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不足を補う修業



 奥方――水名椎の先妻の指示に従い、翌日からおなつの上女中修業が始まった。

 女中がお手付きになってそのまま妾となることはあるが、身分の低い下女中が上女中になるなんて、まずあり得ない事例である。人の世に縛られない、神の社だからこそ起こりえる昇進だろう。あるいは、よほど器量がよければ起こりえるのかもしれないが。


「ここならなんでも起こりえますよ。姫君が男連中に混ざって鶏を捌いているくらいですもの」


 カラカラと笑いながら、お絹が家禽の骨を外す。

 手つきは大胆で鮮やかだが、その表情や口調はあくまでたおやかなものである。手元を見なければ、花でも生けているかのようだ。


「でも、ほんとに気負わなくていいのよ。水名椎様は大雑把と言ってしまえるくらい物事に頓着してませんし、仕事の手は足りているの。そんな、下女中の仕事も率先してやらなくても」

「いえ、そういうわけには」


 お絹が肉を捌く傍らで、おなつは栗の皮を剥いていた。栗は外側の固い鬼皮と内側の薄い渋皮があるが、おなつが剥いているのは鬼皮である。

 栗は美味しいけれど、食べるまでに手間がかかる。棘だらけのイガから栗の実を取り出すのもそうだし、鬼皮は表面がツルツルとして、包丁がしょっちゅう滑りそうになる。


「それに、奥方様がよしとしなくても、貴方に落ち度はなにもないわ。手の傷なんて、厨に立っていればしょっちゅう負うものなんですから。冬場なんて、あかぎれがひどいものよ」

「お気遣いありがとうございます。気に病んではおりません」


 鬼皮を剥き終えた栗を再び鍋に戻し、新しい栗をおたまで掬う。皮を剥きやすくするために熱湯につけているので、手に持つと熱がジンと指先を苛んだ。それでも、ほかの人よりはずっとマシだろう。おなつの手の皮は、長年の水仕事ですっかり厚くなっている。


 ――付き人修業初日。先妻の元へと通ったおなつは、すぐさま部屋を追い出された。朝の陽光の下で照らされて、よりはっきりおなつの姿が見えるようになったからだろう。平伏するおなつの手を見た先妻は、その手についた無数の古傷を前に、不快感をあらわにした。


「むしろ、奥方様にお見苦しい物をお見せしてしまったと……。次の日にはまた呼んでいただけましたし、本当にお気遣いなく」

「でも、年頃の娘にあんまりでなくて? 奥の姫といっても、仮にも武士の娘よ。傷跡ぐらいで取り乱すなんて情けない」


 お絹がバキリと鶏の骨を折る。麒麟児の話をしたときもそうだったけれど、意外と血の気というか、血気に逸る一面がある。奥方から追い出された日も、事情を聞いてすぐさま飛び出すくらいには行動力が早かった。男に生まれていたら、名の知れた武将になっていたのかもしれない。


「あ、あの、本当にお気になさらず。そのあと、手の傷については不問に付していただきましたし。手袋まで賜って、その、むしろ私が困ってしまいますので」

「そう? でもまたなにかあったら言ってくださいね。貴方はもう、私の後進なのですから」


 心強い言葉だが、おなつとしては奥方との板挟みである。

 奥方としても、先に入ったお絹には少しばかり遠慮があるようで、お絹に言われておなつの入室を許した様子もあった。

 春にはここを去る予定であるのも、要因のひとつだろうが。住み処荒らして去るは小人と風雨だけ、という言葉もある。


「今朝はなにをしたの? 配膳はもう及第点をいただけたのでしょう?」

「はい。ヤマメ様のご指導のおかげです」


 最初のうちは、立っても座っても歩いても散々な結果だった。御簾越しに眺めていた先妻にも、品がない、貧相だ、雅でないと容赦なく叱られた。

 それでもヤマメは辛抱強く手ほどきしてくれたのだが、あまりにも進歩がないせいで、奥方が先に音を上げた。別の部屋でやれと、またもや追い出されたのである。

 その件については、お絹に話していない。もともと、奥方に見せられるようなものでなかったのだ。


「今朝は針仕事をしながら、少々お話を。針仕事は得意でしたので、奥方様からもお褒めの言葉をいただけました」

「あら、それはとても珍しいことよ! 白妙の君が人を褒められるなんて」


 奥方の名前は玉雪という。名を呼ぶことを許されているのは、社の主である水名椎だけだ。ゆえに、使用人は白妙の君と呼んでいるらしい。ただ、つい先日まで水名椎の奥方であったために、奥方と呼ばれることのほうが多い。だからおなつも、つい奥方様と口にしてしまう。


「そうなのですか? お絹さんの料理にも、お褒めの言葉を口にされてましたが……」

「え? あら。あらあら! やだもう、そうなの?」


 お絹の顔がパッと華やぐ。どうやら、お絹に直接伝えてはいなかったらしい。となると余計なことを言ってしまったことになるが、頬を染めて喜ぶお絹を前にしてはどうしようもない。


(私も、もっと精進しないと)


 褒められはしたが、お絹への賞賛とは重みが違う。出来の悪い娘が少しばかり器用だったから、意外に思って褒められただけだ。現に、みっともなく背中を丸めるなと小言もいただいている。ほかの人よりも上背があるぶん、背を曲げるのがくせになってしまっているのだ。

 これまでは、仕事中の姿勢なんてだれにも気に留められなかったが、貴人の前ではそうもいかない。針を通す仕草ですら、優美でなければならないのだ。思い起こせば、屋敷の上女中はどんなときでも凜とした佇まいであった。今さらながら、格の違いを思い知る。


 そのまま雑談をしながら山のような栗を剥いていると、厨の外から足音が聞こえてきた。

 身体をよじったおなつは、すぐさま手に持っていた包丁を台に置いた。二人の少女を連れて、水名椎が現れたのだ。


「どうしました? 今はあまりよいときではありませんよ」


 お絹も包丁をまな板の上に置いた。血抜きされているとはいえ、神の御前で鶏を捌くのは気がとがめたのだろう。平然としているあたり、こうやって突然現れるのは珍しいことではないようだ。それでもおなつは立ち上がって頭を垂れてしまう。


「昼餉の支度中かい? 客人からの要望を伝えようと思ってね」

「それはありがたいですが、お客人を放り出してきてはいけませんよ。そこのハヤで用事は足りるでしょう」


 ゆったりとした口調でお絹が窘める。

 ハヤというのは、水名椎の両側にいる二人の少女を指し示す。

 おなつは教えられるまで知らなかったが、淡水魚の総称として使われている名称らしい。そして二人は、瓜二つの容貌にもかかわらず、双子ではなかった。同じ魚だと、顔の雰囲気が似るらしい。


 二人は相変わらずおなつに苦手意識があるようで、水名椎より後ろに下がって半身を隠していた。人ではなく小魚だと思うと、その仕草も納得がいく。池の鯉ですら、泥のなかに隠れようとするのだから。


「客人なら、少し歩きたいと庭に出ているよ。付き添おうとしたんだけど、遠慮されてしまった」


 水名椎の元には来客が多い。

 白妙の君によると、名高い神であるうえに友好的な性分なので、ご機嫌伺いに来る神が後を絶たないそうだ。だから宴会やら茶会などの頻度も多く、奥方として顔を見せる機会も多かったと小さくこぼしていた。それもあって、神に仕える者としての立ち振る舞いを重要視するのだろう。


「昼餉にはここにある栗と鶏を使おうと思っていましたが、なにか苦手なものなどございましたか? 今ならまだなんとでもなりますよ」

「そうだね、そのままで問題なさそうだ。川魚を使った料理は口にできないと言っていたから」

「承知しました」

「私が川の神だから、慮ってくれたらしい。だれも気にしないで食べてるのに」

「魚も魚を食べますからね。おなつさん、剥いてもらっている栗も無駄にならずにすみそうですよ」


 そこで水名椎が、頭を下げ続けているおなつに気がついた。


「おや、すまないね。顔を上げていいよ」


 許しを得て顔を上げる。今日の水名椎は秋らしく、朽葉色の着物を召していた。ちょうど今剥いている栗を薄くしたような色合いである。

 白妙の君に幾度となく言われた言葉が頭をよぎり、おなつは胸を張った。


「久方ぶりだね。玉雪の指導はどうだい?」

「とても、よくしていただいております」


 お絹と同じく、なるべくゆったりとした話し方になるように調子を整える。

 白妙の君の指導がなければ、水名椎の前で醜態をさらしていただろう。そう思えば、厳しい指摘の数々も貴重な賜り物である。


「うん、元気そうで何よりだ。玉雪に是非にと言われたから預けたけれど、顔色も明るくなったね」

「おかげさまで」


 水名椎はおなつの顔をしばし眺め、ふと思いついたように口を開いた。


「そうだ、せっかくだから昼餉の給仕を頼もうか」

「給仕、でございますか?」


 声が上擦る。まだ配膳の仕方を習っただけで、給仕の仕方など教わっていない。ましてや、客人の前に出るなど。


「恐れながら旦那様。使用人の采配は奥方様の仕事ですよ。いかに離縁されたとはいえ、春までは変わりありません」


 やんわりとお絹がおなつを庇う。


「そうだったかな?」

「そうですよ。お客人もいらっしゃるのでしょう?」

「ちょうどいいと思ったのだけどね。息子たちも新しい使用人を気にしていたから」


 白妙の君との御子だろうか。社に住む貴人は八人で、そのうち半数とはまだ顔を合わせていない。下女中なので、お会いする機会がなかったのだ。


「まあ、お目通りは早いほうがいいですけどね。でもそれならば、配膳を申しつければよろしいのでは?」

「私がこの子をそばに置きたいんだよ。せっかく連れてきたのに、ほとんど顔を見ていない」


 ねえと微笑まれ、頬に朱が散った。

 水名椎の笑みはお絹にも向けられたが、お絹は肩をすくめるだけだった。


「駄目かな、お絹」

「私からはなんとも。白妙の君に伺ってください」


 ――そうして水名椎は厨を出たが、そこからが大変だった。

 すぐさま使いの人に呼ばれて奥方の元へと参上したおなつは、昼餉の時間まで給仕の手ほどきを受ける運びとなった。


「貴方の教育係を買って出たのは私です。御前にお出しできないとは言えませぬ。急拵えになろうとも、必ずや仕上げてみせましょうぞ」


 白妙の君の熱の入りようはすさまじく、御簾を上げておなつをなかに招き入れるほどだった。自身の誇りがかかっているせいか、いつもと違って皮肉ひとつ挟まない。初めて間近に見た美しさに心奪われそうになったが、それどころでもなかった。


「よいか。給仕というのは、尊き御方のそばに控え、つねに気を配り、ときには場を整える奥深い仕事じゃ。そちに――貴方というのだったか――貴方にはまだそこまでは望めませんから、場に咲く一輪の花でありなさい」

「承知いたしました」

「風に揺れる一輪の花ですよ。人であることを忘れろというわけではありません。たおやかに振る舞いながら、楚々とした態度で臨みなさい。場の空気を乱さぬように」

「では、もう一度水を注いでください」


 ヤマメの言葉を受け、水差しから水を注ぐ。

 以前賜った革の手袋を始めはつけていたのだが、指導の邪魔だと早々に脱がされた。おかげで、平素よりはだいぶやりやすくなっている。夕餉ならば、手に持っていたのはとっくりだっただろう。お酒のほうが注ぐ回数は多くなるだろうから、昼餉の席でよかったと安堵する。


「米は用意できませんでしたが、奥方様によそっている量よりもずっと多く盛ってください。米が炊けたら、厨で量を確認するように」

「承知いたしました」

「旦那様は食道楽でいらっしゃるから。お絹がのさばるわけよの」


 不満げにこぼす先妻に、先ほどの不用意な発言を思い出す。お絹ならばおなつの失言をわざわざ白妙の君に確認したりしないだろうが、知られてしまったら仕置きは免れない。


「手が震えておりますが」

「し、失礼いたしました」


(いけない、今はこちらに集中しなくては)


 白妙の君がここまで時間と手間を割いてくださったのだ。これで失態を演じれば、白妙の君にもヤマメにも泥を被せてしまう。昼餉の準備が出来るまでの時間、おなつは精一杯、修業に励んだ。

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