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それぞれの有り様



 秋の野山は生命に満ちている。

 踏みしめた枯れ葉が音を立て、木の実を拾おうとしていたリスが逃げ出した。冬ごもりの準備は済んでいるのか、よく肥えたリスだった。


 まさか狩猟道具を持たずに山に来る日が来ようとはと、八馬弩は思う。

 平素ならば、音を立てるなどもってのほかで、息を潜めて狩り場を探していただろう。その必要がないせいで、両の瞳はいつもと違うものばかり拾ってしまう。顔を上げて残りわずかな紅葉の彩りを眺め、足下の花に破顔し、冷えた空気を口から吸い込む。


 秋の彩りはいい。狩人でなくても心が躍るだろう。春の山菜と同様、秋はキノコやら木の実が採れる。八馬弩自身はそういったものを採るのに興味はないが、この地で生活しているものにとってはありがたいものだろう。だからこそ、この山の神も徳高くいられるに違いない。


『あの神だけが、私をただの人として扱っていました』


 父が嫁の代わりに連れてきた娘――おなつはそう断言した。

 兄弟皆気付かなかったが、本人にはわかる違和感があったのだろう。思い返してみても印象に残るものはなにもないが、それこそが証拠であると言われれば、納得もある。一度しか同席していない三人では、わかりようがなかったというだけだ。


 しかし、そうはいっても相手は名もない土着の神。父の威光を前に、ただただ萎縮していただけということもある。

 実際、恐縮しきりで、いつものように泉一郎とともに緊張をほぐした記憶があった。その記憶すら、おなつにそのときの献立を聞いてやっと思い出したくらいである。あの頃は栗が盛んだったが、そろそろ終わる頃合いだろう。冬はもうすぐだ。


 口から息を吐くが、まだ色はつかない。

 ここからもう少し西に行ったところに神の住処あると、目星をつけている。神というものは、鬱蒼とした奥まったところに居を構えるものだ。


(昔、うっかり祠を壊してしまったことがあったな)


 己の悪行をふと思い出す。熊と抜き身で格闘した際に、投げ飛ばした熊を祠に叩きつけてしまったのだ。


 祀られていた神はさほど神格の高い神ではなかったが、それでも神は神だ。運悪く麒麟児の耳にも入り、しばらくのあいだクドクドと小言を言われた。それ以来、山に入るときは神の所在を確認し、離れたところで狩りをするようにしている。


 現世に来れるのは、八馬弩を置いてほかにいなかった。

 おなつはもちろんとして、刻重と泉一郎は社から出たことすらもなかった。社から出たいと申し出た時点で、父になにかしらを勘繰られるだろう。その点、八馬弩は頻繁に狩りに出ており、父どころか麒麟児にすら疑いを持たれずに済む。あまりに出入りするので、父の社だというのに、一人だけ自由に行き来ができるようになっているくらいだ。


 そもそも、ほかの兄弟はこの時間に活動するのも苦労するだろう。社と現世は昼夜が逆転している。あれから半日経っているが、向こうは真夜中で、こちらは真昼だ。仮眠は取っているが、それなりに慌ただしく動いている。


(あいつらが文献を探し出せていたら、無駄足になるが。まあいい、たまには顔を出すのも悪くない)


 情のある女の顔を思い浮かべる。夜中の来訪に苦言は呈されたものの、いつものようにいろいろと気を回してもらった。あとでなにか、贈り物を用意しなければだ。さもなくば、次は土間に寝かせられる。


「これはこれは、わざわざどうも! どうもよくお越しくださいました!」


 まだ神域のふちにも辿り着かないうちに、山の主は出迎えに走ってきた。それはもう、もんどり打って転げ落ちないか不安になるくらいの勢いでやってきた。それほど、父の威光は偉大なのだろう。

 八馬弩自身は人の子で、神の血を引いていても神としての力はない。これまでの兄弟もそうだ。皆、人として生き、人として死んでいった。これからもそうだろう。


(あるいは――いや、それはまだ早いか)


 案内された部屋の上座で待っていると、身支度を調えた山の主が姿を現した。先ほどまでは狐とも熊とも言えない獣の姿だったが、上客が来たとなると人型を取りたくなるようだ。毛皮が残っているのはほんのご愛敬。八馬弩は素知らぬ顔で笑みを湛えた。


「突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくださり感謝する。こちら、たいしたものではありませんが」

「う、うわあ、ありがたき幸せ!」


 わざと無造作に前に出すが、それでも主は手土産を恭しく押し頂いた。


「お口に合うかわかりませんが、社の水で作った酒と、それから着物用の布を二反。こちらもお好みに合えば」


 酒は自家製のものなので酒蔵から持ってきただけだが、布は馴染みの女に用意してもらった。父に招かれる位の神ならば、着物はいくつ仕立ててもいいだろう。女にも報酬として酒を渡したが、いつもどおり、破顔して受け取っていた。


「わざわざこんなに。こちらがお出しできるのは、干し柿くらいなのですが……」

「それはありがたい。甘味は貴重ですからなあ」


 社にはお絹がいるので甘酸辛苦いつでも揃っているが、こういうときはありがたく頂いておくものである。実際、長い距離をここまで歩いてきたので、甘味を頂けるのはありがたかった。お茶も香ばしく、身体の奥をじんわりと温める。


「先日、兄弟で集まったときにあのときの話が出ましてな。ちょうどこの近くを通ったもので、挨拶にとばかり」

「それはそれは。わざわざご丁寧に……」


 主はひたすら恐縮している。思い出してきた。あのときもずっとこうだった。

 とはいえ、さほど珍しい反応ではない。父は意地が悪いところがあるので、格下の神をわざと恭しく扱い、その反応を楽しむ癖があるのだ。八馬弩にはそんな趣味はないので、手っ取り早く本題に入る。


「あのときはいかがでしたか? 初めて社にお越しいただいたと思うのですが」

「はい。それはもう、夢のような時間でございした。ご覧の通り、あばらやなものでして」

「いやいや、私としてはこちらのほうが落ち着きます。日頃狩りに勤しんでばかりなもので」


 これは世辞ではない。いかにも神々が住まう清らかな神域ですといった趣の社より、こういう生活感のある屋敷のほうが肌に合っている。

 八馬弩の様子から本心だと伝わったようで、山の主は親しみのこもった笑みを浮かべた。にかりと笑い返す。


「楽しんでいただけたのならよかった。じつは、機嫌を損ねていないかと少し気にしてまして。ほら、あのとき、うちの食客が失礼な態度を」

「はて、そのような?」

「ほら、父上のそばに控えていた娘に」


 おなつの存在をちらつかせるが、山の主の反応は冴えない。あの娘を意識していたならば、もう少しいい反応を見せただろう。


「あの従者は最近父上に侍るようになったのですが、麒麟児殿はあまり気に入っていないようで。なにせ、ほら、あれでしょう」

「……ああ」


 濁しに濁すと、やっと小さく反応を見せる。


「父上は珍しがって目を掛けているのですが、麒麟児殿はどうも。我々兄弟は人であるので、そもそも知覚できませんでな」

「そうなのですか?」

「ええ。あとから知りました。なので、客人殿も気を悪くされてなかったか心配で」


 探るように尋ねると、主ははあと気のない返事を返した。どうやら、本当にまったく気にしていなかったらしい。


(ふむ、無駄足だったか)


 たんに無頓着な御仁だったというだけなら、ここから得られるものはないだろう。いや、邪気について神から聞ける機会も少ないし、せっかくならば、いろいろ聞いてみるのもありか。


 そう算段する八馬弩の前で、山の主は困ったように曖昧に眉を下げた。


「恥ずかしながら、この山から出ることもなかったので。そういったものだと思ってました」

「そういうもの、とは?」

「それが、神としての振る舞いに疎くてですね……。水名椎様ほどの神ならば、侍らせる人間も特別な人間を選ぶのだなあと、納得してしまい」


 なるほど、神としての徳の違いから、そういうものだと判断していたらしい。

 しかしそれはそれとして、父の眷属ですら震え上がる邪気を、そういうものならとすんなり飲み込めたこの神もそれなりの大物である。

 恐怖というのは本能であり、押さえ込もうとしても、そう押さえ込めるものではない。実際、獣の殺気に慣れているはずのうちの従者も、完璧に無反応とはいかなかったのだから。感心混じりで賞賛するが、またも山の主は困り顔を見せた。


「じつはですねえ。邪気には慣れっこと申しますか、心得がありますもので」

「おや。なにか物の怪でも」

「いやいや! そのようなもの、この山にはおりませんよ!」


 とんでもないとばかりに首を振られるが、その言葉にはやや含みがあった。

 この山には、と言うのならば、よその山にはいるということだろうか。八馬弩の考えは相手にも伝わったようで、居心地が悪そうに背中を丸められる。


「それがその、こんな話を尊き方の耳に入れるのはどうかとも思うのですが」

「お気になさらず、しょせん私は人の子です。ここで聞いた話も、父には話しません」


 兄弟には話すが、と心のなかで付け足しはする。


「それが、近くの山にやたらと突っかかってくる仲間がおりましてね。たびたび邪気をまとって悪さをするのですよ」

「ほう」

「いや、悪さといっても、力をひけらかすだけなのですがね。見栄っ張りで、いつも突っかかってくるのです」


 手を焼いていたのか、鼻息が荒くなってくる。体毛も逆立ってきた。


「徳もさほど高くないのに、なにかと自分のほうが上だと主張してきましてね。大仰な邪気を身に宿してくるのですよ」

「邪気を」

「はい。とはいっても、見せかけだけのこけおどしですがね。それでも、山の獣なんかは泡を食って逃げていくもので」


 憤慨して口数が増えていく主に、八馬弩は密かに口元を緩ませた。

 どうやら、うまく当たりを引けたようだ。



__



 そんなわけで、件の山へとやってきた。

 今度は神域の場所に目星がつかなかったものの、八馬弩のなかに流れる血が、ただの旅人でないと判断させたのだろう。誘導されるように、神域に辿り着いた。あるいは、山の中腹でまいた社の水が功を奏したのかもしれない。


「ようこそお越しくださいました、いと尊き御方! ささ、こちらに」


 こちらは従者もいたが、山の主が率先して八馬弩を客間まで案内しようとする。腰を深く落とし、羽を手のように扱い、恭しく頭を垂れる。

 先ほどと同じような歓迎のされようだが、こちらは大げさすぎて鼻につくくらいだ。前評判どおりの神物像らしい。


(見栄っ張りというのも間違いないな。この社も見せかけばかりだ)


 先ほどは屋敷の体裁だったが、こちらは神社の形を取っている。一見きらびやかに見えるが、八馬弩の目にはそのどれもが張りぼてだとわかった。父の社とは比べようもない。


「此度はどのような御用向きで?」


 座るやいなや、主はそう口にした。それとない風を装おうとしているが、こちらの出方を気にしているのが丸わかりだ。


「御用向き、と問われるといささか答えにくいですな。ついふらりと来てしまったもので」

「ああ、いやそんな! 申し訳ございませぬ、貴方様のような尊き方が訪れることなど、ついぞなかったもので」


 恐縮するような口振りだが、そのじつ探るような眼差しを下から向けられる。神自身や神の従者ならばともかく、神の子息がふらりと現れたのだから、確かめたくもなるだろう。後ろ暗いところがあれば、なおさら。


(このへりくだった態度も、自尊心の裏返しか。我の機嫌を損ねれば、父へのお目通りもなくなると考えているようだ)


 あちらの山の主が先に呼ばれたと聞いたときには、さぞはらわたが煮えくり返る思いだったに違いない。社に来たあとは、とんと姿を見せなくなったとも言っていた。

 ならば、それを餌にすればいい。


「近くに、この前お会いしたばかりの神がおりましてね。狩りのついでに寄らせてもらったら、名前が出たもので」

「……ほう。もしや、北の?」

「わかりますか」

「いえ、まあ、なんとなく」


 意識していることがありありとわかる態度で神は身体を揺らす。父が社に招く神となれば、数は限られる。


「あちらの神とはいろいろと会う機会もありましてね。有り様は違いますが、同じ山の神ではありますので」

「確かに違いますな。屋敷の内装もだいぶ違う。こちらのほうが、我が社に近い」

「おお! そうでしょう、そうでしょう。あちらはだいぶ民家に近いですから!」


 我が意を得たりとばかりの相手に、八馬弩は同調するように頷いて見せた。こちらも、なにひとつうそではない。


 おりよく従者がお茶を運んできたので、間を置くように喉を潤した。味を気にされるので、偽りなくおいしいと答える。茶葉に造詣はないが、どちらもこの辺りで採れたものを使っているのだろう。

 お茶の話から近くの村の様子、それから徐々にあちらの山の神の話に持っていくこと、しばし。


「私といたしましては、神というのは人に交ざらず、八馬弩様のお父上のように天上に構えるものだと思うのですがね。あちらはどうも、人に近い性分のようで。まあ、そういった信仰の集め方もあるのでしょうが、私としてはやはり神らしくありたいと言いますか」


 くちばしがなめらかに回り出した。やはりあちらの神にいろいろと思うところがあったようで、不満を懸念で包み隠そうとした言葉がよどみなく出てきている。

 刻重ならば閉口し、泉一郎ならば嬉々として聞いていただろう。そして八馬弩はほどよく相づちを打つ。


「なるほど。己の在り方に矜持を持っておられる」

「そう言われると少々気恥ずかしいですが。ですが、そうですね。己の在り方には、誇りは持っておきませんと」


 そう言い切って神は身体を膨らませる。そろそろ頃合いだろう。


「そういえば、貴殿はいささか変わった力があるそうですな。邪気を自在に操れるとか」


 本題に触れると、神はぴたりと動きを止めた。そして、冷めた顔でため息をつく。


「さぞ言いたい放題だったでしょう。こちらの振る舞いが気に入らないようで、よく口を出してくるのですよ」


 間違ってはないが、これはお互い様とも言える。どちらがよりよい神なのかを判断することはできないが、有り様が違えば、引っかかるところも出てくるだろう。


「神に必要なのは畏れです。集め方はそれぞれ違う。人と仲良しこよししたがる小倉の山の主には、畏怖による支配は気に入らないのです。ですが、虫が鳥を恐れるのと、いったいなんの違いがあるのでしょう」

「それは人――ああいや、神それぞれですよな」


 大河を統べる神の子息として、どちらかを取り立てるような言動は控える。在り方に違いはあるが、それで均衡が取れているのならば問題はないだろう。


「いやじつは、その能力に興味があって。邪気を増減させるなど、聞いたことがなく」

「おや? ですが、御子息は――」


 神の目が八馬弩の外側、輪郭に向く。


「はい、私には関わりのないものなのですがね。父が珍しいものを好むもので。このあいだも、邪気を帯びた者を持ち帰ってきた次第で」

「ほう。そのような物を集める趣味が」

「ええ」


 ものの意味が食い違っているのをそのままに、八馬弩は頷く。


 おなつの存在を吹聴する気はない。

 神気だ邪気だと騒がれているが、うちに秘めているものをべつにすれば、ただの女人だ。どのような生まれかは知らないが、己のうちなる気性に脅かされ続けてきたことは、あの傷だらけの手を見ればわかる。麒麟児のことを抜きにしても、なにか策を見つけるべきだろう。


「父上に話せば喜ばれるかと思いまして。残念ながら父はもう休まれるのですが、話だけでもと」

「そうなのですか。それは、まあ、よいことですな」


 ソワソワと身体を揺すっている。あわよくば名を売りたいという気持ちが透けてみえるが、気付かないふりをしてお茶を啜る。


 この調子なら、問わずとも語ってくれるだろう。狩りというのは、待つ時間のほうが長いのである。



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