉さんの顛末をかいつまんで話すと、「母さんの親戚か、ならばこの件は今夜にでも改めて母さんに報告しておけ。」そうオヤジに言われた。まあ、そうだよね。
(続く)