その2 おとされる
その市長が、マイカを見て驚いた顔をして見せた。
「これはこれは、実に可愛らしいお嬢さんだ。そして、マーコットさんと言いましたかな、貴女も何ともお美しい。実は、怖い傷跡を隠さぬ女傑だと聞いておりまして、少々警戒しておったところです。」
そう、姉さんの頬の傷の治療は、数日前に終わっていた。
姉さんは、昔の美貌を取り戻したばかりか、今日は髪にも気を使い、そのメリハリある細身に良く似合うタイトなスーツを身にまとっている。
髪型も衣装にも頓着しない姉さんのために、サホが助言した結果なのだ。さしずめ、美人でやり手の女性実業家と言ったところだ。
姉さんはニヤリと笑った。
「ふん、ちょっと宗旨替えをしたばかりさね。あんたみたいないい男の前に出るんだ、せいぜい身なりに気を付けさせてもらったよ。」あちゃ、言葉使いは乱暴なままだった。これはサホも、手の出しようがなかったか。
市長と姉さんは、互いに相手をじっくりと見定めている。それを横目で見て、秘書だと紹介された魔族の女が、表情を硬くした。
姉さんとの付き合いも長くなってきた俺だ、その考えは手に取るように分かる。姉さんは、この体格のいい市長を、男として一目で気に入ったのだ。そしてこうなれば、悪いがこの秘書の女は姉さんの敵ではない。
この秘書の魔族の女、おそらく魅了魔法を市長にかけていると見た。だが姉さんから無意識に漏れ出す魔力は、その上位にある誘惑魔法に匹敵する、相手を積極的に引き込む力なのだ。と、これはクレア母様から聞いた話だ。
賢者の俺でもくらくらした魔力、さあこの豪傑市長は、どこまで耐えられるのだろうか? 俺は、少しこの男が気の毒になってきた。
◇ ◇ ◇
電力敷設と照明器具について、俺は説明を終えた。市長と秘書の女は、思いのほか熱心に俺の話を聞いてくれた。
市長がおもむろに口を開く。「なるほど異星の技術、素晴らしいものだ。これは市長としては、積極的に推進したい。」
そこでギロリと俺を睨んできた。「だが、この街の灯りの油を一手に取り仕切る事業家の私にとっては、由々しき出来事でもある。」
「だから、仁義を切りに来たのさね。あんたにも仕事を回すから、一緒にやろうと誘ってやっているンだ。」姉さんは、あいかわらず言い方がえらく乱暴だな。
「商売は、それまでの努力と実績で成り立つもの。新しい仕事を起こすのは、並大抵の努力ではありませんぞ。」
「ふん、実績ときたね。それは、既得権と甘い汁のことを言っているのかい。」
姉さんは、初っ端から喧嘩腰だ。俺は、この人を連れてきたことを、少々悔やみ始める。
市長の顔色が、少し赤黒く変わった気がする。
「儲けは、商売の正当な報酬です。この商いでうまく回っている市民の生活を、壊したくないと言っておるのですが?」
フンと鼻息荒く、姉さんは呆れて見せる。「あんた、市長になったらその歳で、もう守りに入ったのかい。男なら、商人ならば、油屋で収まるってるンじゃなく、新しい事業を立ち上げる気概を見せてもらいたいもんだね。市民のためにさ!」
市長の顔が真っ赤になった。いかん、完全に怒らせたぞ、これ。
何か言わなくては、と俺が口を開きかけたところで、マイカが俺の手をぎゅっと握って「大丈夫よ。」と小声で言った。
◇ ◇ ◇
突如、ガハハと市長の大きな笑い声が、部屋中に響き渡った。
隣に座っていた秘書の女が、それをギョッとした顔で眺めている。
「油屋から成り上がりの市長で収まる男ではないと、私を叱って下さったのですな。これは一本取られました。」
市長は、向かい側に座っていた椅子から立ち上がると、俺の横に座る姉さんの手を取った。姉さんの言葉にえらく感動したみたいだけど、ああっ、そんなに近付いたらマズイって!
いや、これはもう姉さんの術中に嵌ったってことなのかしら。
そうか、誘惑の魔法は相手の心が昂っていると作用しやすいのだ。姉さん、わざと相手を挑発して、魔力に反応しやすくしたね。それとも、これも無意識でやっているの?
「私の周りには、頷く者ばかり。ところが貴女は私を叱って下さった。そうです、私は更に上を目指す男です。そして貴女に、私を認めていただきたい!」
姉さんの前で手を握ったまま跪く市長、すると姉さんは椅子から立ち上がり一歩近寄ると、大胆にもその形の良い胸に市長の頭を抱きしめた。ああっと言葉を漏らし、その胸で目を閉じる市長。勝負あったな。
俺の向かいの席では、魔族の秘書が呆然としてそれを見ていた。
(続く)




