その3 兄の住む街
エドナ商会では、ヨアキム当主は不在だった。例の缶詰工場の打ち合わせで、程近い海辺の集落に出向いており、今日は泊りと聞いた。だが、娘のマリアが腕によりをかけた手料理で、俺たちをもてなしてくれた。
思えば数年前、マリアのこの料理に俺は胃袋を掴まれたのだ。獣人族は森の民、そのせいかサホロで生まれ育っても魚の味には馴染めなかった俺だが、この町の数々の海の幸は俺を魅了した。そして食べ慣れぬものを上手にさばいて料理してくれる、当主の娘に好意を持ったものだ。
その娘に抱いて欲しいと迫られたのだから、俺には断る理由がなかった。
尽くしてくれる女は、大切にしてきた俺だ。「お前だけの夫にはならぬが、良いか?」と聞いて、うんと言う女だけを愛してきたのだ。
そんな嫁たちが今のところ三人、カレン母様の故郷の獣人族の村に一人、サホロには初等部から一緒に学んだ幼馴染の人族の娘が一人、そしてこのハルウシにはマリアがいた。
美味い食事で腹を満たし、風呂で旅の疲れを流して寛ぐ俺の部屋に、その夜マリアが忍んできた。寒さを増した秋の夜だ。風呂上がりで香しく暖かなマリアの肌が、俺には嬉しかった。
獣人族は、多産を美徳とする。俺の嫁たちには、沢山の子を産んで欲しい。そしていずれ、嫁や子供達を一カ所に集め、皆で助け合いながら生活できるといい。その意味では、三人の母様達や子供達と共に治療院や学校を手掛けるオヤジは、一つの理想だと思っている。俺には学業は向いていないけどな。
その夜、俺は何度もマリアを愛した。
◇ ◇ ◇
翌日は、馬車にマリアも乗せて、オタルナイを目指した。
彼女は俺と一緒にウォーゼルの背にいたかったようだ、ウォーゼルも乗せてやると言ってくれたのだが、部下の手前があるというものだ。
隊を率いる俺が、仕事中に飛竜の背に嫁を乗せて語らうわけにも行くまいて。
馬車を止めた食事のたびに、俺にはマリアの存在がつくづく有難かった。いつもの、腹を満たすだけの携帯食ではない、暖かく美味い食事は隊員たちを笑顔にさせるのだ。
俺には、学業のほかにこの料理という奴も向いていない。そう考えればオヤジも、俺と同じ年に生まれたカズラ兄もワタルも、料理はそこそこやれるのだが、俺はからきしダメなのだ。悪いところも、母に似てしまったものだと思っている。カレン母様も料理は苦手で、サナエ母様とクレア母様が作る食事を、旨い旨いと平らげるのが専門だ。
俺たちの馬車便は、さしたる障害もなく一夜の野宿を挟んで、二日目の午後に港町オタルナイに到着した。当初は商人の要請を受けて、その馬車を騎士団が護衛する形で始まったと言う、この馬車便。今では騎士団が主体となって定期便を運営し、都度に商人が荷や人を乗せるために利用する仕組みに変わってきた。物流が増えたからだ。
物や人の動きが活発になるにつれて、騎士団の役割も変わりつつあった。外敵から町を守り、治安と秩序を維持するのみならず、周辺集落との物流を担い、それぞれの里の統治組織とも連携せざるを得ない昨今なのだ。人族が多いものの、飛竜を良き友とし獣人族や魔族の隊員も増えて、騎士団はこれからますますその存在感を増すのだろう。
その組織の中で、武芸を極めた竜騎士の長として働ける俺は幸せ者だ。これは天職なのだと、俺は確信しているのだ。
マリアごと馬車をこの街の商家に届けて、明日の昼前の折り返しまで自由時間となった俺は、カズラ兄貴の治療院を目指した。兄貴と一献を傾ける頃には、マリアも商談を終えて合流することになっている。そして俺を乗せていたウォーゼルは、明日の合流までは海辺に遊びに行ってしまった。また魚を獲って、食べまくるつもりでいるのだろう。
流石は各地の船が帆を休める街だ、オタルナイの通りを歩けば人出が多い。そして俺は、周囲の注目を浴びるのもいつものことだ。ここいらでは、魔族と獣人族はまだ珍しい。そして魔族は、角を見せなければ人族と区別がつかないが、俺は自分で言うのもなんだが目を引く容姿をしている。背が高く、鍛錬を重ねた体は引き締まり、歩くたびに筋肉が躍動する。
ピンと立った猫耳、キラキラと輝く黒縞の入った金色の毛皮に、揺れる尻尾、騎士団一の美丈夫と言われた俺に、周囲の娘たちの熱い視線が突き刺さってくる。悪い気はしないが、鬱陶しい。
これまでも、この街で何人もの娘に言い寄られた。この街に嫁を置くのも、容易かろうと思う。だが俺は、この街に来たらカズラ兄貴と時を過ごしたいのだ。嫁を持てば、兄貴との時間が奪われてしまうからな。
◇ ◇ ◇
オヤジの最初の子供達、それが俺たち四人だ。カズラ兄貴が生まれた二ヶ月後に、俺とカミラの双子、そして数日後にワタルが生まれている。この四人の中で、喧嘩をすれば勝つのはいつも俺だった。頭がいいのはカミラとワタル、そしてワタルは魔力にも優れていた。
だが、腕っぷしが強いわけでもなく、悪いがさほど見た目も冴えないカズラ兄貴を、それでも俺たち三人の弟妹は信頼している。
弟と妹の面倒見がいい。そしておっとりとして、全てを許す優しい心根を持っている。茫洋とした長男の貫録と言おうか、サナエ母様譲りの包容力がある。そして努力家だ、オヤジに似て魔素が乏しいのに、光と闇属性の魔法も巧みにこなす。
そんな兄貴が、おれは大好きだった。
(続く)




