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2月11日(金) 閑話――初恋――

 暖房の効いた電車から降りた途端、身を切るような寒さが襲いかかってきて、体が跳ねるように震えた。辺りを見渡せば、柊と同じような制服姿の生徒が散見され、いよいよこの日を迎えたのだという実感が湧いてくる。


 ポケットにつっこんだ手にカイロを握りしめ、坂を登ってゆく。学校説明会以来、ひさしぶりに来たが、周りの流れに乗れば迷うことはない。10分ほど歩くと、飾り気のない校門にたどり着く。私立桜川高校、本日柊が入試を受ける、第1志望校である。

 門の脇には各学習塾の講師が数人ずつ並び、教え子たちと握手を交わしている。そうかと思えば、隣には、消しゴム入りのチラシをばらまく予備校職員の姿もあった。


 柊はそんな人だかりを横目に門を通り、白い息を吐いている教員に声をかける。


「おはようございます」


「おはようございます、受験票を拝見しますね」


 にこやかな表情で立つ教員に受験票を見せ、正門をくぐる。入学したら、彼の授業を受けることになるのかもしれない。


 目の前に並ぶ豆腐のような形の校舎も、春から3年間通うようになるはずだ。そんな感慨を覚えてしばし足を止め、辺りを見渡す。その時、視界の隅に何やら小さな輝きを捉えた。


 近寄って見てみれば、有名な神社の名前と共に「学業守」と印字された、小さなお守りが落ちている。受験生が身につけていたものが、落ちてしまったのだろう。とりあえず教員に指示を仰ぐため、校舎の方への足を踏み出す。


 その矢先、数歩も歩かぬうちのこと。向こうの方から歩いてきた人物の姿に、柊は思わず足を止めた。

 端的に表現するならば、非の打ち所のない美少女だった。コートの上からでも分かる、すらりとした手足の長さ。さらさらと揺れる髪の黒さは、寒さでほんのり赤みの差した頬とのコントラストで、その美しさをより強く印象づけている。そこから柊の視線は鼻筋にそって、花びらのような唇へと誘導され、釘付けになる。


「うーん。どこで落としちゃったんだろう……」


 腕を組んで口を尖らせ、首を傾けて視線を彷徨わせている。そんな、ともすれば滑稽に映りそうな仕草さえ、彼女にかかればどこか妖艶さが漂ってくる。


 圧倒的な美貌を前に及び腰になりつつも、明らかに困った様子の彼女に声をかけてみる。


「何かお困りですか?」


「えっと、母からもらったお守りを落としてしまったみたいで……」


 かなり憔悴している様子の少女は、藁にもすがるような視線を向けてくる。

 絶世の美少女からの視線に緊張しながらも、なんとか笑みを作り出し、手に持っていたものを差し出す。


「もしかして、あなたが落としたのは、この金のお守りですか?」


 その瞬間、彼女はぐっと前のめりになって顔を輝かせる。満面の笑みを浮かべた彼女の魅力は、先ほどまでの比ではない。


「そう、それ! ありがとう!」


 本当に良く感情が顔に出る人だ、と思いながら眺めていると、彼女は思い出したように体勢を戻し真顔に戻った。


「あっ、すみません、少し興奮してしまって。ありがとうございます」


 慌てたように敬語に戻るのがおかしくて、思わず頬が緩む。


「タメ口でいいよ、同い年でしょ?」


「あ、うん、そうだね」


 そう言って微笑み返す彼女の顔は、まだ曇っているように見える。この際、お節介を焼いてみることにした。


「まだ元気なさそうだけど、何か他にも気になることあるの?」


「えっ」


 一瞬ぎょっとした様子を見せた後、彼女は少し顔を赤くして答える。


「あの、さっき筆箱持ってきたか不安になって、確認してみたんだけど……」


「筆箱忘れたの?」


「いや、筆箱はあったんだけど、その中にシャーペンが入ってなくて。消しゴムと色ペンと修正液しかなかったんだ」


「先生に頼めば貸してくれるんじゃない?」


「そ、そうだよね……」


 がっくりと肩を落とす彼女は、先生に借りるのが気後れするのか、それとも考査に与える影響を懸念しているのか。


「俺シャーペン2本持ってるから、貸すよ」


「いいの?」


 気づいたときにはそんな言葉が口から飛び出していた。その中に、下心が無かったとは言い切れない。とはいえ、困っている受験生を蹴落とさなければならないほど余裕がないわけではないのも確かだ。


「でも、今借りてもいつ返せば良いか……」


「入学式で」


「入学式?」


 きょとんとした表情を浮かべた少女は、ややあって、あはは、と声を上げて笑い始める。


「自信、あるんだね?」


 愉快そうに訊ねる彼女の声は、今まで聞いたどんな声よりも綺麗に透き通っていた。


「俺はね。そっちは?」


「私も、あるよ」


 はっきりと答える彼女に、筆箱から取り出したシャーペンを渡す。


「じゃあ、また入学式で会おうか」


「うん、入学式で」


「名前、聞いても良い?」


「姫川薫子。そっちは?」


「浅宮柊」


 教えて貰った名前を脳に刻み込む。試験会場へと歩を進める彼の胸は、既に4月からの高校生活への期待で埋め尽くされていた。





 数日後、掲示された結果は合格だった。とはいえ、模試の成績から言っても順当なので特に感慨はない。それよりも気になるのが、彼女の結果だ。卒業するまでの1ヶ月間ほどの間、高校での勉強のことよりも、部活のことよりも、姫川という少女のことが気にかかっていた。


 そして、臨んだ入学式で、柊は心に留め続けた彼女の姿を再び目にすることになる。


「暖かな春の訪れとともに……」


 1人の少女が壇上で挨拶を読み上げている。凜々しい声が講堂に響き渡り、彼女の一挙手一頭足は見るもの全ての視線を捉えて放さない。心配する必要なんてなかった。入学式で壇上にいるということは、彼女は新入生の誰よりも――むろん柊よりも――点数が高かったということなのだから。

 1ヶ月半もの間不要な心配をしていたという事実に、苦笑を禁じ得ない。


「新入生代表、姫川薫子」


 校長に一礼をした彼女に、万雷のような拍手が送られる。その姿を見ながら、彼は密かに闘志を燃やしていた。


――定期テストでは、負けないからな。

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