あまりにも自然で
今度こそお茶が用意されたところで、再びこれまでのあらましを泉一郎が語る。おなつの境遇。蔵の水鏡で見た現世。麒麟児の課題。
自身のことながら、こうやって他者の口から聞くと、昔語を聞いているような気分になってくる。もとより、この社に連れてこられた経緯こそが、雨七日の神隠しの伝承そのものなのだ。おなつ自身が昔話に入りこんでいるといっても過言ではない。
「まあ、事のあらすじはこんなところですね」
泉一郎が言葉を切った。聞き終えても刻重は無表情のままで、心情を推し量ることはできない。
「兄上は、神気というものはご存じでしたか?」
軽い調子で泉一郎が問う。
このなかで一番年嵩である八馬弩も知らなかったし、人には感知できない力だ。だからわからなくて当たり前といった問い方だったが、刻重の返答は違っていた。
「存在は知っている。他を従わせるための力だろう?」
「え!?」
何の気なしに答えるので、おなつはうっかり驚きの声を漏らしてしまった。だが驚いたのはほかの二人も一緒だったようで、二人して刻重のほうに身体を傾ける。
「兄上、それはいったいどこで?」
「書物で見かけた。書庫の本だ」
「なんの本だ?」
記憶を探って刻重が目を細める。
「神を拝した宮司の手記だ。神の神気に、村を襲おうとしていたあやかしが退散したとあった」
「手記ですか」
「尋常ならざる神の威光とあった。読んだのは……いつだったか。十数年前か」
(幼少期に読まれた本――いえ、きっと今とあまり変わりないのだわ)
刻重は泉一郎よりも年嵩で、泉一郎の母である白妙の君は、戦国時代の姫君である。つまり、どう甘く見積もっても、その時代以前の人物だ。彼らの成長度合いはわからないが、ついこのあいだまで幼子だった、ということもないだろう。彼らにとってのこのあいだが、おなつと同じものであるかはさておき。
「その文献は従者に探させるとしよう。あとで特徴を教えてくれ」
「承知した。だが、その宮司の記したものが麒麟児の言うものと同じとは限らんぞ」
「そうですね、同じ名称で違う現象かもしれませんし。神の口から聞いたという一文があればいいのですが」
「そもそも、それが事実に基づいた手記かどうかも不明だ。ここに持ち込まれたものならば、それなりに価値のあるものだとは思うが」
「父上が覚えていればよいのですか。ああいや、尋ねるのも不自然か」
「はい」
何度か確認しているが、この課題は水名椎に知られた時点で打ち切りとなる。
「日頃から父上とそういった話をしておけばよかったなあ」
「刻重殿ならできるのでは? いえ、その前に」
泉一郎が改めて刻重に問う。
「計画に乗っていただく気にはなりましたか?」
おなつは固唾を呑んだ。
わざとではないとはいえ、半ば騙して連れてきたようなものだ。とりあえず話は聞くと言ってくれたが、協力してくれるかどうかはまたべつである。
「計画? その娘の神気を抑えるという話ではないのか?」
まだ隠していることがあるのかと刻重が疑問を抱くので、おなつは否定するために何度も頷いた。動作が紛らわしいことこの上ない。
「ですから、見事私たちで解決して、麒麟児殿をあっと言わせてやりましょうよ」
「麒麟児殿に挑む機会はそうないぞ。少なくとも俺が生まれてからはなかった」
二人はどうしても麒麟児の鼻を明かしたいようだ。過去になにがあったかは不明だが、鼻息荒く刻重を仲間に引き入れようとしている。
「興味がない。ただ――」
誘い文句を切り捨てながらも、刻重がこちらを向いた。そして、おなつをひたと見据えたまま、言葉を続ける。
「助けを求められたからな。それには応えよう」
相変わらず表情は動かない。だが、その声音は温かかった。
「……っ、ありがとうございます! 泉一郎様も八馬弩様も、改めて、ありがとうございます!」
「礼には及ばんよ。まだなにもしていない」
「まだまだこれからですしね。及ばずながら、助力しますよ」
「俺も礼はいらない。トワのためでもあるからな」
そう言って刻重が視線をずらす。それだけでは斜め後ろにいる従者の姿は見えないはずだが、従者は肩を揺らした。
「朝からそうだ。この娘を警戒していたな」
「……」
刻重の問いに従者は応じない。しかし、その沈黙は答えになっていた。
おなつからすれば、神の眷属から警戒されるのには慣れているので、今さらの話ではある。厨で働いているときも、警戒心の強い使用人にはずっと距離を取られている。彼も同じで、あからさまな態度ではないものの、つねにおなつの動きを注視していた。だからこそ、一度席を立とうとしたおなつを、あれだけ早く引き留められたのだろう。
「それも神気によるものか? 刻重の従者にまで事が及ぶのなら、見過ごせない」
いまや全員から見つめられているが、従者は応えない。それどころか、うっすらと苛立ちを現すかのように眉をひそめた。言いたいことはあるが、それを言うのがいやでふてくされているような態度だ。加代子も、機嫌を損ねたときはよくこの顔で唇を尖らせていた。
「トワ」
「朝もおなつを気にしていましたね。なにか気にかかることでも?」
「……」
トワと呼ばれる従者はまだ応えない。あさってのほうを見ている。
(……あれ、この方はフナでは?)
従者は魚種ごとに顔が同じで、この顔の魚はフナだったはずだ。となると、トワというのは彼個人の名前だろうか。
「これはあれだな。山でいきなり大型の熊に出くわしたときのあれだな」
八馬弩があごひげを摘まむ。
「お前、おなつの神気に臆してしまったのだろう」
トワが歯を食いしばった。
「恥じることはない。父上についている童たちも同じように怯えたらしいからな。本能はままならんものだ」
「そういうわけではありませんが」
さすがに幼子と同じにされるのは我慢できなかったようだ。こちらに目をやって、それからまたゆっくりと視線を外す。
「トワ」
「お気になさらずに。私はただ、見覚えのない従者だったので気に掛けていただけです」
「父上の眷属ならば、相手が眷属かそうでないかはわかると思うがな」
「兄上、あまり言うと意地悪ですよ」
「いえまったく気にしておりません。神気を感じたのは間違いありませんが」
なおも主張するトワ。強情な性格なのか、それとも、主人の前で弱いところを見せたくないからか。どちらにせよ、原因はやはり自分なので、おなつとしては身をすくめるしかない。
「まあ、それは置いておいて」
話が進まないと判断したようで、泉一郎が話題を切り上げる。
「神気を感じるというのは、どういった感覚で? 遠くからでもわかるということは、目に見えるものなのでしょうか」
「……目、ではないかと」
トワがこちらを向いた。探るような眼差しは、おなつではなく、おなつの周辺を捉えている。
「顔に感じるのです。気のうねりを」
「顔?」
「剥き出しの肌に。激しい水流のように、こちらを弄ぶ気のうねりが」
「水流か。なるほど、そちらのほうがわかりやすいな」
八馬弩の言うとおり、水流に例えられると幾分かわかりやすい。水流は目に見えないし匂いも音もないけれど、水面に落ちた木の葉をあっというまに下流へと運んでいく。おなつをこの社へと押し流したあの水もそうだ。
「つまり、水流を抑えるのと同義ということか? 川をせき止めろと」
「ちなみに、神気の操り方についてなにか知っていたりは?」
「泉一郎様」
たまらずおなつは声を上げた。
「恐れながら、その問いは制約に引っかかるのではありませんか?」
他言無用と言われながらも兄弟に相談しているのはまだよしとして、トワは水名椎の眷属だ。麒麟児に知られたら、反則と取られてしまうかもしれない。
「どうだろう。どうでしょうね、兄上」
長兄に確認を取る泉一郎。
「二人に知られなければいいのだろう? 使用人はともかく、兄弟の従者ならば主はおのおのだ。主の秘密を話したりはしないだろう。なあ?」
「当然です」
「刻重の秘密ではないが」
すかさず口を挟む刻重。八馬弩がまあまあといなすように手を振るう。
「まあ、その辺りのすりあわせはしておこう。この話をしていいのは、この場にいる全員とそれぞれ専属の従者。ほかの者には他言無用、でいいな?」
「千羽耶は?」
「千羽耶殿はだめです。母上経由で父に話がいってしまいます」
「……いくか?」
「いきます。母上の勘を甘く見てはいけません」
「甘く見たわけではないが」
真面目な顔で刻重が訂正を入れる。
とりあえず、水名椎の眷属でも、兄弟それぞれにつく従者ならば秘密を共有できるようだ。彼らは皆それぞれ兄弟ごとに違う髪紐を使っているし、着物も一段いいものを使っているのでわかりやすい。
「では話を戻そう。神気の操り方を知っているか?」
「……いいえ」
トワの返答に落胆はしなかった。彼ら自身には神気がないと、すでに八馬弩が確認している。
「神気について、もう少し話を聞いてもいいですか? 父上や麒麟児と、おなつはなにが違うのか」
「……」
またもだんまりかと思いきや、トワは複雑そうな顔で刻重を見た。そして、言いづらそうにしながらも口を動かす。
「質は変わらないと思います。ただ、量が」
(量?)
そういえば、麒麟児も神気の強さについて言及していた。おなつは神気を振りまきすぎていると。
(……あれ)
そこでなにかが引っかかる。麒麟児はほかにも重要なことを言っていたような気がする。そしてそれは、今日一度も出てきていない言葉だ。
「自分は魚なので、主やご兄弟には伝わらない感覚だとは思いますが。陸の獣と同じ感覚を覚えるのです」
「獣というと……熊か?」
「あるいは。私は川で天敵に襲われたことがありませんが、本能が忌避しろと」
彼らは話を続けている。しかしおなつは、頭によぎった違和感を捕まえようと思考を巡らせる。
麒麟児はなんと言っていたのか。おなつの気は傲慢で、そして――そうだ。
「泉一郎様」
あのときあの場にいた泉一郎の名を呼びながらも、おなつは全員が自分を見るのを待った。そして、あのとき言われた言葉を口にする。
「麒麟児様は、私の神気に邪気があるとおっしゃってました。なにか、手掛かりになるのでは」
「邪気? なんだそれは」
先に反応したのは八馬弩だった。泉一郎の説明をともに二回聞いているが、そのなかに邪気という単語がなかったことは彼もわかっているはずだ。簡略化するためにあえて除いた可能性もあったが、それは固まった泉一郎の様子から違うと判断できた。それを察した八馬弩がこちらを向く。
「おなつ、邪気というのは?」
「麒麟児様が仰ってた言葉で、私の神気には邪気が入っていると。それがよろしくない……ようなことを、おっしゃっていたような」
泉一郎を窺う。聞いたことを正しく覚えられている自信がないし、できれば泉一郎からも口添えがほしい。
「泉一郎、どうだ」
「……えー……」
おぼつかない様子で泉一郎が腕を組む。
「言っていたような、気もします」
「なんだそれは」
「……言っていましたね、はい」
渋りながら泉一郎は答えた。
「さてはすっかり失念していたな。説明役を買って出ておきながら」
「えー……」
「いえ、そんな。私も今まで忘れていましたし、神気を消すのに必要かどうかも」
「庇わなくていいですよ。みじめになるだけですから」
「その通りだ。邪気となると違う話だろう。刻重の従者よ、邪気というのは?」
トワが刻重を立てるように刻重の顔を窺う。刻重が頷いたので、トワは口を開く。
「そのままの意味にこざいます。よこしまな気。
先ほど、神気の質は変わらないと言いましたが、言い方が少しよろしくなかったと思います。神気の質が水名椎様や麒麟児様と変わりないということは――神のなかでも、至上の神気かと」
声を震わせて言い終えるやいなや、トワは口元を袖で隠した。取り繕うことすらなく、おなつから逃れるように身をよじって壁を向く。八馬弩が困った顔で頭を掻いた。
「あー、それは俺の聞き方が悪かったということだな。比較対象を大きくしすぎたと」
「兄上ぇ」
「だからといってお前の失態が帳消しになったわけではないぞ」
ここぞとばかりの泉一郎をじろりと睨み、それから八馬弩は、しばらく黙ったままの刻重にも話を振った。
「お前はどう思う?」
「泉一郎の落ち度かと」
泉一郎が硬直する。
「そうではない、邪気だ。邪気についてどう思う」
「トワの様子を見るに、神気よりも邪気のほうが厄介に思う。神気で怯えるというのなら、おなつに必要以上に怯えるのはおかしい」
言われてみれば、そのとおりだ。神気の強さがこの社の主である水名椎や食客の麒麟児と同等なら、ある程度の慣れがあるはずである。つまり、彼らはおなつの神気ではなく、おなつの神気に含まれる邪気のほうに怯えていたのだ。あるいは、畏れていた。
「邪気、というのは、どのように感じられるのですか」
自分でトワに声を掛ける。さすがにもう怯むそぶりは見せず、しかし口元は袖に隠したままで、トワは答えた。
「獲物を睨む眼のような。喉元に食らいつく牙のような。身体に突き刺さるくちばしのような。あらゆる脅威です」
「最悪じゃないですか」
「今もですか? 私がなにもしなくても、そうなってしまうのですか?」
トワが頷いた。
となると、なおさら自分でどうこうできる問題ではなさそうに思えてくる。
「邪気を払う方角でいくのはどうだ。そちらのほうが、まだなんとかなりそうだ」
「私たち、邪気も感知できませんが」
「しかし、いろいろ試す手段があるだろう。滝に打たれて身を清めるだの、お祓いを受けるだの、神具を使うだの」
「どれも父上の許可が必要ですね」
「神具を持ち出そうとするのはやめておけ。麒麟児が怒る」
「……やろうとしたことあります?」
ああだこうだとまた兄弟が意見を交わす。しかしおなつは、邪気を払う解決法は困難であるという直感があった。
麒麟児は、おなつの傲慢な気を抑えろと言っていた。神気や邪気が目障りならば、抑えろではなく、消せと言うのではないだろうか。容易には消せないものだと知っていたから、代わりに気を抑えろと口にした。できない試練を、麒麟児は与えない。平等であることを尊ぶ、麒麟だから。
そして三人も、同等の結論に至った。
「邪気ならば払えば済むかと思いきや、そうもいかんな。至上の神気というのなら、邪気も極上なものだろう。いやあ、父上がわざわざ昼の席に連れてくるわけだ」
「なにもわからない私たちを見て、楽しんでおられたのかもしれません。それか、震え上がる客人を肴にするつもりだったのか」
「魚に掛けてな」
二人は笑い合うが、刻重はくだらないとばかりに目を細める。
二人の指摘は的外れではない。ここに着いたばかりのときも、なにも知らないおなつを知り合いの神に引き合わせたくらいだ。
今ならばわかるが、あの神もおなつの神気、あるいは邪気に機嫌を損ねて帰ってしまったのだろう。意地が悪いうえに趣味のよろしくない行動だが、今はそれについて考えている余裕はない。いや、身代わりを了承してもらった以上、見世物として連れ回されても文句は言えない。
(なら、あのときの客人も気を悪くされてたのかしら)
昼餉の席の、客人の様子を思い出す。
どこかの山の神だそうだが、水名椎に圧倒され、恐縮しきりだった。そのせいか、おなつにまったく反応していなかったような気がする。
(……そう、だったっけ)
思い出す。思い返す。三人はもう違う話をしている。
この社で出会った人――いや、人以外の存在は、皆おなつを見た瞬間、一様に体を強ばらせる。そして、おなつを警戒するようになる。逃げられるのならば、ハヤのように一目散に視界から去り。逃げられないのならば、トワのようにつねに視界に入れ。
だが、あの山の神は、おなつにまったく頓着していなかった。ほかの従者や使用人と同等の扱いしかしなかった。あのときはまったく気にしていなかったれど、今思えば、わかりやすく異質だった。おなつを普通の人として扱った神の化身は、あの神だけなのである。
それは、この澱んで停滞した会合を、一瞬で進展させるだけの力がある気付きであった。




