その2 黄色の角
昼休みを終えて、また二時間ほど診察を続けた。
途切れなかった患者も、ようやくあと一人となった。その男が、ミルカに連れられて俺の前に置かれた椅子に座る。この街では珍しい、その患者は魔族だった。
俺は机の上に置かれたボットの画面で、カルテを確認する。通院履歴はない、初診だ。名前はゲール。住所は、ほう!ライラがいるあの魔族の集落じゃないか。ここからは少し離れた場所にある、この街に出稼ぎに来ているのだろうか?
「ここの先生は、闇属性の回復魔法が使えると聞きまして、へい。」男は、そう言って卑屈に笑ってみせた。
「私ら魔族には、どうも光属性ってのが馴染みません。先生は、わずか半年でこの治療院を流行らせた名医で、お陰で潰れそうな町医者もいると聞くほどだ。ここはひとつ、先生にお願いしようと思いまして、へい。」
このオタルナイは人族の街だ。魔族も獣人族も住んではいるが、数は少ない。だからいくつかある治療院も、すべて人族向けの光属性の回復魔法を使う医者ばかりだ。そして治療は対症療法、つまり痛みを抑えたり症状を和らげたりするのみだ。
患者の自然治癒力に期待すれば、対症療法でも病気は直せる場合がある。しかし原因を残したままでは、完治しないこともある。俺は、オヤジ譲りの生き物係の知識で対処できるので、病気を根本から治せることが多い。だから俺の治療院は繁盛しているのだ。
しかも俺は、魔族や獣人族に相性のいい闇属性の回復魔法も使える。同業者同士の付き合いは悪くないつもりでいる俺だが、患者を取られて恨まれているとかの噂も聞こえてくる今日この頃だった。
男の顔色は、確かに芳しくなかった。何か慢性の炎症でも抱えているものか。そして、好ましくない波動が伝わってくる気がした。「あの男を治療してはいけない!」夢で聞いた声を、俺は思い出していた。
だが俺は医者なのだ。患者が目の前にいて治療を希望している以上、俺には治療をしない選択肢はなかった。
「どこが痛むのですか?」と聞いてみる。
「角の周囲がジンジンしやす。」と男は言って、自分の角を撫ぜた。「人族の先生には判らんでしょうが、角の痛みってのは頭に響くんでやす。」
「触れてもいいですか?」いちおう、聞いてみる。
角は魔族の象徴だ、その角に触れることはいろいろな意味を持つ。クレア母様は、かつてオヤジを見初めた時に、その角でオヤジを突いたと聞く。これは魔族の女の決意を表すのだと聞いた。
そう言えば、俺はライラの角を受けたことが無かったな。ちゃんと俺を突かせればよかったかな? 俺はそんな余計な事を考えた。
ゲールが俺に頭を向けてきた。「へい、どうぞ。」
「では、失礼して。」俺は、3センチほどの長さがある男の黄色い角に触れた。波動を流して生体スキャンを試みようとしたのだ。ところが俺の指が男の角に触れたとたん、ピシリと痺れるような痛みを感じて、思わず俺は手を引いた。
「どうか、しましたか?」上目遣いに俺を見るゲールの目が、ニンマリと笑っているように見えた。
「いや、何だろうな? 失礼。」もう一度、ゆっくりと手を伸ばす。今度は何事もなく角に触れることができた。
波動を流すと、頭蓋骨に繋がる角突起が感じられる。その骨組織にも、その周辺にも特に異常は見られなかった。
魔族の角は、ある程度の大きさになるとそれ以上は伸びない。しかし、その角の内部では破骨細胞と骨芽細胞の働きがあり、骨の細胞は入れ替わりを続けている、つまり骨代謝と言われるものだ。そして、それに伴って稀にムズムズ感を覚える時もあるという。これは、角があった頃の、弟のワタルから聞いた話だ。
「透視したところでは、特に問題がないようですね。炎症もありません。」俺は、そうゲールに言って、念の為に闇属性の回復魔法をかけておいた。
「一応の処置はしておきましたが、しばらくしてまだ痛みが続くようなら、また見せて下さい。」
俺の回復魔法を受けて、ゲールは晴々とした顔になった。「これは驚いた、確かに先生は素晴らしい腕をお持ちだ。その辺にいる町医者は商売上がったり、でしょうなぁ。」ぺこりと頭を下げる。そして診察室を出て行った。
これで今日の診療はお終いだ。そう思ったとたんに、俺は何だか急に疲労感を覚えた。
そう言えば、昨日も遅くまで仕事をしていたのだ。今、俺はこの里の近くにある漁村に缶詰工場を誘致しようと、その網元や地元の商人たちと作業を進めている。
少し、根を詰めすぎているな。医者の不養生という奴か。今夜は、酒はほどほどにして、早く寝るとしよう。俺はそう考えていた。
◇ ◇ ◇
翌日も、その翌日も、俺の体調は思わしくなかった。
そして更に翌日、治療院はお休みの日だ。この機会にゆっくりとしたかったが、俺は久し振りにライラを見舞うことを決めていた。
どうせ魔動機で行くのだ、体の負担は少ない。俺はミルカを誘って重い体で魔動機に乗り込むと、ボットに行き先を告げた。
(続く)




