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秋の終わりはすぐそこに



 おなつが奉公している水名椎の住まいは、屋敷ではなく社である。

 社というのは神を祀る建物であり、在り方としては神社の境内に近い。さらに範囲を狭めるとしたら、神社の本殿にあたる場所がこの社になるのだろう。

 神の御座す神聖な領域。ここは水神、水名椎の神域である。


 社は外界から隔絶されているが、時の流れは下界と同じだそうだ。しかし、社で生活している人間はみんな老いが遅い。お絹と白妙の君は戦乱の世の人物だし、社で生活している水名椎の御子息もみな若々しい。

 唯一、八馬弩だけは中年の姿だが、彼はほとんど社の外で生活をしているそうだ。また、食材を仕入れに外界に出る機会のあるお絹も、白妙の君と比べれば年を取っている。社で過ごしているあいだだけ、老いが緩やかになるようだ。水名椎の神気にあてられるのだろうか。


(それと、ここは下界と昼夜が逆転している)


 こちらは昼時だから、今の現世は真夜中だ。

 落葉が目立つようになったが季節はまだ秋で、日当たりのよい日中はまだまだ暖かい。陽の光を真正面から受けたように目を細めて、おなつは蔵を見上げた。


(旦那様の――水名椎様の、宝蔵)


 これからおなつが足を踏み入れようとしている場所は、神の重宝が収められた宝蔵である。



 ―― 一刻ほど前。おなつは水名椎の元へと参上した。


 付き人として一通りの基礎は叩き込んだと、晴れて水名椎の元に通うことを許されたのである。

 だが実際のところは、冬が近づいてきたからだとおなつは推測している。


 はっきりとは明かされてはいないが、社の住人たちは、みな一様に冬の訪れを案じている。懸念しているといってもよい。

 ここ最近は毎日にように宴会が行われ、厨は延々と宴会料理を作っている。客人を迎え入れるのは秋までなのでもう少しの辛抱だと、料理長として腕を振るうお絹はこぼしていた。

 それに、おなつが迎え入れられたのも秋だ。花嫁は冬の無聊を慰めるものだと、白妙の君は度々口にしていた。その白妙の君も、冬を越えるまでは社に留まると言っている。


 冬になにが起こるかはわからない。だれも説明しようとしないところをみるに、口で説明するのははばかられる物事なのだろう。

 現象なのか、神事なのか。暗い雰囲気ではないものの、困り事ではありそうだ。秋の終わりは、すぐそこまで来ている。


「よく来たね。昼餉のとき以来か」


 水名椎は朗らかにおなつを迎え入れた。

 おなつは水名椎の姿を垣間見ることがあったが、水名椎がおなつを見かける機会はなかっただろう。来客がひっきりなしに来ていては、寄り道する暇もあるまい。

 あれだけ人――ではなく、神に会っていたら少しは気疲れしそうなものだけど、疲れている様子はまるでない。本当に他者と会うのが好きな性分らしい。


「玉雪の具合はどうだい? 現世に馴染めそうかな?」


 水名椎はまず、先妻である白妙の君の様子を尋ねた。

 同じ建物内で生活しているものの、離縁しているので顔を合わせる機会は作っていないそうだ。ゆえに、白妙の君の近況については、日参しているおなつのほうが詳しいだろう。


「白妙の君におかれましては、この上なく」


 現世に下るにあたり、白妙の君は現代での振る舞い方を模索されている。今までの話し方が大名の娘のものであったため、たいそう難儀されていた。

 話し方の不自然さは敬語で話してもらうことで解決したが、言葉に古語が混ざることはどうしようもない。おなつ自身に学がないので、それが一般的に使われているかどうかの判断もできないのだ。

 だから、なにか不備があればそれはおなつの落ち度で、白妙の君の問題ではない。だが白妙の君は、下女中にそこまでの大任は預けておらぬと、おなつの謝意をはねのけた。


「うまくいっているのならいいんだ。憂いはないに越したことはないからね。順調に進んでいるのなら予定通り、春にはここを出られるか」


 水名椎の眼差しが、おなつの頭上を越えて庭へと向いた。庭には洋風の離れがあるが、水名椎が見ているのは春の情景なのだろう。物思いの妨げにならないよう、おなつはそれとなく視線を部屋に移した。


 白妙の君の部屋に比べると、水名椎の部屋は美術品が多い。

 客人から贈られた物だろうか、どれも異国の品と思われる意匠ばかりだ。飾られている物に統一性はなく、国も年代もバラバラ。調和が取れているとはお世辞にも言えないが、それぞれが離れた場所に飾られているので、違和感はなかった。部屋が広ければ、色味の違いもさして気にならなくなるもののようだ。


 しばしのあいだ、思いを馳せていた水名椎が、思考を戻すようにゆっくりと視線をおなつに合わせた。そして、笑む。


「うん、ひとつ用事ができたよ」

「なんなりとお申し付けください」


 こうして水名椎の元へと参上したのはいいが、身の回りの世話はハヤの仕事である。

 水名椎の眷属である魚たちの背格好は、それぞれが人間だった場合の年齢に換算した姿である。つまり、少女の姿で顕現されたハヤは、まだ幼体であるといってもいい。二人がかりで水名椎の世話はできても、ほかの魚たちに混ざって家事をするのは負担が大きいだろう。


「じつは、かねてから餞別の品をどうしようかと悩んでいてね。選ぶを手伝ってもらいたいんだ。ついては、蔵の整理を頼みたい」

「蔵、ですか」

「ああ。……おっと、食糧蔵や酒蔵じゃなくて、美術品の蔵だよ」


 補足が入るが、どの蔵の場所もおなつは知らない。女中であるおなつの生活圏は、社のほんの一角である。


「春になったら玉雪が外に出ていくだろう? だから、動けるうちに見繕っておこうかとね。冬になる前に」


 またしても冬がでてきた。

 ここで理由を尋ねれば、水名椎ならば快く理由を教えてくれるだろう。しかし、仕えている旦那様にそのようなことを尋ねるのは、あまりにも無作法だ。それならまだ、お絹やヤマメに尋ねたほうがましである。

 だからおなつは、神妙に頷くに留めた。ただ、解消すべき疑問はあったので口は開く。


「夫婦になられるのは、白妙の君と水名椎様の御子息で間違いないでしょうか」

「ああ。君も会っているだろう、千羽耶だよ」


 千羽耶というのは、この社に留まっている御子息のなかで、上から三番目の御子のことだ。

 線の細い印象の、和歌を愛する御仁。年頃の四人のなかでは唯一、複数回顔を合わせている。

 というのも、白妙の君の元に出向いているさい、千羽耶がよく訪ねてきていたのだ。おなつが白妙の君の伴侶を御子息の一人だと口にできたのも、それが要因となっている。


 元夫である水名椎が来訪を控えているにもかかわらず、その御子息の千羽耶が頻繁に訪ねてくるなど、本来ならばありえない。

 いかに水名椎の御子といっても、千羽耶はさらに前妻とのあいだに生まれた御子である。後妻の元に同じ年格好の息子が通っているだなんて、現世ならばあらぬ噂がご近所中にばらまかれるだろう。


「現世に下ろすときは、いつもだれかに付き添いを頼んでいるんだ。一人で行かせるわけにはいかないし、ましてや今回は水琴も一緒だ」


 水琴は末の御子息の名前である。

 兄は泉一郎で、その上に姉の沙雪がいらっしゃったそうだが、年頃になったところで現世に下ったらしい。水名椎の御子同士では近親結婚になってしまうため、御息女は現世で婚姻を結ぶ必要があった。


「母と娘で出て行ったり、息子の一人に兄や遠縁の親戚として付き添ってもらうこともあるよ。でも、千羽耶と玉雪は、お互いを好ましく思っているみたいだから」


 あっけらかんとおっしゃるが、思うところはないのだろうか。離縁したとはいえ、妻だった女が前妻との息子と婚姻を結ぼうとしているというのに。しかも二人とも、まだ同じ社にいるのだ。無関係のおなつのほうがソワソワしてしまっている。


(贈り物をとおっしゃるのだから、祝福されてるのだろうけど……。

 紀代子様もあっさりと諦められたし、妻にあまり執着はしていないのかしら)


 白妙の君以前の妻は、そのほとんどが現世に戻され、天寿を全うしているらしい。どれも妻側からの要望だそうだが、水名椎の態度はあまりにも淡泊だ。


「それで、行ってもらいたい蔵というのは宝蔵なんだ。

 なんてことない頂き物はこうして飾ったり授けたりしてるんだけど、そうでないものはちゃんとしまっておかないと麒麟児がうるさくてね。あいつは珍しい物に目がないから」


 珍しく水名椎が砕けた言い方をした。


 見た目は親子ほどの差があるけれど、水名椎と麒麟児は友人関係にある。

 麒麟児は客人や奥方以外にはだれにでも尊大だが、水名椎が打ち解けた様子で話すのは麒麟児だけだ。

 ここにいる人間のなかでは最年長の八馬弩が麒麟児を兄と慕っているのだから、麒麟児は八馬弩が生まれる前から水名椎に仕えていたのだろう。水名椎の特別は、家族ではなく友人なのかもしれない。



 ――とまあ、そんないきさつがあって、おなつは宝蔵へとやってきた。


 宝蔵は社内の最奥にあり、蔵と呼ぶには立派な建築であった。現世にあれば、神社の本殿として扱われてもおかしくはない。

 扉には頑丈そうな錠が取り付けられていて、ハヤが鍵穴に鍵を差し込むと、固い音がして錠が外れた。


「まったく、主様も人が悪いよなあ」


 無言を貫いていた背中から、唐突に声が発せられた。小さな体から怒気は感じないが、それがかえって恐ろしい。


「蔵の管理は我がしているのだから、我に命じればいいものを。神々の所有物である宝器が眠る蔵を新入りに任せるなんて、なにを考えてるんだが」


 ――麒麟児は食客だ。最初に会ったときに居候のようなものと本人が口にしていたが、それは花嫁に向けた謙遜の言葉だ。


 麒麟は異国の神獣であり、この国の神のあいだにも知れ渡っている名だたる神である。

 ここにいる麒麟児は、遠い昔に兄弟に連れられて以来、水名椎の元に身を寄せているのだと聞いた。水名椎とは対等の神格を持っており、けして、おなつの仕事仲間ではない。そして、麒麟児は大の人間嫌いだ。


「これじゃあ、暇を出したいがために、わざと粗相するよう企んでるのかと勘ぐりたくもなる。お前もそう思わないか?」


 質問ならば、答えなければならない。でも、どう答えても角が立つ質問だ。目上の人物相手に沈黙を保つわけにもいかず、おなつは口を開いた。


「私は、水名椎様の命に従うだけです」

「お前はそれでいいだろうがな。くれぐれも、不用意になかの物に手を触れてくれるなよ。どれもただの美術品じゃあないんだからな」


 麒麟児がふんと鼻を鳴らす。そこに、第三者の声が入りこんだ。


「おやおや、また使用人いびりですか。母上に告げ口してしまいますよ」


 背後からの声に振り返る。そこには、廊下に佇む泉一郎の姿があった。その様子からして、少し前からこちらの動向を窺っていたようだ。いそいそとやってくる泉一郎に、麒麟児が鬱陶しそうに眉をしかめる。


「その齢で、母の名を出さなければ苦言も発せぬのか? 母上なきこの先が思いやられるな、泉一郎」

「いえいえ、そんな。父上がいない場所で使用人をいびる兄様に比べれば、なんてこと」

「八馬弩の真似はするな! うっとうしい」

「八馬弩兄様と一緒にしないでくださいよ。あんなに猛々しくはないですよ、私は」


 麒麟児が怒るが、泉一郎はけろりとしている。昼餉のときは如才なく場を回す印象だったけれど、今は悪戯っ子のような振る舞いで、子供のような印象だ。

 二人のあいだで所在なく立ち尽くしていると、泉一郎が微笑んだ。


「もう大丈夫ですよ。目付が来ましたから」

「水名椎の差し金か?」

「まさか。面白そうな気配を感じて来たまでです。それに、父上はそこまで心配してませんよ。罪のない人をいじめたりはしないでしょう、貴方も」

「……ふん」


 顔を背けて麒麟児が蔵へと入る。ハヤはずっと、扉の前で頭を垂らしたままだ。


「さて、我らも入るとしましょうか」

「はい。あの、ありがとうございました」

「いえいえ。今のは麒麟児をからかいたかっただけなのです」


 くっくと泉一郎が肩を揺らす。


「なにも麒麟児も、そなたを陥れようとしていたわけではないでしょう。それこそ大人げない」


 付き合いの長い泉一郎がそう言うのなら、そうなのだろう。

 それに麒麟児は皮肉の合間に、美術品には触れないようにとおなつに注意を促した。おなつが粗相をすれば、すぐさま蔵から追い出せるにもかかわらずだ。宝蔵の管理は麒麟児がしているというし、美術品には愛着があるのだろう。人間に触れさせたくないという気持ちが、そのまま態度に出ているのかもしれない。


「それはそれで大人げないですけどね。フフ、見た目通りですが」


 やはり泉一郎の本性はこちらのようだ。じつに晴れ晴れとした顔をしている。


「お前たち、いつまで服を日干しするつもりだ? 陰干しついでにこき使ってやるから、さっさと来い!」


 蔵のなかから怒号が飛んだ。


「これはこれは。都合よく使われそうだなあ」

「あの、よろしければ、もう」

「いやいや。麒麟児秘蔵の宝器に触れられる機会はめったにありませんから。それに、ここにいる面々では高いところの物に手が届かないでしょう。――ああ、そなたを含め」


 付け足された言葉は泉一郎なりの気遣いだろう。おなつの背丈は、常人よりもひょろ長い。

 昔から曲げる癖のあった背筋は、白妙の君の指導を経て、いつでもまっすぐに伸びるようになっていた。その上背を少しばかり持て余すように、小さくおなつは一礼した。


 ――この蔵に訪れたせいで、今後の未来が大きく変わることなど、知りもしないまま。


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