その3 赤い棘
ライラのいる魔族の里は、オタルナイから南西の方角に20kmほどの山中にある。魔動機で急げば、一時間ほどの場所だ。
そして、そこからずっと南に下れば、魔王国領だ。この山里は、昔 魔王国から移り住んだ者たちによって開かれたとの言い伝えがある。
ライラの実家には母親がいて、俺とミルカを歓迎してくれた。
結婚するつもりだったから、俺は彼女の両親とも懇意にしていた。ライラが、この山里の民には禁忌とされる光属性を学び始めて、体調を損ない、俺との結婚を諦めざるを得なくなった時には、この母親が俺に詫びてくれたものだ。
だがライラは、俺の治療院を手伝おうとして、人族を治療するために、光属性に手を出したのを俺は知っている。禁忌には理由があることも多いから、やめておけと言ったのに。迷信だからと、俺に内緒で学び始めて、俺が気付いたときは手遅れだった。
得意だった闇属性の波動に変調が現れてからは、躁鬱の波が激しくなって、精神的にも参ってしまった。他人との意思疎通が難しくなり、愛し合っていた俺とも一緒にいたくないと泣いた。そして、故郷で療養するのだと実家に引き籠ってしまった。いまから一年前のことだ。
「今日は調子がいいみたい。会ってやってちょうだい。」母親にそう言われて、俺とミルカは彼女の部屋に入る。薬草の匂いがする、これは鎮静作用のある有用植物だ。俺の治療院でも使っている。
「やっぱり来たね。」ベッドから半身を起こしたライラが言った。
相変わらず美しかった、だが少しやつれた気がする。表情は乏しいが、眼だけはこちらを射貫くような鋭さがあった。
「ミルカ、ちゃんと彼の面倒を見てくれている? 子供は出来た? この人が受け継いだ賢者の血を途切れさせないように、早く子供を産んだ方がいいわ。」会った早々から、ライラは勝手な事を言う。
俺たちがベッドに近づくと、ライラは俺を見てため息をつく。「赤い棘が刺さっているわ。警告したのに、あの男に触れたのね。」
ああ、例によって見えるのだ。俺は深緑色に、そして聞けば、そこに悪意を発する濃い赤色の棘があると言う。
「待って、いま抜いてあげる。」そう言って、ライラは俺の胸の当りに手を伸ばした。しばらくすると、ズウンと重い衝撃がきて、俺の体は軽くなった気がした。今日も朝から、体が重かった俺だった。
「うん、いつもの緑色になった。もう大丈夫ね。」
「病気なのに、無理をするな。」
「ううん、このくらい平気よ。」ライラは、俺の顔をのぞき込むようにした。「ねえ、その男、名前を言った?」
どうやら俺は、三日前に来たあの魔族の男に何かをされていたらしい。
「ああ、ゲールとか名乗ったな。」
途端にライラが笑い声をあげた。「ふーん、さてはゲラントの仕業ね。あいつ、この里でも有名な呪術師なの。」
◇ ◇ ◇
「人を呪う魔法、呪術。この里の民の特技と言っていいわ。私も、やろうと思えばできるかもしれない。」
そうなのだ、この山里の魔族は、少し変わっている。ライラが人を色彩で見るのも、夢で想いを伝えたりできるのも、この山里に生まれた魔族の特徴の一つらしい。
闇属性の何かが違う。多分その違いが、ここ山里の民の「光属性との決定的な親和性のなさ」に影響していると、俺は考えている。だから光属性は禁忌として、言い伝えられてきたのだ。
クレア母様は、魔族でありながら光属性も闇属性と同様に使いこなし、賢者そして聖母に到達した。だが、同じ魔族でもこの山里の民は、何かが光属性への道を閉ざしている。
「呪術師はね、人に呪いをかける時に、どうしても反射を受けるの。ゲラントくらいの達人でも、おそらく一割くらいの反動はあるはずよ。どうだった? あまり元気なようには見えなかったでしょ。」
うん、確かに顔色は良くなかったな。「俺の回復魔法で、生き返ったような顔をしていた。」俺がそう言うと、ライラはまた大声で笑いだした。
「悪意の赤い棘を撃ち込まれたのに、相手を回復してあげたの? 相変わらずカズラ、人が良すぎるわ。」
大きな声でケラケラと笑い続けるライラ、感情の起伏が激しい。ああ、俺の愛したライラは、まだこんなに遠いところにいる。そんなライラを見ながら、俺は涙が出た。
俺の手を、ミルカがぎゅっと握ってくれた。
(続く)




