その1 意中の人
彼を意識するようになったのは、いつの頃からだったろう。
紫色の角を持つ魔族ハロック、あのヌラーラが率いる集団で若頭を務める男だ。歳は私より二つ下、だから弟のヤクサと同い年だ。鍛え上げられた体を持った戦闘馬鹿かと思いきや、サホの指導でめきめきと土属性魔法の腕を上げた。
そもそも攻撃魔法は得意としていたらしいから、それは当たり前だったかもしれない。だが、私が教えた物理の基礎を難なく飲み込んで、今では電気技術者として現場を任せられるほどに成長した理解力と洞察力、あの頭脳だ。彼らが生まれた隠れ里では、算数の基礎しか学ばなかったと言うのに。
今 私は電気技術者を育てている。
サホロの高等部で優秀な成績を修めた者たちに、竜騎士から転職してきた獣人族、マーコット姉さんの配下、そのマーコット商会に第二群として加入してきたヌラーラの部下たちだ。この星は、将来の技術職を多数求めているのだ。
頭角を現してきた者が数人いる。その一人が、このハロックだった。強く、賢く、無邪気で一途で、私には初めて好ましく思えた男。
私の好感が、彼にも伝わっていたらしい。数日前に、私に告白してきた。「俺もそろそろ身を固めたいと思っている。カミラ様、俺を夫として選んでくれないか。」真正面からの申し込みだった。
私は、この二十歳になるまで、恋を知らずに生きてきた。武芸と学問は共に私を魅了し続けたのだし、同年代で私と並ぶ男はいなかったのだから。
ハロックはどうだ? おそらく私と対等にやり合えるだろう。しかし私が勝つ。同じ片手剣を遣う双子の弟カークと、ほぼ互角と見た。飛竜に乗れば、無論カークが勝つだろうけれど。
そして私の得物は槍、それも取り回しの良い短槍なのだ。極端に狭い場所を除けば、剣を持った相手に負けるつもりはない。
魔法でも私は、並みの魔族には劣らぬ自信があった。しかし、ハロックの魔力は侮れない。あの、仕事で見せる土属性魔法の技量は、確かなものだ。私と戦う彼の勝機は、この魔力にあるだろう。
今 私は悩んでいる。獣人族では、婚姻を求められた女が男を試す意味で、試合を申し込むことがあるからだ。勿論、待ちに待った求婚であれば、即座に受ければよい。また、意に添わぬ相手であれば、その場で断れば良いだけだ。
逡巡する場面では、強い女は男を試す。自分に相応しい男かどうかを、見極めるのだ。自分自身のこれからの幸せのために、そしてやがて産むことになる子供のためにだ。結果は、必ずしも勝ち負けではないのだが。
素直に受ければ良いのかも知れない、私は彼を好ましく感じている。だが、私の中の武人の血が騒ぐのだ、彼と全身全霊で戦ってみたい。彼を屈服させたい、彼に私を誇るべき妻だと認めさせたい。
あれっ? 妻って?
なーんだ、もう決めているではないか。私は一人、苦笑する。それでも私は明日、彼に試合を申し込むことを決めたのだ。
◇ ◇ ◇
「やはり、そのお応えでしたか。」ハロックは、ため息をついた。こちらの返事は、予想がついていたようだ。
「すぐに受けていただけるなどと、俺は自惚れていませんよ。」机を隔てて目の前に座っていた彼は、私を見つめながらゆっくりと立ち上がった。
「だが、貴女を諦めるわけにはいかない。サホロ騎士団で戦いの女神と讃えられた貴女を、俺は手に入れます!」
正直、グッときた。このまま彼の胸に飛び込んでもいい、とさえ思った。
だが私の口からは、思いもかけぬ台詞が漏れていた。「私を相手にするのだ、命までは取らんが、怪我の一つや二つは覚悟しておいてくれ。」
ああっ、何を言っちゃってるの、私! そんな事を言ったら、嫌われちゃう!
「それでこそ、貴女です! まだ及ばぬ俺かもしれませんが、きっと貴女に俺を認めさせますよ。では、明日。」そう言うと、ハロックは右手を差し出した。握手を求めてきたのだ。
私も右手を差し出す。握った彼の手は、大きく、力強く、そして暖かだった。
初めて彼に触れた! 鼓動が高まり、頭に血が昇るのが判った。この胸のトキメキを、手の震えを、彼に知られたくない。
私は、すぐに彼の手を離した。彼は、ハッとして私を見る。悟られた?
「初めて貴女に触れました、この次は貴女を抱き締めたい。そのためにも、俺は明日 頑張ります。」実に晴れやかな笑顔を、私に見せてくれた。
その台詞、その笑顔、ズルくない? 私は、まるで処女のように、乙女のように、舞い上がっている。
いや、処女だけど。そして、私は初めての恋に揺れる乙女! あんたより二歳年上の二十歳だけどさ。
だけど、負けない! 勝負で負けるのは、絶対にイヤ!
こうなったら、貴方を負かせて、私の前に跪かせてやるんだから!
そして、高らかに宣言するわ、私の夫になりなさい! と。
(続く)




