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見えない先行き


 額をあてている床板が熱を持ってきた。主人から紹介される前に家人の機嫌を損ねてしまったとあって、おなつは指一本も動かすまいと息を堪える。

 食客の少年は不機嫌さを隠さずに足で床を叩いているが、神はおっとりと口を開いた。


「なんでそんなに怒っているんだい? 新しい娘を迎えるとちゃんと言っておいただろう?」

(ウォー)は嫁を迎えると聞いていた。それがどうして、こんなものを連れてきたんだ」

「あはは、こんなものなんて呼ばないでくれよ。これでも気に入ってるんだから」

「ほう。邪神の類いを嫁にするなんざゲテモノ食いの気があるのかと思ったが、化け物を飼う趣味があったとはな。驚きだ」


 そこで少年はおなつを見下ろした。


「この世の災いを煮詰めたような面しやがって」


 歯に衣を着せない少年の物言いに、心の臓が冷えた。

 おなつはなに呼ばわりされても致し方ないが、おなつを連れてきたせいで、神まで罵倒されている。それもこれも、おなつが粗相を犯したせいにほかならない。

 そもそも、奉公初日に空なんか見上げて惚けていたのが愚かだったのだ。おなつが少年に気付いて、先に名乗ってさえいれば、こんなことにはならなかったのだから。後悔が重く背中にのしかかり、潰されそうになる。


「やめなさい、麒麟児。見てごらん、小さくなってかわいそうに」

「図体はでかいだろう。……待て」


 少年が再び膝をつく気配がして、三つ指をついていた手が震える。そのうえ手を無造作に掴まれたものだから、おなつは飛び上がらんばかりに動転した。伏せていた顔も勢いよく上げてしまう。しかし少年は掴んだ手だけを凝視し、眉をひそめた。


「おい、どうしたこの手は。傷だらけだぞ」


 おなつの手の甲には、無数の爪痕が残っていた。幼少期、野犬に襲われたときにできた傷である。一番ひどいのは噛まれて肉のえぐれた背中だが、頭を手で庇ったので手指は傷のない箇所のほうが少ない。


「だれにやられた」


 醜い傷を厭うでも哀れむでもなく、少年は鋭い口調でおなつに尋ねた。

 おなつはというと、日頃から気に病んでいた身体の傷をまじまじと見つめられ、羞恥心に殺されそうになっていた。知らない人と会う機会がなかったから、傷を直視されるのは久方ぶりだったのだ。ここに来る前に神に手を取られはしたが、あのときは夜だった。それが、こんな明るい場所で見られてしまうなんて。

 しかし答えねばまた不興を買ってしまうと、なんとか気力を奮い立たせる。


「い、犬に。犬に噛まれました」

「犬? けしかけられたのか?」

「いえ、いえ。昔、野犬に襲われたのです……」

「そうか」


 一言呟いて、少年はあっけなくおなつの手を離した。そしてひらひらと腕を振る。


「なら、我の専門外だな。諦めろ」

「は、はあ」


 怪我に専門などあるのだろうか。いやそれよりも、少年の反応が意外だった。てっきり、傷を理由にさらに追い立てられると思っていたのに。怪我をした原因については尋ねられたが、古傷自体には無頓着である。


「ところで、客人はいいのか? どうせまたほっぽり出してきたのだろう?」


 興が冷めたのか、少年は話題を変えた。そういえば、客人が来ているとさきほど神自身も口にしていた。


「ああ! 新しく来た娘を見たいと言っていたから、この子を迎えに来たんだよ。今日は元からそのつもりだったからね」


 忘れかけていた様子の神に、少年がため息をつく。


「まったく。ちゃんと嫁じゃないことは伝えているのか? これを嫁にすると言ったら正気を疑われるぞ。ここに連れてきた時点で我は呆れてるが」

「伝えたよ。大丈夫、彼も神格は私と同等だから、取り乱すことはないはずさ」


 潜んでる棘もさらりとかわし、神はおなつを見下ろした。同じように見下ろしても、神からは圧迫感は感じない。身長は少年の倍近くはあるというのに。


「そんなわけで、ついてきてもらえるかな。私の古くからの友人に紹介するよ」

「は、はい」


 返事をして立ち上がるものの、客人からも同じような目で見られるかと思うと気が重い。着物は上等なものを用意してもらえたけれど、濡れた髪は申し訳程度にまとめただけだ。とはいえ、髪が乾くまで待ってもらうわけにもいかないし、礼儀知らずと謗られるのは覚悟しておくしかない。


「とにかく、我は進言したからな。あとになって、あのとき我の言葉を聞いておけばと後悔しても遅いぞ」

「ああ、心得ておくよ」

「ふんっ」


 鼻息を荒くして少年が宙に浮いた。よく見ると、少年の身体が浮いているのではなく、足下に現れた雲の上に少年が乗っているのだとわかる。おなつは頭を下げたが、少年は無反応に背を向け、移動する雲の上を歩いていった。


「麒麟児が悪いことをしたね。あの子は少し気性が荒いんだ」

「いえ! 私が粗相してしまったのです。……あの方は、食客であらせられるのですよね?」

「そうだよ。私のところに来て、どれくらい経つかな」


 歩き出した神に合わせて後ろを歩く。


「あの方はキリンジ様……でよろしいのでしょうか」

「ああ。麒麟の児だから麒麟児。明快だろう?」


 あいにくと、おなつは麒麟を知らなかった。なので神の言葉にうまく返せずにいたが、それでふと、麒麟児の言葉を思い出した。

 彼は確か、この屋敷を水名椎様の社だと言っていた。つまり、目の前にいる神の名は水名椎であるということだ。


(でも、さすがに直接尋ねるのは失礼に当たるかしら? あとでほかの使用人の方に教われば……でも、話してくれないかも)


 今のところ、怯えられるか敵意をもたれるかしか反応がない。出迎えに来ていた老人の反応は淡泊だったけれど、おなつが話しかけても許される地位の方かはわからない。


 にしても、この建物は障子と柱の数が多い。着替えのために案内された部屋は正面に壁があったけれど、廊下から見ると壁が一切ない。どうやって外側から部屋を見分けているのだろう。

 廊下の角を曲がると、またも長い廊下が続く。建物は庭を挟んで反対側にも広がっていて、こちらの庭には菊の花が植えられていた。


「美しい菊ですね」

「そうだろう? もう一月早ければ、すべての菊が咲きそろっていたのだけどね」


 惜しがるでもなく神は言った。菊の見頃は長月だから、今年はこれが見納めになるのだろう。


「友人は離れにいるんだ。西洋かぶれというか、異国の文化が好きでね。椅子に座りたいと言うから、洋風の離れを作ったんだ」

「そのご友人のための離れなのですか」

「うん。ひとつくらい異国のものが混ざっていても面白いだろう?」


 そこまでするからには、よほど親しい間柄なのか。そんな方に紹介されるとなると、ますます気を引き締めねばならない。ただ、麒麟児の口振りでは、どうも歓迎されることはなさそうである。


 離れは広い庭園の中央にあった。あとから作った物だからか、離れに続く渡り廊下はなく、代わりに石畳が敷かれていた。石畳は離れから御簾のかかった部屋へと続いている。おそらく、その部屋が神の寝所だろう。


 敷き詰められた砂を踏みながら、おなつは離れの建築を観察する。ご夫婦お付きの使用人だったならば見かける機会もあったろうが、おなつは下働きに近い女中なので、都会に出たことはない。ゆえに、洋風建築を見るのは初めてだった。

 レンガ造りの建物で、食べ物の太巻きを縦に立たせたような丸い形をしている。入り口の戸は茶色の銅板に鉄製の取っ手がつけられており、引き戸にはなっていない。家の裏口にある戸に似ているから、押すか引くかして開けるのだろう。戸ひとつとっても物珍しく思うおなつをよそに、神は離れの戸を叩いた。一回、二回。


「戻ったよ」


 戸は外側ではなく内側に開いた。神が草履を脱がずに部屋に入ったので、おなつも草履のままで部屋に入った。


「ほう、その娘かね?」


 室内には、大きな机と布張りの長椅子があった。三人は座れそうな長椅子に、濃い紫色の色紋付を着た壮年の男性がゆったりと腰掛けている。


「ああ。神の使いを前に佇んでいるところを見かけて声をかけたんだ。ええっと、名はなんといったかな?」

「おなつと申します」

「おなつというそうだ。どうだい、面白いだろう?」


 よく見てくれと言わんばかりに神がおなつの背中に手を回す。

 自身の面白みがわからないおなつはなにを望まれているのかわからずにまごついたが、無難にゆっくりと客人に頭を下げた。


「ああ、その人間か。確かに、お前の言う面白いには合うだろうな」


 客人がにこりと笑う。しかしその微笑みに感情は一切含まれていない。笑うべき流れだから笑った――そんな笑みだ。実際、客人はおなつを一瞥すると、すぐさま神に向き直った。麒麟児の言葉を聞いていなかったら、その態度に戸惑っていたかもしれない。

 神は客人の向かいに座ったが、退出の指示を出されていないので、おなつは戸口で控えた。客人は苦笑いを浮かべる。


「しかし、嫁をもらうと聞いたからわざわざこんな恰好で来たのだぞ。俺に恥をかかせるつもりか?」


 客人がうっとうしげに裾を払う。言われてみれば、西洋かぶれしている御仁のわりに、かっちりとした和装である。


「お前が勇み足なだけだろう。嫁を迎えたその日に賀宴なんて開かないさ、慌ただしい。前もそうだっただろう?」

「覚えてないね、五十年は前のことなんざ」

「五十年経ってたっけ? 暦はあまり使わないからなあ」

「年号はすぐ変わってややこしい。海外の暦は便利だぞ。少し桁は多いがな、ガハハ!」


 豪快に笑いながら、客人は杖を手に持った。


「ん、もう帰るのかい? 戻ったばかりじゃないか」

「長く待たされたからね。宴がないんじゃ、酒もなしだろう? 白面で見るには悪趣味だ。

 ああ、そこの帽子は私の物だ。取ってくれ」

「はい」


 戸口には枯れ木のような家具があり、そこに黒い帽子が引っかけられていた。生地のなかに芯でも入っているのか、手に取っても形が変わらない。


「ありがとうよ、お嬢さん。だが、次に会うときにはもう少しばかり気を抑えたほうがいい。そこの唐変木には言って聞かせておくよ」

「はい、かしこまりました……」


 わからないなりに頷くが、神は客人の後ろで笑顔で首を振っている。それが見なくてもわかるのか、客人はもう一度鼻を鳴らした。


 戸口に立つ者の勤めとしておなつは扉を押し――反対だったと慌てて戸を引く。

 客人の持っている杖は飾りのようで、客人は堂々とした足取りで部屋を出る。そして被った帽子を、少しだけ持ち上げた。


「見送りは結構。では、これにて」


 それだけ言って、客人は石畳を杖でついた。

 その瞬間、客人の姿が消えた。いや、客人の身体が足下から石畳に沈み込んだ。突然の怪奇現象に、おなつは今度こそ悲鳴を上げた。


「ひゃあああ! ……あ、え!?」

「あはは、相当へそを曲げられてしまったね。そんなところから帰られたのは初めてだよ」


 あっけらかんと笑う神に、おなつは目を白黒とさせた。近くの石畳を行儀悪く足でつついてみるが、固い感触が返ってくるだけである。とても人一人、いや、神一柱を飲み込んだようには思えない。


「さて、客人は帰ってしまったし、朝餉の用意でもしてもらおうかな」

「あ、私は――」

「君は自室に戻りなさい。疲れてるだろう?」


 慮るでもなく神は言うが、身体はさして疲れていない。しかし様々なことがめまぐるしく起こったがゆえに、情報を整理する時間をもらえるのはありがたかった。


「では、お言葉に甘えて少し休ませていただきます」

「いや、少しと言わず好きなだけ寝なさい。ここは現世とは昼夜が逆さまになっている。君にとっては夜中になるだろう」


 やはり現世とは昼夜が異なっていたらしい。となると、おなつにあてられた部屋の周囲に人影がなかったのは、それぞれ朝の支度に出ていたからだったのかもしれない。


(よかった、天上はずっと昼なのかと思った)


 うっすらと感じる空気の冷たさは、おなつが昼間感じたままの秋の空気である。


 不思議なことに、夜を意識した途端に眠気がやってきた。神と出会ってから目を見開いてばかりいた反動なのかもしれない。今頃屋敷では――


(ううん、考えないでおこう。私はもう、戻らないのだから)


 神の目に留まらないよう、おなつはそっと着物の裾を握りしめた。


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