その1 そそのかす
「どうにも目障りだ、あの若造。」そう苦々し気に言うのは、ウスケシの市長にして商業ギルドの重鎮を兼ねるヤゴチェだ。
歳の頃は四十半ば、堂々たる体躯だが脂肪は少なく、厚い胸板には筋肉の張りがある。一見して柔和な灰色の眼には、しかし鋭利な輝きを潜ませていた。
「こうもズケズケと踏み込んでくるとは、さぞや命知らずなのでしょう。」その傍にいて相槌を打つのは、額に紫色の角を持つ妖艶な魔族の女、名前をヌラーラと言う。魔力が判るものが見れば、その体から闇の波動が匂い出てくるのが分かっただろう。
魔族の女が、人族の男に連れ添うことは少ない。ましてや、強力な魔導士であり危険な美しさを隠さないヌラーラが人族の男の傍にいるのを、周囲の誰もが不思議に思っていた。だがこの二人は、仲が良い。利用価値があることを、互いに認め合っているのだ。
「奴の治療院の開設は、これは私も市長として歓迎した。そして次には、学校を開きたいと言ってきた。これもこの街の民のためになることだと、私は受け入れるつもりでいた。」
「でもこの度の、灯りの件は、」ヌラーラが、そう言ってヤゴチェの顔色を窺う。
「そうだ、長年築いてきたこの街での役割と言うものがある。」
◇ ◇ ◇
ヤゴチェは、この街に明かりを、燃料を供給する商売を主業にしてきた実業家だった。貧しい者には魚油を売った。これは臭気を気にしなければ一般家庭の夜の灯りとして重宝されるものだ。
そして比較的裕福な家庭には、植物から抽出した油を売った。臭いの少ない灯りとして、これは多くの引き合いがあった。
そして狩った獣から煮出した脂で作る獣脂蝋燭、長持ちして明るく、燃える匂いも好ましい最高級の灯り。彼は、これを富裕層に売ることで財産を築き、市長の座に昇ったのだった。
「異星からもたらされた、熱のない灯りだと! それを銀貨一枚で売りたいから、手伝えと言ってきた。マーコットとやら、お前と同じ魔族の女だという。そして後ろには、あの若造ワタルがいる。」
「旦那様、お気を付けなさい。あのワタルの父親ジローは、サホロの里の賢者として名高いと聞きます。サホロで治療院と学校を開き、人脈を築いて今やサホロの里長を継ぐものと噂の高い男です。」
「あの若造にも、その気があると言うのか?」
「そうに違いありません、いずれはこの街で旦那様の前に立ち塞がるのは必定。これ以上の台頭を許してはなりませぬ。」
「だが、あの若造めは、既にあの年で父親と同じ賢者だと聞くが?」
「排除するなら、そうお命じ下されば良いのです。いざとなれば旦那様のため、このヌラーラ、実力行使も躇うものではありません。」
「そうか、覚えておこう。心強いことだ。」そう言って、ヤゴチェはヌラーラを抱き寄せた。
◇ ◇ ◇
最近になって郊外に新築されたウスケシの行政庁舎は、なかなか立派な作りだった。
市長を訪ねていった俺たち、マーコット姉さんとマイカと俺は、その建物の奥の立派な部屋に通された。
今日は、電力網と照明器具の設置事業のお披露目と共に、燃料販売を生業にする商人としての市長にも、この事業を手伝ってもらえないか打診に来たわけだ。
古くからある彼の商店の隣に、渡り廊下で繋いだ立派な行政庁舎を新築した市長だ。公私混同だと言われかねないが、それを気にする男ではない。半分は仕事の話なので、本来はこの彼の個人商店を訪ねるべきかと思ったのだが、忙しいとかでこちらに呼ばれた。
ヤゴチェ市長にしてみれば、単なる商売人としてではなく、市長の肩書でマーコット商会の話を聞いてやろうということだ。
マイカがついてきたのは、本人の希望だ。「私がいたほうがいい気がする。」と言った。例によって、何かが見えているのかもしれないから、連れてきたのだ。
部屋でたっぷりと待たされて、さあ市長のお出ましだ。
壮年で体格がいい、その姿は自信に満ちて、威圧感を振り撒いていた。
一人の女性を連れている。市庁舎の職員には見えない艶かしさ、しかも魔族だ。だが市長は「これは私の秘書だ、一緒に話を聞かせる。」と言ってきた。
その秘書の女は、俺とマイカをちらりと見て、すぐにマーコット姉さんを凝視した。美しい魔族の女同士、明らかに敵だと判断した眼つきだ。この女、只者ではないな。俺の頭の中で、警告音が鳴り響いた。
横にいたマイカがハッとしたのが判る。俺の手をぎゅっと握って「やっぱり、私が来て良かった。」と小声で言った。
(続く)




