・・・ 遡る
魔族の呪術師に攻撃を命じて、憑依していたその身を離れた。奴は、ジローの子らが仕留めてくれるだろう。私は、急がねばならなかった。
魔王国の空間座標は、奴の心から読み取っていた。ジローの住むサホロから、南西に下った森を抜ければいい。純粋思念体たるこの私:クフロイ族のリムゾーンにとって、この三次元空間の移動は、瞬時と言ってよい。
見つけた、山際に魔族の里だ。規模は大きい。
魔素とやらは感知できない私だが、人族の里とは違った印象を受ける。そう、生き物が発する波動に違いがあるのだ。
そして魔王城、上空から見下ろせば探すまでもない。大きな建物が、街の中心に位置していた。その建物の正面に降り立つ。
そうだ、この場所だ。感覚共有していた主上が、あの時に見ていた景色。覚えているぞ。そして目の前に立つ塔は、記憶にない。これが、あの貴族が言った記念碑なのか?
魔王城の前には、獣人族の騎士が立っている。その者の心に滑り込んだ。相手の意識がしっかりしている時には憑依は出来ないが、その意識に触れることは可能だ。
「あの碑には、主上の亡骸が葬られているのか?」と頭の中に囁いた。
「亡骸だと、何のことだ?」その獣人が反応した。
「確かにこの記念碑の地下に、敵の骸が収められていると聞いたことがあるが、」そこまで言って、獣人は首を傾げた。
「おい、お前。なぜ、そんなことを聞く?」もう一人の獣人に問いかけた。二人とも、魔王城の入口を警護する見張りなのだろう。
もう片方の獣人が、薄笑いを返してきた。「お前が、独り言を言っているのだぞ。どうした? 昼間から夢でも見たか?」
対する獣人は、怪訝な顔だ。「おお、そうか。誰かに話しかけられた気がしたのだが、確かにお前の声ではなかったようだ。」
「おい、しっかりしろよ。昨夜の酒が残っていては、門番は務まらんぞ。」
「済まん、まったくだな。」二人は笑い合い、神妙な表情で仕事に戻った。
◇ ◇ ◇
そうか、地下にあるのだ。物理的な肉体を持たぬ私にとっては、地下へ潜るのは造作ない。土中に続く入口を見つけた、扉には鍵がかかっていたが、三次元に縛られることのない私にはこれも無意味だ。
降りる階段のその先に、小さな玄室があった。
中央に石棺が置かれている。その大きな質量を持つ石の蓋も、私には無いも同然だ。棺の中には、焼け焦げて干からびた有機物の塊が収められていた。懐かしい主上の波動が僅かに感じられる。そして、完全に固化しているわけではない。いくつかの細胞は、まだ生きていた。
とすればこれは、主上が操っていた依代なのだ。
奴らの仕業なのか? 時空に縛られることのない我々には、奴らの魔法とやらも、そして純粋な物理的攻撃も無効なはず。いったい何が起きたのですか、主上よ。
もう一度、地上に戻る。こうなれば、その問題の時まで遡るとしよう。
知覚の次元を拡張して見上げた未来は、相変わらず混沌として見通せない。つまりこの時空の未来は、相変わらず一つではない。
観測ができない未来にもし私自身が飛び込めば、無数に分岐した一つの未来には辿り着ける。だが、それが何だと言うのか。そこが、やがて時間軸の主流に収斂される運命の、泡沫の未来ではないとは断言できない。
過去に実体を降ろすのも、この星系では危険だ。降りる過去へは一本道でも、そこから再び正しい現在に戻れる保証はない。それほど、ここは不確定化している。
主上ならば可能だろう、しかし未熟な私が実体を伴って過去に降りれば、そこから帰って来る自信がない。間違えば、私自身が本来属する時間軸を見失うことになりかねないのだ。
実体をこの場所に留めたまま、視点だけを過去に下ろしていく。
これで、過去の事象を観察できる。しかし、光景を見るだけだ。その場にいれば感じられるだろう主上の思念には、触れることはできない。
碑の建設が行われている場面まで降りてきた。時間遡行を緩やかにして、更に下る。ああ、ここだ。主上の操る依代が、憎きジローと対峙している、まさにその時だ。
奴の剣が、主上の依代をザックリと切り裂いた。立ちすくむ依代、輪郭が鮮明なので、これは多次元展開していないのが明らかだ。
なぜなのです、主上よ? この時空間にのみ存在を置くことは、危険なのではありませんか? 今ここで、この次元に拘る理由が、私には分かりません。
そこへ獣人族の女剣士が駆け込むと、依代を真っ二つにしたではないか。ぐずぐずと形をなくして、地面に崩れる依代。次いで稲妻が相次いで降り注ぎ、その身を焼いた。
依代が破壊される前に、主上は思念体となって離脱できたはず。もどかしいことに、今の私では行方が追えない。どこに行かれたのですか、主上よ! この時空に留まっておられるのですか? それとも、、、
(続く)




