6月28日(月) チーズバーガーで手を打とう
「友達どまりにならないためには」と言う恋愛コラムを読み漁って夜更かしした当然の帰結ではあるが、翌日の寝覚めは最悪だった。
どこに書いてあったことも似たり寄ったりで、一度友達としてカテゴライズされてしまうと、そこから抜け出すのは至難の業だという。その前に異性として意識させるのが肝要だそうだが、どうしたら異性として意識してもらえると言うのだろうか。こちらの気持ちが露見した瞬間に嫌われてしまうというのに。
好意を悟られないようにしつつ、自分のことを意識させる。そんな芸当ができるのなら、そもそも彼女いない歴=年齢になるはずもない。
そんなことを考えているうちに、気づけば学校についていた。俺いつの間に家出たっけ、と首を傾げながら教室に入ると、姫川と目が合う。心なしか彼女の表情が柔らかくなったように見えたので、軽い笑みを返す。たとえ恋人になる未来が無かったとしても、彼女との間に生まれた――と、少なくとも柊は思っている――友情は大切にしたい。
「浅宮、おはよう」
真っ先に話しかけてきたのは、珍しいことに昂輝ではなく椿だった。
「土曜日に浅宮に言われたこと、家に帰って考えてみたんだ。私、確かに頼り過ぎてたかもしれないって気づいた。自分で何かしなくとも、浅宮に頼んだらなんとかしてもらえる、そのありがたさに、気づいてなかった。ごめん」
一昨日は少しいらっとして冷たいことを言ってしまったが、実際こうして殊勝になられると、それはそれで焦ってしまう。
「別にそんなのいいって。一昨日ちょっと虫の居所が悪かったんだ。こっちこそごめん。得意不得意は誰にでもあるし、自分の得意なところが役立たせられるなら俺だって嬉しいから」
「そんなこと言いながら浅宮って不得意科目ないじゃん」
「あるよ。美術と体育」
「あ、そういえばそうだった。その2つのせいで中学のときの内申全然とれなかったんだっけ」
「悪かったな」
舌打ちをしつつ返すが、雰囲気は土曜日と打って変わって、和やかだ。やはり時間を置いて頭を冷やすというのは大事らしい。隣に座る昂輝がさっきから「よかった、よかった」とでも言うようにうんうん頷いている。少し腹が立ったので、何の脈絡なく頭をはたいてみた。
「そういうわけで、今回は自分でもしっかり計画立てて勉強しようって思ったの。それでも、分からないところとかは、教えてもらいに来るかもしれないけど、いいかな」
「うん、もちろん。友だち価格1回500円で教えてあげるよ」
「いや、ちょっと高いなー。100円でどう?」
「なるほど、俺の指導にはハンバーガーほどの価値しかないと?」
「じゃ、じゃあ120円! チーズバーガーだよ!」
「ふむ、チーズバーガーか。よし、それで手を打とう」
当然お金をもらう気もなければ、向こうにも払う気はない、軽い冗談だ。別に見返りを期待して勉強を教えているわけではないのだから。
その日の放課後は、柊の他に2人の女子が教室に残っていた。
「姫川、今日は部活ないの?」
「あるんだけど行きたくないんだよね。先輩からの連絡まだ既読つけてなくて、会いづらいんだ」
「ああ、それは行きづらいね……。参加しなくて怒られたりはしないの?」
「うちの部活他の人たちみんなやる気ないから、行かなくても誰も文句言わないと思う」
「そうなんだ。でも男子たちが心配して連絡とかしてくるんじゃない?」
「あ……」
慌ててスマホを開いてげんなりする姫川。
「何もみんなして連絡寄越さなくても……」
うなだれる姫川の背中を軽く叩く。
「え、待って待って。かおるんと浅宮って仲良いの?」
2人が親しげに話してる様子を呆気にとられて見ていた椿が再起動して、話に割り込んでくる。
「そうだね、最近物理とかの分からないところ浅宮くんに教えてもらうことが多くて」
「まあ、先週初めてまともに話したくらいの関係性だけどな」
「その割には今の2人ちょっと通じ合ってなかった?」
「いや、そんなんじゃないから」
姫川が即座に否定する。あまりにきっぱりと言うので、柊は心の中で肩を落としていた。それにしても女子はどうしてこうも楽しげに他人の関係を邪推するのだろう。
「馬鹿なこと言ってないで勉強しよ」
仕方がないので話題を変える。
「ふうん、浅宮は否定しないんだね……」
と椿がぽつんと言っていたが、勉強モードに切り替えた柊の耳には届かない、ことにした。
例の如く完全下校時間まで教室に残った後、教室の鍵を職員室に返し、3人で帰る。昇降口でいったんばらばらになり、靴を履き替えて椿と一緒に姫川を待っていると、中の方から男子の声が聞こえてきた。
「姫川さん、まだ学校いたんだ。今日はどうして部活来なかったの? みんな心配してたよ」
「あ、えっと、中山くん、こんにちは。あれ、山中くんだっけ?」
「本名は山中だけどみんなから中山って呼ばれてるからどっちでもいいよ。別に悠介って呼んでくれてもいいし!」
「いや、それはいいかな。他の人たちもいるの?」
「それがさ、俺が鍵返してる間にみんな帰っちゃったみたいなんだよね。良かったら一緒に帰んない?」
「ごめん、友達と一緒に帰るから」
すたすた、という足音とともに姫川が姿を現す。
「お待たせ」
と一声かけて、椿の手を取り歩いていくので追いかけようとすると、後ろから手首をつかまれた。
「お前、この間駅で姫川さんを待ち伏せしてたストーカーだろ? 今日は彼女の後をつけるつもりか?」
「ふざけんな。一緒に帰るだけだよ」
「そうやって押し掛けて姫川さんを困らせてるんだろ。こないだだって無理矢理連絡先聞き出そうとしてただろ。こっちは全部見てたんだよ」
一部始終を見ていて、むしろどうしたらそう解釈できるのか。
「違う。向こうから連絡先を交換しようって言ってきたんだ」
「そんなわけあるか。なんで姫川さんがお前みたいなどこにでもいそうな男と連絡先交換しなきゃいけないんだよ」
「それは……なんでだろう?」
彼の言うことは、暴論だが正論だった。今まで特に仲がよかったわけでもないし、一目惚れされるほど優れた容姿をもつとも思っていない。少なくとも、姫川が柊に対して特別な感情を抱くとは、当の柊本人でさえ考えづらかった。
「友だちと連絡先を交換するのに、何か理由が必要なのかな?」
背後から聞こえた声に驚いて振り返ると、椿と手を繋いだままの姫川が肩を怒らせて立っていた。
「別に男性同士で手を繋ぐことは否定しないけど、学校内だしもう少し節度を持ってもらえない?」
どれだけ振り払おうとしても離れなかった山中の手が、音速で離れていった。
「いや、俺への風評被害が熱すぎるんだが……」
何より、姫川は椿の手を握ったままだ。説得力がまるで0である。
「柊くん、帰ろう」
声をかけられて歩き始める。柊が名前で呼ばれるのを聞いて、山中が呆然としていた。もちろん、名前で呼ばれた当人も呆然としていた。
「うちの男子が、ほんとごめん」
帰り道を歩きながら姫川に謝られる。
「いや、姫川のせいじゃないさ」
「そうだよ、かおるんが謝ることじゃない。てかなんなのあのなんとか山ってやつ」
「山中な」
「何だっていいよ。興味ないし、なんとか山で十分」
なぜか柊より激昂している椿を宥めつつ駅へ向かい、改札で別れる。柊と椿は当然同じ方向だ。
「じゃあね」
「また明日」
「また明日」
挨拶を交わして、エスカレーターに乗った途端、苛立ちの収まっていなかったはずの椿の顔に、にやりと笑みが浮かんだ。
「浅宮さ、かおるんのこと、好きでしょ。勉強教えてもらう代わりに、相談のってあげてもいいよ」
「うっせえ」
椿から顔を背けたまま、答えた。





