その2 姉さんの身の上話
治療院の宿舎の一室、ここにマーコット姉さんとマイカの親子が仮住まいをしている。姉さんは、いずれ治療院のあるここの敷地への引っ越しを考えているようだ。魔素を大喰らいするマイカのためだ。
その部屋を、サホと俺が訪ねた。サホに任せているマイカの魔法指導の、今日は進捗報告。だからマイカも一緒だ。
いつもの通り姉さんは、短く切った髪をひっつめにして、引き締まった体を黒っぽい服で無造作に包んでいる。もう少し身なりを構えばいいのにな、と思う。
本来は美形だし、スタイルもいいのに、頬の大きな傷のせいで着飾ることをしなくなったのかな。俺がそんな事を考えていたら、サホが露骨な言い方をした。「姉さん、相変わらずの格好ね。もう少し身なりに気を付けなよ。」
あれっ、サホはもうこんな言い方ができるほど、姉さんとは親しくなったのか? 親戚の女同士、気心が知れるのも早かったのかしら。
姉さんはニヤリと笑う。「いいんだよ、これで。チャラチャラした格好は嫌いさ。そしてマーコット商会の看板を背負ってるんだ、このくらいがちょうどいい。押しが利いてね。」と涼しい顔だ。
「前にも言ったけど、その頬の傷、古傷だから時間はかかるけど私たちなら治せるのよ。姉さん、もともと綺麗な人なんだから、勿体ないよ。」
うん、俺もそう思うよ。そもそも商売だって、綺麗な女性の方が有利なんじゃねーの。
「この傷は、亡くなったあの人の形見みたいなものさ。あの人を忘れないために、残してある。」そう言って、姉さんは自分の頬を撫ぜた。
サホが、その言葉をすかさず捉えて言う。「それなのよ、姉さん。今日は、そのマイカちゃんのお父様について聞きたいの。」
「おやおや、今日はマイカの魔法の話をしに来たんだろ。まず、それを聞きたいねぇ。あの人の話は、その後だ。」
◇ ◇ ◇
サホが、かいつまんで説明を終えて、
「ふーん、マイカはそんなに凄いのかい。」と、姉さんがため息をついた。
「うん、そして魔素の量だけじゃない。魔力操作も、とっても呑み込みが早い。きっとすぐに私たちと同じ賢者に目覚めるわ。そして、その先にも、」
俺は正直、驚いた。「その先だって? 聖母にもなれるってか?」
「うん、だから今の私じゃ力不足。多分ね。いずれ経験豊富なお母様か、もしかしたらお母様の師匠スルビウト様のご指導をいただく必要があるかもしれない。」
「へえ、マイカが賢者になるか。私のような落ちこぼれ魔族が、そんな子を産むなんて、これもあの人の血なのかねぇ。」
「そう、だからその方の事、話してくれる?」
目を伏せる姉さん。「少しばかり、長い話になるよ。」
姉さんは頬の傷を撫でながら、遠い目をして口を開いた。マイカは眼を輝かす、この話を聞くのはこの子も初めてらしい。
◇ ◇ ◇
「あれは、私がまだ小娘だった頃さ。貧乏貴族の暮らしに飽きて、屋敷を抜け出しては親が治める狭い子爵領の隅々まで、探検に出掛けたものさ。」
「俺の婆ちゃん、つまり皇太后様の一番下の妹って言ったよね。婆ちゃんの実家は、子爵家だったのか。」
「そうさ、決して高い身分じゃあない。私の大姉は、当時最強の魔法剣士と呼ばれた皇太子殿下との模擬戦で、見事に勝ちを収めてその後は王妃になった。けど私の実家は決して裕福ではなく、そして子沢山だったからねぇ。」
「うん、それは婆ちゃんから聞いたことがあるよ。妹が沢山いるって。」
「娘を嫁に出すには、金がかかるだろ。だから私もそのうちに、どこかの金持ち貴族の側室に呼ばれていたろうよ。王妃様の妹を手元に置けば、箔が付くってもんさね。」
「それが嫌で堪らなかった。昔の私は、自分勝手で我儘で、慕ってくる使用人の家の若い男たちを仕切っているのが性に合っていたんだよ。」
「それって、今でも変わらないよね。」と思った俺は、その言葉をなんとか飲み込んだけど、横にいるマイカにくすりと笑われた。いけねっ、心を読まれた。
「そんなある日、領地から少し外れた深い森の中で、あの人に出会った。ずっと一人で、ここで暮らしてるって。小川に温泉が湧いていて、その横に質素な小屋を建てていた。そこだけ、魔素が濃かったのを覚えている。」
「とっても綺麗な人だった。一目惚れしたわ。その日から一緒に暮らし始めた。そのまま家には帰らなかった。」
(続く)




